なぜ私は、こんな地べたに這いつくばっているのだろう。
思いっきり転んだのだろうか、身体の至る所に痛みを感じた。
おそらく、痛みの強い部分からは出血もしている。
目の前に見えている手のひらからも、擦り切れているところから血が滲んでいた。
「痛い」
そう呟いた。
私の前には男が立っていた。
今は夜、辺りは暗く、どんな顔をしているのかよく見えない。
「あなたの血が必要なんです」
男が話しかけてきた。
中世的な声色だった。
私の血が必要ってどういうこと?
全く状況が理解できない。
私はただ、自分の家に帰ろうとしていただけだったのに――。
数時間前、私は仕事で自分の家から歩いて一時間程の街まで来ていた。
「小夜ちゃん、こんな時間にごめんなさいね」
「大丈夫だよ。おじいちゃんの具合はどう?」
私の名前は、一条 小夜《いちじょう さよ》 十七歳。
世は大正時代の日本。
私は、父と母の影響から薬師《やくし》として営んでいる。
店を構えているわけではない。
病気で家から出ることのできない人々の家を回り、薬を売っている。
薬について教えてくれたのは、父と母だった。
そんな父と母は若くして、三年前に流行り病で亡くなった。
「小夜ちゃんの薬のおかげでね、咳き込むことが少なくなったんだけど。今日は、熱があるみたいで」
「おじいちゃん、ごめんね。身体を触るね」
身体が熱いが、咳は出ていない。
汗をかいている。
呼吸は、安定している。
「おばあちゃん、おじいちゃんにたくさん水を飲ませてあげて。脱水かもしれない」
私は、医者ではない。
なので、医者のような診断や治療はできない。
自分の経験から考えるしかないのだ。
「一応、熱が下がるお薬を置いて行くね。でも、ちゃんとお水を飲ませてあげて。ご飯は無理に食べさせないでも大丈夫だよ」
この状態で無理に何かを食べようとすると、肺に異物が残ってしまう。
「これで数日、様子を見て。もし治らなかったらもう一度私を呼んで」
「わかった。ありがとうね。お金があって、お医者さんに連れて行ければいいんだけど」
この家は、高齢のおじいちゃんとおばあちゃんが二人暮らし。
自分の畑で採れた野菜や米などを売って生活をしていた。
だが最近、おじいちゃんの具合が悪く、商いができていない。
お金がないのはわかっている。
薬を置いて帰ろうとした時、おばあちゃんが私を呼び止めた。
「小夜ちゃん。本当に申し訳ないのだけれど、お金がなくてね。今日のお薬代、また今度にしてくれる?」
「うん。もちろん大丈夫だよ。おじいちゃんの具合、早く良くなるといいね」
私の薬の原料はほぼ、山で採れる薬草、人間が肉として食べる獣のいらなくなった臓物などである。
私の生活も正直苦しいが、それ以上に誰かが喜んでくれたり、元気になってもらえる方が嬉しい。父と母を病で亡くしているので、そういった気持ちの方が大きいのだ。
「その代わり、この間畑で採れたお野菜があるの。持って行って」
「えっ、いいの?ありがとう」
人参、だいこん、玉ねぎ、さつま芋、これでしばらくは食べるものには困らない。
「夜、遅くなってしまってごめんね。気をつけて帰ってね」
外を見ると、太陽はとっくに沈み、月が出ていた。重たい薬箱を背負い、おばあちゃんからもらった野菜を持って帰っている途中であった。
「あと、三十分くらいで家に着くかな」
そんな時だった。
暗くて良く見えなかったが、前方から男が歩いてきた。
黒い着物、腰には刀が差さっていた。
こんな時間に珍しいと思ったが、挨拶程度に軽く会釈をした。
すると、男は一旦私の前で立ち止まった。
「あなたの名前は?」
突然話しかけられ、驚いたが
「一条小夜です」
「そう。あなたが一条小夜さんでしたか」
男はそう言うと、私に近寄ってきた。
なぜ私のことを知っているのだろう。
その瞬間、男は腰にある鞘から刀を抜いた。
「えっ?」
思わず、声をあげてしまった。
「残念ながら、ここでお別れです。あなたの死は無駄にしませんので。安らかに眠ってください」
この人、本気だ。初めて自分に向けられた殺気のようなものを感じた。
殺される一一。
私は男に背を向け、逃げようと走りだした。
その刹那、男から振り下ろされた刀が後ろに背負っていた薬箱を切ったのだろう、その衝撃で私は転んでしまった――。
思い出した。
急に襲われたんだ。
私はここで殺されるの?
なぜ殺されるのか、私の血が必要とはどういうことなのか、わからなかった。
恐怖と痛みで身体を動かすことができない。
「さようなら」
うつ伏せになっている私に、男が刀を私の身体に向かって垂直に振り下ろそうとしていた。
ここで死ぬんだ。
私は目を閉じた。
その刹那ーー。
「やめろ」
少し低い、違う男の声がした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!