テラーノベル
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ヴァイスとの再会から、伊吹の日常はより一層張り詰めたものになった。もかの異変は、日を追うごとに顕著になっていった。朝はますます起きるのがつらそうになり、昼間もどこかぼんやりとしている。それでも、放課後になると急に元気になるのは相変わらずだった。しかし、その顔に、以前のような無邪気な明るさがないことに、伊吹は気づいていた。
体から漂う甘い匂いも、次第に強くなっていった。伊吹の気のせいかと思っていたが、もかの部屋の前を通るだけで、微かに甘く、人工的な香りが鼻につくほどだった。まるで、焼きたてのマシュマロか、砂糖菓子のような、どこか不気味な匂い。
ある日の夕食時、母が箸を止めて、心配そうにもかの顔を覗き込んだ。
「ねえ、もか。最近顔色悪いけど、大丈夫?それに、体から甘い匂いするし…お菓子食べすぎなんじゃないの?」
「うん、大丈夫。ほんとに、ちょっと食べすぎただけだから」
もかはぶっきらぼうにそう答えたが、父も「そういえば、最近あんまり宿題してるの見てないな」と眉をひそめた。
「もう中学生なんだから、ちゃんとやらないとダメだぞ」
両親の心配にも、もかは「うるさいな」と反発するばかりだった。伊吹は、その会話を黙って聞いていた。もはや両親の目にも、妹の異変は明らかだった。しかし、彼らに魔法の代償などという突飛な話が出来る訳もなかった。伊吹は、一人で抱えきれないほどの重圧に押しつぶされそうだった。
もはや、伊吹はヴァイスの待てという言葉に従うことしかできなかった。しかし、いつ終わりが来るのかも分からない監視の日々は、伊吹の精神をじわじわと削っていった。
そんな日々が、数週間続いたある夜のことだった。
伊吹は、もかの部屋から話し声が聞こえることに気づいた。
「ねぇ、シュガリ…わたし、伊吹から変なこと言われたんだ。魔法使うと、体がメレンゲになる代償があるんだって。それってほんとなの?」
もかの声が、不安そうに震えているのが聞こえた。
「たまに、魔法を使いすぎると、体が疲れちゃうことがあるシュガ。それで、甘いものが欲しくなったり、体が少し固くなったりすることはあるシュガ。でも、それはまだほんの始まりシュガ。ガレット公爵様なら、そんなのすぐに治してくれるシュガ!」
シュガリの甲高い声が、もかの不安を打ち消すように響く。
「だって、ガレット公爵様は、全ての魔法少女の力を集めて、スウィート公国を救おうとしてる偉大なお方シュガよ?もし、もかが本当にそんな風になったら、公爵様が何とかしてくれるシュガ!」
「そう、だよね……!ガレット公爵様なら、きっと助けてくれる……!」
もかの声が、再び希望に満ちていく。伊吹は、その会話に息をのんだ。シュガリは代償の存在を認めつつも、それを都合の良い解釈で捻じ曲げ、ガレットへの信頼を植え付けているのだ。
その瞬間、伊吹の脳裏に、ヴァイスの言葉が蘇った。
─奴は魔法少女から魔力を搾取し、それを使ってこの世界にまで手を伸ばす
シュガリが言うガレット公爵は、やはり恐るべき敵だった。
伊吹は、すぐにでももかの部屋に踏み込みたかったが、ヴァイスの待てという言葉が脳裏をよぎった。今動けば、シュガリに警戒されてしまうかもしれない。伊吹は、息を潜めて、もかの部屋の様子を伺っていた。しかし、その後、部屋からは何も聞こえなかった。そのまま、夜は静かに更けていった。
翌朝。
伊吹が目を覚ますと、リビングから母の焦った声が聞こえた。
「もか、まだ寝てるの?もう起きないと遅刻するよ!」
伊吹は寝ぼけ眼でリビングに向かうと、もかの部屋から出てきた母が、顔を青くして立ち尽くしているのが見えた。
「母さん?どうかした?」
伊吹が尋ねると、母は震える声で答えた。
「もかが……もかが、どこにもいない…!」
伊吹は、全身から血の気が引くのを感じた。もかの部屋に駆け込むと、ベッドは綺麗に整えられており、もかが寝ていた気配はなかった。シュガリの姿もない。部屋の片隅には、もかが大切にしていた、プリムのでかぬいぐるみ寂しそうに横たわっていた。
その日、両親は学校や友人の家に片っ端から電話をかけたが、もかの行方は分からなかった。警察に相談する、という父に、伊吹は「待って父さん!」と言うしかなかった。魔法の代償だの、メレンゲドールだの、そんな話を誰に信じてもらえるというのか。
伊吹は自室に戻り、掌にある宝石を、震える手で握りしめた。ヴァイスに相談するしかなかった。昨夜、もかの部屋に踏み込むべきだったという後悔が、伊吹の胸を締め付けた。
その日の深夜、伊吹の掌にある宝石が、突如、激しく光り始めた。
伊吹は、宝石を握りしめ、ベランダに飛び出した。夜空には、先ほどまで見えていた月が、不気味なほど赤く染まっていた。その光景は、まるで異世界の門が開く、前兆のように見えた。
(……ヴァイス……!)
伊吹が心の中で叫ぶと、空間がねじれるように歪み、ヴァイスが姿を現した。彼の額の宝石も、激しく脈打つように光っていた。
「ついて来い、伊吹。……儀式が、始まる」
ヴァイスの言葉は、まるで夜の闇そのもののように、静かで重々しかった。伊吹の心臓は、恐怖と、しかし妹を救うという決意で、激しく脈打っていた。
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