暗殺者は昨日と同じ部屋に連泊した。
頭痛がひどく、何もする気が起こらずとにかく横になった。
薬は飲んだはずが、時間が経つにつれて痛みがどんどん増していくような気がしてならない。
今日一日を使って具体的なキャプテン殺害計画を立てるつもりだった。しかしとてもじゃないが痛くて頭が回らない。
「溜まったストレスが一気に弾けた感じか……」
暗殺者は結局、丸一日をベッドの上でテレビを見ながら過ごした。
旧式の小さなモニター画面には、地方局のニュース番組が流れている。
「次のニュースです。昨年静岡県一帯を恐怖に陥れた姉妹拉致事件から半年が経ちました。これまでマスコミ取材を避けてきた姉妹の父H氏が、ようやくカメラの前でその心情を語ってくれました」
「取材に応じるか悩んだ末に、カメラの前に現れたH氏。カメラマンとインタビュアーに小さく頭を下げて席に座りました」
――事件当日の状況を教えていただけますか。
――私はその日、娘たちを連れて地元のスーパーに行きました。そこで必要なものを購入して、スーパーを出てから娘たちにアイスクリームを買ってあげようとしました。
ふたりを外で待たせて、もう一度スーパーに入ったんです。ところがアイスクリームを買って出たら、娘たちの姿はどこにもありませんでした。
――アイスクリームを買って出てくるだけなら、そう長くはかからないと思います。その短い間に姉妹が連れ去られたということですね?
――ええ、そう記憶しています。
――長女のかなさんは小学生なのに、そう簡単に連れ去られてしまうのでしょうか? しかも姉妹が誘拐犯に抵抗する声を聞いた人もおらず、またスーパーの店主もその日特に変わったことはなかったと言っています。
――何が言いたいんですか? まさか私の言うことを信じないつもりですか。
――そういう意味ではありません。Hさんがおっしゃっている状況と、警察側の調査結果に相違があるだけです。警察の調べによると、姉妹は日常的に父親から虐待を……。
――虐待……? あんた、何を根拠にそんなこと言ってんだ!?
「H氏は突然椅子から立ち上がり、記者の胸ぐらをつかみました」
――おい、どこの誰に向かって虐待したとか言ってやがる! 娘がいなくなった苦しみも知らねえ青二才がふざけたことぬかしやがって!
俺がいつ子どもたちを苦しめたってんだ! 証拠を出せ、証拠を!
――お、お父さん、落ち着いて暴力はやめましょう。そんなことだから疑われるんです。話をしましょう、話を……。
「記者の言葉にH氏は逆上し、そのまま殴りつけました。記者はその場に倒れ、カメラマンが記者に駆け寄っていく様子が映し出されています」
――あんた、何も殴ることないでしょう!
――黙れ、このクソヤロウが! だからマスコミなんかに会いたくなかったんだ。おまえらは全員敵だ! このxxxどもが!
「倒れた記者を見て、再び椅子に座ったH氏。彼の手はひどく震えていました。映像を確認した専門家によると、重度のアルコール依存症の疑いがあるようです」
――俺の娘! 娘たちはいったいどこに行っちまったんだ。会いたいんだ……うううっ……!
「H氏は椅子に座ったまま涙を流しました。
警察の発表によると、H氏は日常的な虐待を繰り返していたことが明らかになっています。とある森の中に姉妹が立っているという通報が町民から何度か寄せられ、H氏が酒を飲んで乱暴を働いている映像もSNS上で拡散されています。
果たして姉妹は現在どこにいて、犯人は誰なのか。今後の捜査に注目が集まっています」
ベッドでニュースを見ていた暗殺者は、人差し指でこめかみをぐりぐりと押した。
頭痛がまったく治らず、ベッドから起きて水を飲んでストレッチをした。
日をまたぎ、翌朝になっても頭痛は治まる気配はなかった。
暗殺者はより良い環境を求めてビジネスホテルを出た。
目的地などなかった。ただバスに揺られ、海の方を目指した。
伊玉駅で降りてキャッシュカードで現金を引き出した。それから海辺のリゾートホテルにチェックインし、ルームサービスで夕食を摂った。
食後に何度めかの頭痛薬を飲んで、時間をかけて浴槽につかり、風呂を出てからはビールを一本だけ飲んで映画を観た。
2日間に渡って苛まれた頭痛が、ようやく種火ほどにまで小さくなっていた。
ベッドに横たわると、一気に深い眠りへと吸い込まれた。
朝起きると、体はすっかり回復していた。
ホテルの朝食をキャンセルして、海辺に出て朝食を摂ることにした。
潮風を全身に浴びながら、しばらく浜辺を歩いた。適当な食堂に入って焼き魚の朝食を食べてからまた歩いた。
喫茶店できらびやかな海を見ながらコーヒーを飲むと、体に続いて心も元気を取り戻すようだった。
コーヒーを飲み終え、喫茶店を出て海辺に広がる松林を眺めた。
体調が戻り心に余裕ができたことで、隠れていた属性がまたもぶり返してきた。
血が少しずつ熱くなっていく。
暗殺者は誰もいない場所を探して歩いた。
波の音が広がる岩影を見つけると、その場で大きく深呼吸を繰り返した。
「クソが! キャプテンのクソヤロウが! おまえだけは絶対に許さない! 俺がなんでこんな場所にまで流れ着かなきゃなんないんだ! おまえのせいで吾妻勇信の人生がめちゃくちゃになっちまったじゃないか! 絶対に殺してやる! すまない……。絶対に殺す!」
いきなり大声を発したせいで、喉が一発で枯れた。そのことがまた暗殺者の琴線に触れ、再び海に向かって叫んだ。
するとまたも頭痛が波のように押し寄せてきた。
暗殺者は叫ぶのをやめてホテルへと戻っていった。
興奮してはいけない。
この頭痛は、もしかすると何かの啓示なのかもしれない。
暗殺者という役割を果たすために、常に冷静でいろという啓示なのかもしれない。
リスクコントロールのためにキャプテンを殺す。
そんな自分がこうも怒りに苛まれていては、何もうまくいかないではないか――。
「お客さま、おかえりなさい」
ホテルの従業員が明るい笑顔で暗殺者を迎えた。
「2日……いや、あと3日延泊してください」
暗殺者は自らの傷を癒す期間を、あと3日と定めた。
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