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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
791
#サレ妻
都築七美
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「結衣。今日、パパの職場、見に行こうか」
土曜の朝、恭平が出ていって一時間ほどして、真尋は洗い物の手を止めて言った。
結衣はソファで恐竜の本を広げていた。
「パパのお仕事のところ? 行っていいの?」
「お家を売ってるところだから、誰でも入れるの。モデルハウスっていう、見本のお家があるんだよ」
「見たい」
真尋は、結衣に昨日より少し丁寧に髪を結んでやった。自分は紺のカーディガンに、いつもの手提げ。家計簿は入れず、スマホだけ入れた。
バスで国道まで出て、歩いて十分。アルバ住宅の住宅展示場は、国道沿いの広い敷地に、モデルハウスが三棟並んでいる。白い壁の家、黒い屋根の家、木の格子のある家。入口の近くに、ガラス張りの事務棟があった。土曜の午前は、家族連れが二組、駐車場に車を入れていた。
「大きい」
「見本だからね。本当に住む家は、もう少し小さいの」
結衣は黒い屋根の家に向かって走った。真尋は追いながら、事務棟のガラスの向こうを一度見た。机が並び、スーツの男が三人、立ったり座ったりしている。恭平の背中が見えた。電話をしている。
入口の看板に、モデルハウスの価格が出ていた。建物だけで三千二百万円から。真尋はその数字を見て、自分の家の返済予定表の残りの額を思った。この会社は、家を建てて売る。恭平は、その家を売る側の課長で、自分の家も売ると言っている。
モデルハウスの玄関は開いていた。靴を脱いで上がると、受付の台に、若い女が一人、座っていた。
明るい茶色の髪を肩まで下ろして、爪が長い。会社のロゴの入った紺のベストに、名札。
『高梨』
真尋は、名札を一度だけ見て、目を上げた。
女は、真尋と結衣を見て、立ち上がった。
「いらっしゃいませ。ご見学ですか。アンケートに――」
言いかけて、止まった。女の目が、真尋の顔から結衣に下りて、また真尋に戻った。
それから、笑った。
「奥様、ですか。篠原課長の」
「はい」
「やっぱり。お写真、拝見したことがあって。いつも、お噂は」
語尾が、少し伸びた。
真尋は、結衣の肩に手を置いたまま、言った。
「高梨さん、ですね」
笑いが、止まった。
一秒か、二秒だった。女の口の端が元の位置に戻るまで、真尋は数えていた。それから、女はもう一度笑った。
「ええ。営業二課の事務をしています。課長には、いつもお世話になっていて」
「そうですか。娘が、父親の職場を見たいと言うので」
「結衣ちゃん、ですよね。お名前、聞いてます。可愛い」
結衣は、真尋の手の下で、少し後ろに下がった。
事務棟のほうから、靴の音がした。恭平だった。ガラス越しに見えていたらしい。玄関に入ってくると、真尋と結衣と、受付の女を順に見て、声を低くした。
「何しに来た」
「結衣が、パパの職場を見たいって」
「仕事中に来るな。客が来る時間だ」
恭平は結衣の頭を、手のひらで軽く二度叩いた。結衣は叩かれた頭を押さえた。
「ほら、帰れ。家で待ってろ」
「せっかく来たんだから、モデルハウス、見せてもらってもいい?」
「だめだ。今日は見学の予約が入ってる」
恭平は真尋の背中を押して、玄関の外へ出した。結衣が靴を履くのを、待たなかった。真尋は結衣の靴のかかとを直して、手を取った。
玄関を出るとき、後ろで女の声がした。
「課長、お茶、淹れておきますね。いつもの」
「ああ」
いつもの、と真尋は頭の中で繰り返した。
駐車場まで、結衣は何も言わなかった。真尋も何も言わなかった。黒い屋根のモデルハウスの前を通るとき、結衣が一度だけ振り返った。
「お母さん。パパ、怒ってた」
「お仕事中だったからね」
「あのお姉さん、わたしの名前、知ってた」
「そうね」
バス停は国道の向こうだった。真尋は手提げからスマホを出して、時刻を見た。十時四十分。家計簿の余白に書く日付と時刻を、頭の中で先に作った。『11/8 10:40 展示場。受付の名札「高梨」』。
駐車場を横切って、歩道に出ようとしたとき、後ろから靴の音が追ってきた。
「奥さん」
真尋は、振り返らなかった。結衣の手を握り直した。
「奥さん。少しだけ」
真尋は足を止めて、振り返った。
高梨瑠美が、紺のベストのまま、駐車場の白線の上に立っていた。事務棟からは、モデルハウスの陰で見えない位置だった。
「何でしょう」
瑠美は、少し首をかしげた。
「言っておいたほうがいいかなって思って。恭平さん、もうあの家には帰りたくないって言ってますよ。奥さんが、お金のことばっかり言うから、って」
恭平さん、と呼んだ。
真尋は、結衣の手を握ったまま、瑠美の顔を見た。腹は立っていた。ただ、言いたいことを、順番に三つ、飲み込んだ。領収書の日付。はがきの住所。郵便受けの名札。ここで言えば、恭平に伝わる。真尋が何を持っているか、恭平に知られる。
内藤先生に会うのは、月曜の夜だ。
「そうですか」
真尋はそれだけ言った。
瑠美は、真尋が泣くか、怒るか、何か言い返すのを待っているようだった。真尋がそのどれもしないので、瑠美はもう一度首をかしげて、それから、結衣のほうに体を傾けた。
「結衣ちゃん、バイバイ」
手を振った。長い爪が、日に当たった。
結衣は手を振り返さなかった。真尋の手を、両手で握った。
「帰ろう」
真尋は結衣を引いて、横断歩道の信号を押した。後ろで、瑠美がまだ立っているのが、振り返らなくても分かった。
コメント
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お疲れさまです、第5話読みました。 「いつもお噂は」って、あの語尾の伸ばし方、すごく嫌な空気でしたね。真尋さんが名札の「高梨」を見てから、相手の笑顔が一瞬止まる間の描写が細かくて、静かな緊迫感が伝わってきました。 恭平さんの「仕事中に来るな」も、結衣ちゃんの頭を軽く叩く仕草も、読んでいて胸が詰まります。「いつもの」という言葉に真尋さんが反応するところも、ぞっとしました。 最後の駐車場での高梨さんの追撃、あれは完全な挑発ですよね。真尋さんが「そうですか」とだけ返して耐えるのが、逆にすごく強く見えました。月曜日の内藤先生との面談、どうなるのか気になります。