私のこれまでを振り返ろうと思う。
名前は三浦葵。当然ながら小説内の仮名である。名字は推している舞台俳優のものをお借りしている。
母は私を40歳で出産した。高齢出産はリスクが付き物と言われるが、私が心臓の疾患を持って生まれたこと以外は、母子共に健康だった。その疾患も幼少期の手術のおかげで今は全く弊害はない。
そして、物心ついた頃には私に父はいなかった。幼い頃は「父は病気で亡くなった」と言い聞かされていたが、成長するにつれて何となく離婚したことを察した。母と2人暮らしだったが、貧乏な思いも不便な思いをした記憶はない。私を女手一つで育てるのに相当頑張ってくれていたと思う。
閑話休題。
私の初めての自傷行為は、小学校5年生の時に始まった。
原因はいじめだ。
小4までは良い担任の先生とクラスメイトに囲まれていた。
しかし小5に上がる前に行われたクラス替えで、いわゆる問題児の多いクラスに入ることになってしまった。
その上、担任発表で私の担任として紹介された教師は、気に入った生徒への依怙贔屓や、児童たちの間の不和を解消するどころか助長させるなど、あまりいい噂を聞かない男性教員だった。
本当にこのクラスでやっていけるのかな。
幼い私は不安でしかなかった。
私の通っていた小学校では、小3と小5の時にクラス替えが行われる。つまり、あと2年間はこのクラスなのだ。
その上、私は中学受験を控えていた。
件の男性教員には「採点を面倒臭がって本来やるべきテストをやらない」
「授業を辞めて突然ギターを弾き始めて生徒には分からない昭和の曲を歌うなど、自分のしたいことを始める」
という保護者からの苦情が付き物だった。
他の児童からしたら面倒くさい授業をやらない良い教師なのかもしれないが、中学受験を1年後に控えた私にとっては致命的でしか無かった。
そして、そんな私の心配は見事に的中した。
曰く、優等生ぶっていて生意気だと。
曰く、休み時間も本を読んでいるだけで根暗だと。
曰く、先生の「無駄話」の時間に、内職で中学受験の勉強をしていて気持ち悪いと。
筆箱は何回無くなったか分からない。
買ったばかりの長靴は履いてきたその日に盗まれ、トイレの物置で汚れた状態で見つかった。
ブス、ガリ勉、キモイ、など、取るに足らない悪口が私の幼い心を深く傷つけた。
飛んできた給食袋を避けきれず、顔面に直撃して驚いた私をみんなが笑い、驚いた私の顔を誇張した変顔で男子が真似しあった。
椅子に座っていたところを男子に強く蹴られ、おおきな青痣を作って帰ったこともある。
そしてそれは担任の前でも平然と行われた。担任は自分の机の上で黙々と作業をしていた。
ブス、キモイ、などの暴言が上がっても、私が泣き出しても、何も言わなかった。
彼が口を出すのは、男子のからかいが長引いて、休み時間が終わるチャイムがなっても続いた時だけだ。
「もうすぐ授業になるから座りなさーい。」
面倒臭そうな間延びした声を、9年経った今でも覚えている。
小4までは毎日笑顔で登校し、母よりも先に起きて学校に行く支度をするほど、学校を楽しんでいた私だ。
そんな娘が小5に上がってから急に起きるのが遅くなり、学校に行くのもノロノロと支度をするようになったのだ。
何も言わずとも母にはいじめを受けていることがすぐにバレた。
「ママが学校に話つけてくるからね。」
私の話を聞いた母は怒り狂って、学校に何度も電話を入れた。直接出向いて、担任と校長を交えて3人で話し合ったこともある。
それでも、改善はされなかった。
それどころか、状況は悪化した。
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