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第11話「釣りっ子の川べり」
川の音は、いつもよりゆっくりと聞こえた。
コトコト、と、鍋が沸くみたいな音。
ナギはその音に包まれながら、浅瀬の石に腰を下ろしていた。
足首まで水に浸かって、細い釣り竿を握る。
針にはなにもついていない。けれど、糸の先には“何か”がある気がして、目を離せなかった。
「釣れるかな」
ユキコが隣でつぶやく。
今日はうす緑のワンピース。
すそのレースは風に揺れて、膝より少し上に透けている。
けれど、その脚は──水に触れても、波紋が生まれなかった。
ナギはそのことに気づいていたけれど、何も言わなかった。
「釣れたらどうする?」
ユキコが問う。
「……わかんない。でも、ちょっとだけ、うれしいかも」
「もし、釣れたのが“前に落とした気持ち”だったら?」
「それ、いる?」
「ううん。いらないけど、返したほうがいいかなって思って」
ナギは少し笑った。
でも、目の奥では波が揺れていた。
笑ったのに、胸の奥が重かった。
竿の先が、ぴくりと動いた。
ナギはすぐには引き上げなかった。
水面に映る自分の顔が、まるで誰か別の人みたいに見えたからだ。
「あ」
糸をゆっくり巻くと、小さな瓶がついていた。
瓶の中には、文字のようなものが浮かんでいる──でも、それは読む前に、にじんで消えてしまった。
「忘れた言葉?」ユキコが聞く。
「……かも。でも、知らない人のものかもしれない」
「じゃあ、届けてあげよう。この川、どこまでもつながってるから」
ユキコは、瓶をそっと受け取る。
でも──その手から瓶が落ちる瞬間、指がふれた気がした。
ひんやりとして、風より冷たくて、でも人肌ではなかった。
「ユキコ……」
「なに?」
「わたし、ほんとうにここにいるのかな?」
「ナギちゃんは、わたしの釣り友だちだよ。それでいいんだよ」
そう言ったユキコの声は、水面の奥から聞こえたようだった。
ナギがふと目をそらすと、水面には──ユキコの姿が、映っていなかった。
風が吹いて、空の雲が流れた。
ナギのシャツの袖が濡れて、乾いて、また濡れていく。
川の音は、やさしくて、でもどこか終わっていく音だった。