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「いいから、お願い」
そう言われ、俺は電話を諦めた。
「どうして、こんなことになったのかわからないけど、たぶんこの病気は感染するわ」
「そんな馬鹿なこと」と言いかけて口をつぐむ。
「ええ、そうね。でも事実よ。だから、絶対に会社には行っちゃだめ」
「でも、仕事が」
そう言うと、彼女は俺の肩を強く掴み、睨んできた。
その迫力に俺は押し黙った。彼女、高橋 沙羅は、俺の妻である。俺の勤める会社は、大企業である。俺はそこの研究部門で働いている。俺の仕事は、新薬の開発。今は、ある感染症について研究している。
俺の名前は、田中 隆志。年齢は27歳。独身。趣味は読書。
最近ハマってるのは、推理小説を読むこと。金曜の夜に、妙なものを見るようになってからというもの、俺は、小説や映画といったフィクションの世界に惹かれるようになった。中でも一番好きなのは、推理物だ。それも特に本格ミステリと呼ばれるジャンルの作品が好きだ。
金曜の夜に見るものといえば悪夢だった。ただの夢だと思っていたのだが、どうやら違うらしいと気がついたのはつい最近のことだ。最初は、高橋の身に異変が起きた。
高橋が高熱を出したのが金曜の晩。翌土曜の朝、高橋が突然苦しみ出した。急いで救急車を呼んだが、高橋はそのまま亡くなった。死因は急性心不全。原因は不明。そして、次のターゲットとして選ばれたのが、田中だった。田中 隆志は、中小企業でサラリーマンをしていた。ある日、会社の上司に呼び出された。そこで告げられた言葉は衝撃的なもので、彼は絶望した。
結婚3年目の妻とは、上手くいっていなかったわけではないが、お互いに干渉し合わない関係を保っていた。子供もいないことから共働きという選択をした二人だったが、生活リズムの違いからすれ違いが増え、最近では会話すらほとんどなくなっていた。だがそれでも夫婦関係は続いていたし、お互いそれで納得していたはずだった。それが一体なぜこうなったのか…… それは彼が、とあるウィルスに感染していたことが原因であった。
そのウィルスは、体内の免疫機能を低下させることで、身体の恒常性(ホメオスタシス)を保つ機能を狂わせてしまうというものだった。それにより、自律神経の乱れを引き起こし、体調不良を引き起こす。それがやがて、精神的にも影響を及ぼしていく。田中 隆志は、自分が今置かれている状況を理解しようと必死だった。目の前にいる女性が、自分を呼んでいる。何だか頭がぼぉっとしている。そして自分は、その声の主をどこか知っている気がした。
田中 隆志は、夢を見ていた。いつもと同じ夢だ。真っ暗な空間に、自分ともう1人誰かがいる。いつもはそれだけだったはずなのに、今回は違った。暗闇の中に、ぼんやりとした光が浮かんでいるのだ。その光は徐々に大きくなっていき……やがて人の形になる。そしてその人物は言った。「私はあなたです」
その声は、自分自身の声に聞こえた。「私は、あなた自身なんです」
「私はあなたの心の奥底にある願望を具現化したもの」
「あなた自身が望むものを、私は叶えることができるのです」
「私の力を使ってください」
「私と共に歩んでいきましょう」
「私と一緒になってくれるんですよね?」
「私を愛してくれるんですよね?」
「一緒に行きましょ」
「ずっと一緒ですよ」
「愛してます」
「大好き」
「結婚してください」
「私と結婚してください」
「田中さん」
「私は田中さんが好きです」
「田中さんは?」
そこまで聞いて田中は我慢の限界に来た。
「うるさい!俺を冥土に連れてこうなんて百年早い」
怒鳴ると目が覚めた。同時に熱が引いていく。
そうか、わかったぞ。金曜病ウイルスの弱点は怒りだ。アドレナリンだ。アドレナリン分泌を促すために感情を昂らせろ。よし、じゃあ高橋に電話をかけてやるぜ!
私は、今まさに田中に電話をかけようとしていたところだった。だがその直前、高橋は、携帯電話を操作して、発信履歴を見た。するとそこにあったのは彼の名前。私は彼の番号を知っているが、登録していなかったことを思い出した。
私は自分の携帯を取り出し、アドレス帳に登録する。これでいつでも彼に連絡することができる。
だが、私が電話しようとすると、まるでそれを察知しているかのように着信があった。
「もしもし?」
「おーい、高橋ー」と田中の声がした。
「あ、すみません。間違えました」と通話を切る。おかしい。何故私だと分かったのだろう。
不思議に思いながら私はまた、田中に電話した。
「高橋ー」
「あ、すみません。間違えました」
そう言ってすぐに切る。その後、何度も田中に電話をかけたが、「高橋ー」と出るばかりで繋がらなかった。仕方がないのでメールを送ることにした。
『田中さん、今日は何の日かご存知ですか?』
送信してから、少し不安になった。田中は、金曜病に侵されているはずだ。
「あれ?」と高橋は首を傾げた。おかしい。田中からの返信が来ない。もしかして、何かあったんじゃ……高橋は心配になり、田中の自宅へと向かった。インターホンを押しても反応がない。ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかった。
「入るよー」と言いながら部屋に入る。リビングまで行くとソファの上に横になっている田中を見つけた。「ちょっと大丈夫なの?具合悪いなら病院行かなきゃダメじゃない」と言いながら近寄ると、「うわっ」と言って後ずさりされた。田中の顔や腕に「金」という蚯蚓腫れがたくさん出来ていたからだ。
「高橋。近づくな。うつるぞ!」
「え?どういうこと?あんた病気なんでしょ?治らない病気って聞いたんだけど」
「あぁ、そうだよ。でも、感染しない病気なんだ」
「えぇ?なにそれ。意味わかんないよ」
「俺だってわからんさ。ただ、俺が発症したのは、高橋と付き合ってからなんだ」
「え?それって……」
「あぁ、俺はお前のことが好きだったんだと思う」
高橋は絶句していた。まさか、そんな風に思われてるとは思わなかった。
「え、でも、私、そんなこと言われても、田中さんのことは……」と言うと田中は泣き出してしまった。
「ごめん、困らせて悪かった。今のは忘れてくれ。頼む」
そう言われて高橋は戸惑った。正直田中のことが嫌いではなかったが、そういう意味では好きになれなかった。そもそも、自分には夫と子供がいて……などと考えているうちに涙が出てきた。
そして高橋は気を失った。薄れゆく意識の中で、ふと思った。もしかすると金曜病の本当の狙いは……気がつくと高橋は自宅のソファーで眠っていた。
田中が隣に座っていた。時計を見ると夜中の3時だった。いつの間に帰って来たのだろうか……と思っていると、彼が口を開いた。どうやら看病してくれたらしい。高橋が寝ている間に近所の薬局に行き、解熱剤や栄養ドリンクなどを買えるだけ買い込んできたようだ。
だが高橋には疑問が残る。どうやってこの症状が感染するものだと見破ったのかと。すると彼はこう答えた。高橋にはまだ話していないが、金曜病の正体を突き止めたのは自分だと。そして自分は金曜病を克服できる人間なのだと。その言葉に嘘はないらしく、彼は、自分の身に起きている現象について語ってくれた。
曰く、自分の体には他人の思考が流れ込んできているという。最初は、自分がおかしくなったのかと思っていたが、高橋のことも、同僚のこともよく覚えているのだという。
どうやらその能力は感染能力があるらしい。そう考えてみると納得できた。彼は私よりもずっと前から金曜病を患っていたことになる。
彼は、金曜日に体調が崩れるようになった理由について、ある推論を立てた。その推論は驚くべきものだった。それは、この感染症のワクチン開発に必要な要素についてである。彼は、その仮説に基づいて実験を繰り返していたのだと語った。「高橋、俺はこれからやらなければならないことがある。
俺はそのために生きなくちゃいけない。だから俺は、金曜病を克服しようと思う。金曜の夜が来る度に発症するのは、辛いことだけど、それでも乗り越えてみせる。
高橋にも協力して欲しい。俺と一緒に頑張って欲しい」と真剣な表情で訴えかけてきた。彼の気持ちに応えたかった。そのためにも、私も一緒に戦う決意をした。それからというもの、私たちは協力して、研究に取り組んだ。まず行ったのは血液検査だった。抗体価を測定し、陽性だった場合は投薬を行う必要があるからだ。
その結果は陰性だった。
だが念のためということで次のステップへ進むことにした。
次の段階は免疫細胞にウィルスに対する耐性を持たせていくことだった。
私はそのことについての知識はなかったが、田中は詳しいようで、彼に任せることにした。まず、私たちの体内にいるリンパ球に対して様々な薬剤を投与していった。
そして一週間が経過したとき、驚くべき結果が出た。
「免疫細胞の遺伝子が書き換えられている?」
「その通りだ。俺たちの身体の中に入ってきた細菌ウィルスは、自然免疫系によって駆除されるようになっているんだ。これがワクチンの役割だ。つまり俺がやったのは免疫システムの制御ということだ。これによって、俺達の身体はより強固なものへと生まれ変わることができるようになる」
「すごい……!じゃあこれを使えばみんな助かるかもしれないってわけね」
そう言うと田中は嬉しそうな顔をした
「そうだな」そしてこう続けた。
「ところでお前は俺のことを愛してるか?」と
そう言われた瞬間、私は動揺した。今まで愛してるなんて言ったことはなかった。恥ずかしくて言えなかったのだ。しかし今言わなければ後悔することになる。
私は意を決して言った。
「もちろん愛してますよ」
田中の顔が赤くなった気がした。そして彼は、「ありがとう。じゃあ俺と結婚してくれるか」と言った。私は「はい喜んで!」と答えた。
すると田中が「よし、契約成立だな」と言い出した。あれ?何か違うような……と思って聞いてみると「契約書にサインを貰おう」とのことだ。「何の契約ですか?」と聞くと、「夫婦になるためのだよ」
「えぇ!?」
「何だ嫌なのか?」と聞かれたので「いやいやいや」と答えると、「よし、なら決まりだ」と言ってきた。こうして私達は結婚した。