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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
791
#サレ妻
都築七美
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金曜の十時、神谷は所長室の扉を開けたまま、机の電話を取った。
「内藤。神谷だ。……ああ。頼みがある。うちの職員で、離婚の相談がある。金の線はこっちで見る。手続きのほうを頼みたい」
真尋は扉の外に立っていた。神谷は手で、入れ、と示した。
「月曜の夜七時。そっちの事務所でいいか。……隣の駅だ、歩いて行ける。……名前は篠原真尋。経理だ。数字の話は早い」
受話器を置いて、神谷は机の上の付箋に『11/10(月)19:00 内藤法律事務所』と書き、真尋に渡した。
「私の大学の同期だ。離婚と相続ばかりやっている。早口だが、間違ったことは言わない」
「ありがとうございます」
「私は税だ。離婚のことは内藤に聞きなさい。金の流れは私が見る」
真尋は付箋を家計簿の九冊目に挟んだ。それから、おとといの夜のことを言った。
「夫が、家を売ると言っています。来週、査定の人が来ると。名義は夫で、私の判子は要らないと」
神谷は机の上の赤ペンを一度、指で転がした。
「名義が夫なら、売ること自体を止めるのは難しい。それは内藤に聞きなさい。私が言えるのは一つだ。ローンの残債と、今の売値を調べること。売れるかどうかは、名義ではなく数字が決める」
「残債は、分かります。返済予定表が家にあります」
「売値は、不動産屋に机上査定を頼めば書面で出る。夫の会社とは別のところに頼みなさい。二社あれば、どちらが本当に近いか分かる」
「はい」
「それも業務だ。顧問先の資産を見るのと同じことをする」
神谷は書類に目を戻した。真尋は扉を閉めて席に戻り、家計簿の余白に『残債/机上査定(夫の会社以外、二社)』と書いた。
昼休み、大久保が真尋の机に飴を二つ置いた。
「篠原さん。所長のこと、聞いた? 冷血所長って呼ばれてる理由」
「いいえ」
大久保は自分の椀を持ったまま、向かいの坪井の席に座った。坪井は昼を買いに出ている。
「五年前。先生が――先代ね、所長のお父さん――倒れて、所長が事務所を引き継いだ年。顧問先の社長が、奥さんと一緒に相続の相談に来たの。奥さんも会社の役員で、二人そろって依頼人。社長の親の相続だったんだけど、所長が帳簿を見てたら、社長が会社の金を別の口座に動かしてるのが分かった。それで所長、奥さんの前で言ったのよ。『ご主人は資産を隠しています。奥様はご存じですか』って」
真尋は箸を止めた。
「社長の前で、ですか」
「本人の目の前で。社長は真っ赤になって、顧問契約を切ると言って帰ったわ。それで業界で『人の家計まで監査する冷血所長』。顧問先も二つ減った」
大久保は飴の包みを剥いた。
「でもね。あの奥さん、今も年賀状くれるのよ。毎年。あのとき言ってもらえて助かりました、って。離婚して、お子さん二人連れて、今は名古屋」
真尋は飴を一つ、カーディガンのポケットに入れた。
「所長は、どうして言ったんでしょう。黙っていれば、顧問先は減らなかったのに」
「聞いたことあるわよ。『数字に嘘があるのに黙るのは、嘘に加わるのと同じだ』って。業務だ、って顔で」
大久保は笑って、自分の席に戻った。
恭平は七時に帰ってきた。金曜なのに早い。
「来週の土曜、十五日。会社の仲介の人間が、家の写真を撮りに来る。二時だ。俺が立ち会う。お前はその日、七五三で神社に行くんだろ。帰りは遅くていい」
真尋は結衣の給食袋を畳みながら聞いた。結衣は二階で、お風呂のあとの髪を乾かしている。
「売るのね」
「売る」
「売るなら、私の頭金の二百万円を、先に返してください」
恭平が、冷蔵庫から出した缶を持ったまま止まった。
「何の話だ」
「この家を買ったときの頭金。四百万円。二百万円はお義父さんたちが出してくれて、残りの二百万円は、私の口座から出しました」
「頭金は、俺の親が出した」
「お義父さんたちの分は、二百万円です。私の分は、二〇一六年の四月十二日に、私の口座から振り込みました。結婚する前に働いていたときの貯金です。通帳にあります。私の口座の通帳も、九年分、全部とってあります」
恭平は缶を開けなかった。
「……そんな昔のこと、覚えてない」
「私は覚えています。日付も、金額も」
真尋は給食袋を置いた。
「売るのは、あなたの名義だから止められないのかもしれない。でも、私の二百万円は私のお金です。売ったお金から、先に返してください」
「あなた」と呼んだのは、結婚してから初めてだった。恭平の顔は、変わらなかった。
「……売ったら返す」
「分かりました。それも、紙に書いておきます」
「紙って何だ」
「家計簿です。いつ、誰が、何と言ったか」
恭平は缶を開けて、一口飲んだ。
「好きにしろ。それと、母さんにも来てもらう。七五三に。お前が家のこと、ちゃんとやってるか、見てもらうからな。パートに出てから、家が荒れてる」
「分かりました」
真尋は家計簿を開いて、十一月七日の欄の下に書いた。『11/7 恭平「売ったら頭金200万は返す」と言った。19:10』。
恭平はテレビをつけた。
結衣を寝かせるとき、真尋は布団の横に座った。結衣は恐竜の本を胸の上に置いたまま、天井を見ていた。
「お母さん」
「ん」
「パパ、新しいおうち、買うの?」
真尋は、布団の端を直す手を止めた。
「どうして」
「パパが電話で言ってた。先週の夜。わたし、トイレに起きて。リビングで、パパが『新しい家』って言ってた。それから、『もうすぐ空く』って」
「誰と電話してたか、分かる?」
「分かんない。でも、笑ってた」
結衣は本を枕の横に置いて、目を閉じた。
「わたし、転校したくない。佳奈ちゃんいるし」
「転校はしないよ」
「ほんと?」
「お母さんが、させない」
結衣は、うん、と言って、布団を顎まで引き上げた。
真尋は電気を消して、しばらく暗い部屋に座っていた。
新しい家。もうすぐ空く。
西町の、三階のベランダに、ピンクのバスタオルが一枚、干してあった。
コメント
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おお、第4話!神谷所長の“冷血”の伝説、めっちゃかっこよかったわ…「嘘に加わるのと同じだ」って台詞、震えた。そして真尋さん、ついに「あなた」呼びで200万の話を切り出したね。家計簿に全部記録してるの、強すぎる。でも結衣ちゃんの「新しい家、もうすぐ空く」からのピンクのバスタオル…これヤバい伏線すぎる。続き気になりすぎて今夜眠れそうにない🔥