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◆◆◆
長いこと走らせ続けてきた車のエンジンを止めると、俺は目の前に建つ年季の入った日本家屋を眺めた。
「相変わらず、ボロいな……」
中学まで自分が暮らしてきた家を見つめてそう呟くと、車から降りて玄関先へと続く道を歩き始める。
────コツンッ
(ん……?)
何かを蹴飛ばしたような感触に、俺は自分の足元へと視線を落とした。
(これは……)
地面に転がっていた靴を拾い上げると、マジマジとそれを見つめる。
(……っ! やっぱり、そうだ!)
この靴は、あの時智に井戸の中へと捨てられたもの。
(何で……これが此処に……?)
やはりあの時、智は井戸になど捨てていなかったのだろうか? そう考えてみるも、それでも今になってこの場所にある事が不思議でならない。
(…………! きっと、あいつらの仕業だ)
俺が帰ってくると知った司か隆史のどちらかが、また俺に嫌がらせをしているに違いない。あの時、やはり井戸になんて捨てずに隠し持っていたのだろう。
十年経っても変わらない関係にウンザリとしながらも、明日の告別式で恥でもかかせてやろうとほくそ笑む。
田舎から出た俺は、母親に楽をさせたい一心で猛勉強をした。その甲斐あって、ストレートで有名大学へと進学すると、そのまま大学を卒業して一流企業へと就職をした。
そう──今の俺は、昔とは違う。
足元の高級な革靴を眺めてフッと鼻で笑うと、俺は手の中にある薄汚れた靴を遠くへと放り投げた。
◆◆◆
──翌日。
告別式の受付が開始される中、やっと手の空いた俺は煙草を吸いに外へと出て来た。煙草に火を着けようと、何気なく受付を流し見た──その時。
その懐かしい人物の姿に目が止まり、ピタリと止まった俺の右手。十年経っても記憶の中にいる姿と変わらないその可憐さに、俺は思わず見惚れてしまったのだ。
この田舎で、俺に優しく接してくれた人と言えば、祖父母と母親以外では彼女だけだった。河原美香。そう──彼女は俺の初恋の人。
俺の視線に気付いた彼女は、その場で軽く会釈をすると俺の元へと歩み寄った。
「この度は、誠にご愁傷様さまです。……久しぶりだね、公平くん」
「……うん。久しぶり、河原さん」
親父の事などどうでも良かった俺は、それだけ答えるニッコリと微笑んだ。
「──きゃあーーっ!!!」
────!!?
突然聞こえてきた大きな悲鳴に、何事かと騒ぎの方へと視線を向けてみる。すると、人など殆どいない受付の横で、なにやら一人の女性が騒いでいる。
「……ごめん。ちょっと行ってくる」
「あっ、うん。……また後でね」
(何なんだよ、一体……)
俺は面倒に思いながらも、河原さんを残して一人受け付けへと向かった。
未だに一人で騒いでいる女性に近付くと、「猫が! ……っ、猫が!」と地面を指差している。俺はその指先を辿るようにして、少し先の地面へと視線を向けてみた。
────!!!
(っ、……何だよ、これ……っ)
頭から血を流して横たわる黒猫を見て、その気持ち悪さに思わずたじろぐ。
その顔は原型をとどめぬ程にグチャグチャで、見ているだけで吐き気がする。
(なんて最悪なんだ……っ。どうすんだよ、この死体。俺が片付けなきゃいけないのか……?)
上から落ちて来たと言う女性の言葉に、俺は目の前の大木を眺めると大きく溜息を吐いた。
◆◆◆
「公平。今、ちょっといいか?」
告別式も無事に終わり、部屋の片隅で食事をとっていた俺は、その声に視線を上げると声の主を見た。
するとそこには、昔の面影を残しつつも立派な大人へと成長した司と隆史がいた。
「……ああ」
面倒臭そうに答えた俺の態度を特に気にするでもなく、二人は俺の前に腰を下ろすと口を開いた。
「「あの時は……っ、ごめん」」
────!?
俺に向けて頭を下げる二人を見て、予想もしていなかった展開に面食らう。
(あの二人が……。俺に、謝るっていうのか?)
目の前で頭を下げ続ける二人の姿を見て、俺は一度小さく溜息を吐くとその重い口を開いた。
「……いいよ、もう」
(何だか拍子抜けだ)
そう思った俺は、それだけ告げると席を立った。
また何かしてこようものなら、どう鼻を明かしてやろうかと画策していたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
気分転換にと外での一服を終えると、俺は再び部屋の中へ戻ろうと玄関扉に手をかけた──その時。
「──公平には、近付くなよ」
────!?
中から漏れ聞こえてきた話し声に、扉からそっと手を離した俺は身を潜めた。
(……俺の事?)
何やら、俺の話しで揉めているらしい隆史と河原さん。俺はその会話に耳を傾けると、二人に気付かれぬよう息を殺した。
「……あいつはっ! 死んだ親父にソックリだよ!」
河原さんのすすり泣く声が聞こえた後、パタパタと走り去る音を残して静かになった扉の向こう側。
俺はゆっくりと扉を開くと、そこにいた隆史に向かって声を掛けた。
「……隆史。二人きりで話し、いいかな? 色々と聞かれちゃマズいこともあるだろうし、裏庭に行こうか」
突然現れた俺に驚いた顔を見せる隆史。
そんな隆史を見て、俺はゆっくりと口元に弧を描くとニヤリと微笑んだ。
──────
────
「明日には帰っちゃうなんて……せっかく会えたのに、何だか寂しいね」
そう言って俯いた河原さんは、受け付けの横でピタリと足を止めた。
「今度遊びにおいでよ」
「え……? っ、うん」
ほんのりと赤く頬を染めると、嬉しそうに微笑んだ河原さん。そんな姿を見て、やっぱりまだ好きだな、と改めて思う。
「……ねぇ、公平くん。隆史くん何処にいるか知らない? 一緒に帰る約束だったんだけど……見当たらなくて」
「さぁ……俺は告別式で見かけたきりだから、分からないなぁ」
「そっか……」
「俺が送るよ」
「っ、うん。ありがとう」
照れたようにして微笑む河原さんを横目に、歩き出そうと右足を一歩前へと踏み出した──その時。
俺の視界を遮るようにして何かが落下すると、そのまま足元にある地面の上でトサリと軽い音を響かせた。
地面に転がる、見覚えあるポーチ。
(これは……智の……? あの時……確かに井戸の中へ捨てたはず……。空から、降ってき……、た……? っ、え……?)
俺は震える右手でポーチを拾い上げると、先程見た猫の死体と、昨日拾った靴のことを思い返した。
その全ての出来事を思い返しながら、ガタガタと小刻みに震え始めた俺の身体。
(じゃあ……次に、降ってくるのは……っ)
俺は強張る身体をゆっくりと動かすと、絶望に満ちた瞳で空を見上げた。
頭上に広がるその空は、そんな俺を嘲笑うかのように不気味な色で覆われ──。
それはまるで、底なしの井戸の中のようだった。
─完─