キャプテンを殺す!
新しく生まれた吾妻勇信、その名は「暗殺者」。
暗殺者は怒りに身を任せたまま、静岡県しそね町へと向かっていた。
体力の限りを尽くして走り、疲れては少し休みまた走る。
結局目的地であるしそね町の別荘に着くまでに4時間もの時間を費やした。
しそね町への道中にめぼしい民家に侵入し、靴と帽子とマスクを盗み完全な変装に成功した。しかし携帯電話も地図もなく、道路に沿って進むだけのルートであったため、別荘についたときには、すでに日が昇りはじめていた。
門の前でしばらく呼吸を整えてから、暗証番号を押して中へと入る。
盗んだ靴を脱いで息を殺しながら内部を見回したが、音はまったくしなかった。他の勇信たちが眠る寝室を避けて、クローゼットに行って洋服を漁るように調べる。
「おまえ、何してんだ?」
突然現れた別の勇信が、目をこすりながら言った。
「ちょっと寒くてな。いいからトイレ行けよ」
暗殺者は表情を変えることなく言った。
「俺は寒くないのに、おまえは寒いのか?」
他の勇信が怪訝そうな顔を浮かべた。
「寝ぼけてないでトイレに行けって」
「……」
他の勇信はあくびをしながらトイレへと歩いて行った。
暗殺者はいくつかの服を探り、キャッシュカードと下着を拝借した。トイレに行った勇信が目の前を通り過ぎるのを確認したあと、静かに入り口を出て別荘を離れた。
最初はただ感情の赴くままに、キャプテンの首を絞めて殺害するつもりだった。しかししそね町にくるまでの道のりで、暗殺者の心理は次第に変わっていった。
キャプテンを殺すという最終目標は変わらないが、殺したあとの死体処理やその後の対応を考えると、早急な殺人はデメリットが多いと考えるようになった。
機会はいくらでもあり、あえて他の勇信がいるタイミングで犯行におよぶ必要はなかった。
キャプテンがひとりでいるタイミングなど、これからいくらでもあるだろう。
何よりキャプテンの行動はわかりきっている。
わずか数時間前まで自分がキャプテンだったため、その心理は手に取るよりももっと鮮明にわかっていた。
別荘を出た暗殺者に必要だったのは、何よりも休息だった。
体力が限界まで削がれていたが、さすがに別荘では眠れない。
思い当たる休息場はたった一箇所しかなかった。
暗殺者は別荘から1キロの距離にある、ビスタ建設現場に向かって歩いた。
夜が明けると町民の姿がポツポツと現れはじめた。朝の散歩をする年配者だったが、さすがに見知らぬ男の姿を見れば驚くだろう。
さらにはしそね町にくる途中に民家から拝借した服だ。コーディネートはバラバラで、汗や排気ガスなどでひどく汚れている。
見知らぬ男で、しかもめちゃくちゃな服装となると、さすがに警察に通報される可能性を考慮しなければならない。
周りに気をつけながら路地を曲がると、ひとりの老人と出くわした。
老人はまだ目が覚めていないのか、地面をひたすら見つめたまま暗殺者のそばを通り過ぎた。
「ふぅ……助かった」
町民を避けながらようやくビスタの現場に着くと、建物は想像とかなり違っていた。
仮説フェンスをよじ登って内部のどこかで仮眠をとるつもりだったが、フェンスはあまりにも高かった。
街灯をよじ登ったところで、フェンスとの距離は遠く飛び移ることも不可能だった。
「元気でいろよ、ビスタ」
暗殺者は捨て台詞を吐いてビスタをあとにした。
続いて吾妻建設のビスタ管理事務所を訪ねてみた。
事務所の扉は固く閉ざされていて、周辺のどこにも休憩できそうな場所はなかった。
仕方なく外に座って少し体力を回復させてから、事務所を離れた。
「空腹がひどいな……それに眠くてたまらん」
結局暗殺者はあてもなく1時間ほどさまよった。
その折に偶然小さなバス停を発見し、30分ほど待ってからバスに乗り込んだ。それから名前も知らない地方都市の駅で降りた。
駅の周辺をぐるりと一度見て回り、唯一開いているうどん屋に入って腹を満たした。その後、駅の裏にある寂れたビジネスホテルに入った。
一泊3000円。
人生ではじめてのビジネスホテルだ。
死体安置所のような箱の中で過ごすのもはじめてのことだ。
目を覚ますともう午後になっていた。
ぬるま湯でシャワーを浴びてから、一度外に出て個人経営の古着屋に行った。
これまで勇信が好んで着てきたのとは真逆の、スポーツウェアスタイルの洋服一式を購入した。
ホテルに戻って着替えると、また空腹を自覚しホテルをチェックアウトしてうどんを食べた。
ようやく腹を満たし、コンビニで購入したコーヒーを飲み、駅前のベンチでひと息つく。
――頭痛がひどいな……昨日今日と少々無理しすぎたようだ。
ずっと頭痛の存在に気づいていた。
しかし他にやるべきことが多く、黙殺してきたのだった。
早速薬局を訪ねて頭痛薬とビタミン剤を購入し、再びビジネスホテルにチェックインした。
「棺桶のような部屋ではなく、一番いい部屋をください」
「はあ?」
受けつけの老婆が、顔中をシワくちゃにした。
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