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誰も信じてくれなかった。
あの日、教室中に流れた「加工された声」が、すべてを壊した。
「みなみが川村をいじめてた」
そんな嘘を、誰もが本当だと思った。
――たったひとつの録音で。
水瀬みなみは、教室の窓際にある自分の席に座ったまま、無言でノートに文字を走らせていた。周囲は騒がしく、それでいて、みなみには自分がそこにいないかのように感じた。
声をかけてくる人はもういない。かつて優しくしてくれたクラスメイトたちも、目を合わせようとしなかった。
だけど、それより何より――仁が、信じてくれなかった。
「……私、何か悪いことしたのかな」
自分の中に湧いてくる罪悪感に、理由なんてなかった。ただ、誰にも信じてもらえなかったことが、何よりもみなみを苦しめていた。
その日、放課後。図書室へ行く気にはなれなかった。あの静かな空間さえ、今のみなみにとっては、逃げ場所ではなくなっていたから。
なのに。
「……みなみ」
名前を呼ばれた瞬間、足が止まった。
振り向くと、そこにいたのは――仁だった。
みなみは言葉を失った。彼とは、もう一週間もまともに話していなかった。
「俺……お前のこと、ちゃんと信じたくて。だから、調べた」
仁は少し息を荒げながら、スマホの画面を差し出してきた。
「川村のスマホ、借りたときに……録音編集の履歴、見つけたんだ。あの音声、加工されてた」
みなみは一瞬、何を言われているのかわからなかった。
「……え?」
「ごめん。あのとき、俺……信じきれなかった。だから、ちゃんと自分の目で確かめたかった。……俺、最低だよな」
仁の声は震えていた。
その表情が、みなみの心を揺らした。怒りよりも、悲しみよりも、心の奥からこみ上げるものがあった。
「……ありがとう」
その一言が、やっと口から出た。
仁は驚いた顔をして、それからふっと微笑んだ。
「俺、川村の嘘、暴く。だから、もう一回だけ……信じてほしい」
みなみは、仁の目を見た。
その瞳の奥に、あの頃と変わらないまっすぐな優しさがあった。
「……うん」
弱々しいけど、確かな答えを返した。
仁が信じてくれるなら、また立ち上がれるかもしれない――そう思えた。
そして、次の日から。
仁とみなみは、川村の嘘を暴くために動き始めた。
今度は、二人で。
──翌日。
みなみは久しぶりに、仁と一緒に登校した。まだクラスの視線は冷たかったが、それでも昨日までのような絶望感はなかった。
仁の隣に立っているだけで、ほんの少し、呼吸がしやすくなる気がした。
「……これ、本当に大丈夫かな」
下駄箱の前で、みなみが不安げにこぼす。
仁は短く頷いた。
「大丈夫。川村は証拠を自分で持ってる。編集アプリの使用履歴とファイルの作成時間を照らし合わせれば、偽装した証拠だってわかる」
「でも、それをみんなに見せたって……信じてくれるとは限らないよ」
「だからこそ、やるんだ。黙ってたら、ずっとお前が悪者にされたままだ。俺は……もう、あのときみたいに迷わない」
仁の言葉には、はっきりとした決意があった。
1週間前。
仁は、あの録音に混乱して、みなみの目を見てやれなかった。
信じるより、疑うほうが「正しそう」に思えた。でもそれは、逃げだった。
「俺、あのとき……“証拠があるから”って、信じる努力をやめたんだ」
みなみは仁をじっと見つめた。そこにあるのは、ただまっすぐな後悔と、償いたいという想いだった。
「仁くん……」
「俺、もう一度……お前とちゃんと向き合いたい」
みなみは目を伏せ、小さく笑った。
「……いいよ。私も、もう逃げない」
そのとき、初めて2人は、誰に見られていても構わないというように、肩を並べて歩き出した。
昼休み、仁は行動に出た。
クラスの前に立ち、自分のスマホとパソコンをつなぎ、プロジェクターで画面を映した。
「みんな、少しだけ時間をくれ」
ざわつく教室。川村は後ろの席で余裕の笑みを浮かべていた。
「この前の音声、聞いたよな。でも……それ、加工されたものだって証拠がある」
仁はアプリの編集履歴、加工前のファイルのタイムスタンプ、川村のスマホに残っていたキャッシュデータを見せた。
静まり返る教室。
「……そんなの、でっち上げじゃないの?」
川村が言い返すが、仁は一歩も引かずに言った。
「なら、先生と一緒に確認しよう。どこでどういう操作をしたか、証拠は全部残ってる。川村、お前がやったんだよ」
川村の表情が初めて、引きつった。
「……ちがっ……私は……」
言い訳を並べようとする声が、徐々に弱くなる。クラスメイトたちの視線が、静かに川村に向き始めていた。
みなみはその場で何も言わなかった。ただ静かに、仁の背中を見つめていた。
彼が、自分のためにここまでしてくれている――その事実が、胸にじんわりと染みていた。
放課後、二人で図書室に行った。いつもと同じ席に並び、いつもと同じように静かに本を開く。
でも、今日だけは仁が先に口を開いた。
「少しは、取り戻せたかな。お前の、場所」
「……うん。でも、それよりも……」
「それよりも?」
「仁くんが、私のこと信じてくれた。それが……一番嬉しかった」
その言葉に、仁は一瞬言葉を詰まらせ、照れくさそうに笑った。
「そっか。……よかった」
夕焼けの光が、図書室の窓から差し込んでいた。
優しいオレンジ色に染まる中、二人の距離は、また少しだけ近づいていた。