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第9話:森に拒まれた設計図
「……森に、図面が喰われた?」
その言葉に、設計士の肩がビクリと跳ねた。
魔央建設・構造設計第六班のミルカ・サーヴェは、膝に置いた巻物をきゅっと握った。
鮮やかなえんじ色の作業ケープを羽織り、首には風乾した草を編んだネックリング。
目元は丸く、茶色い瞳の奥には神経質な輝きが宿っている。
向かいに座るのは、《緑遺域(りょくいき)》と呼ばれる広大な森の“代弁者”を務める女──アラナ・ユメツギ。
全身に蔦を巻き、額に小さな木の実の冠を載せている。
肌は木漏れ日を映すように明るく、目は深い苔色。言葉は少なく、動きも植物のように静かだった。
アラナは、まばたきもせずに答える。
「あなた方の描いた図面は、森に拒絶されました。
設計紙が森の地に触れた瞬間、風にちぎられ、根に引き込まれたのです。
それが、この地の意思です」
ミルカは顔をしかめた。
「……意思って、設計に口出しするの?」
「はい。この森では、“合わぬ形”は消されます。
だから、設計そのものを“森の流れ”で描き直してほしい」
そこへ、ふわりと音もなくイネくんが現れた。
イネくん──水色の半透明の球体。
彼は何も話さず、ただゆっくりと空中に模様を描き出す。
それは、線ではなかった。花のつぼみのような“膨らみ”と、“散りゆく粒”の連なり。
ミルカがそれを見て、ゆっくり言葉を継いだ。
「……これ、“図面”じゃなくて、“育つ設計”ですね。
成長の途中段階までしか描かれてない」
アラナは、わずかに頷いた。
「そう。“完成”という概念は、森にはありません。
だから、“未完成であること”を設計に含める必要があります。
あなたたちの都市設計に、“変わることを許す余白”をください」
ミルカは腕を組み直し、小さく溜息をついた。
「なるほどね。固定化しない壁、可変式の床、自然に侵食される屋根……
“完成させずに渡す都市”。
そんな考え、教科書じゃ一度も習わなかったけど──
……イネくん、やれる?」
イネくんは一回、空中でくるりと一回転した。
そして、設計空間に散らした点たちが、わずかに揺れながら**“今この瞬間だけの配置”**になった。
「了解。商談成立です」
ミルカが端末に契約魔印を刻むと、それがゆっくりと“葉”の形になって光を放った。
アラナは、はじめて口角をわずかに動かした。
それは笑みではない。だが、“受け入れた”という表情だった。
工期は、“終了を定義しない”という条件で始まった。
森の中に設けられた街は、建てた側の意図から少しずつ形を変え、
雨や草木の動きに合わせて、構造そのものが変化する。
完成しない街。けれど、消えもしない街が、そこに存在した。