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田中樹 救急医
「ストレッチャー入ります! 佐伯柑奈(さえき かんな)さん、32歳女性。自宅で激しい腹痛を訴え、意識レベルJCSで10。血圧108の91です」
今日もまた、ひっきりなしに患者はやってくる。
救急隊員からの報告を聞き、看護師に指示を出して処置する。上腹部を押さえて痛がっている女性を見て、声を掛ける。
「大丈夫ですよ、すぐに治まります」
鎮静剤を投与したから、痛みはじきに引くだろう。
そのときはそんなに気にしていなかった。
救急は、運ばれてきたときに処置して、あとは各科の先生に引き渡す。だから患者のその後は知らないことが多い。もともと、そんなに一人ひとりの患者に深入りしないタイプ。
なのに、一人の患者のことをこんなに考えるだなんて――。
今日は当直だ。
当直の時間帯が始まる前の貴重な休憩時間に、いつものように自販機でコーヒーを買う。ベンチに座って缶を傾けていると、人がやってくる気配があった。
すらりとした長身に白衣を着ているから、余計に縦に長く見える。
いつも仲良くしている、内科のジェシーだ。僕を認識すると、嬉しそうに笑顔で声を掛けてきた。
「おっ、樹じゃん! 元気?」
ここが病院内であることを忘れたかのような挨拶に、眉をひそめる。「別に元気だよ」
「なんだよー、素っ気ないな。今日、当直?」
「うん。ジェシーは? 遅いね」
「ちょっと手のかかる患者さんがいてね。でももう終わったよ」
「いいなぁ、帰れるんだ」
「今日はね。でも俺が当直で、樹は帰るっていう日もあるじゃん」
「まああるけど」
ジェシーはエナジードリンクを片手に、隣に腰掛ける。
「あっ、そうだ。さっき30代の女性の患者さんが搬送されてきて、腹痛だから多分内科に上がると思うんだけど」
「うん、オッケー。所見は?」
「内視鏡がまだなんだけど。なんか黄疸が出てるっぽいんだよな…。胆膵管系かなって」
「ふーん。でも若いのに珍しいね?」
「まあね…」
歯切れの悪い回答に、ジェシーが顔をのぞき込んでくる。
「ん? なんか気になってることある?」
「……正直言うとね、膵がんを疑ってる」
「えっ」
これにはさすがの内科医でもびっくりしたようだ。でも自信はないから、何とも言えない。
「いや、合ってるかわからないから。検査結果が全て。明日にはきちんと出ると思うよ」
「うん…」
すると、ポケットの中のPHSが無粋な着信音を響かせた。素早く応答し、立ち上がる。
「センターから呼び出し。じゃあジェシー、よろしくな」
「うん、行ってらっしゃい」
白衣の裾を翻し、夜の救急センターへと駆け出した。
続く