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あいたぴ♡苺もち
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#日常
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第290話 父の帰還
【現実世界・湾岸部/旧研究施設・翌朝】
地下へ続く階段には、今も錆と潮の匂いが染みついていた。
ハレルは胸元の主鍵へ手を添えながら、一段ずつゆっくり下りていく。
その後ろにはサキとリオ、少し離れて城ヶ峰と木崎が続いていた。
ここへ来るのは初めてではない。
けれど今日は、これまでとは目的が違う。
探すためではない。
父親を連れ戻すために来た。
最下層の扉を抜けると、古い研究室の中央に巨大な円形装置が残されていた。
長い間使われていなかったはずなのに、その一部だけは微かな光を保っている。
匠が残した固定装置。
現実世界に存在する身体を失わないための、最後の支点。
日下部が装置脇の端末を確認する。
「反応は維持されています。昨夜から大きな変化はありません」
画面には、見慣れた表示が並んでいた。
《雲賀匠》
《身体側固定点・維持》
《意識位置・補助層》
《本人選択・帰還》
《接続安定度・低》
ハレルは最後の一行を見る。
「低いままなんだ」
『うん』
イヤーカフからノノの声が返った。
『でも今までとは違うよ。帰還させるために必要だった条件が、ほとんど揃ってる』
異世界側にはアデル、ダミエ、セラ。
現実側にはハレルの主鍵。
そして、この施設に残された匠自身の身体側固定点。
帰りたいという本人の意思も、すでに確認している。
足りなかったのは。
匠が帰ることで弱くなる補助経路を、まだ必要としている人たちがいたことだった。
だが今は。
帰りたいと決めた者たちは帰った。
まだ決められない者たちは、安全な場所で保護されている。
もう父親だけを残しておく理由はない。
サキが小さく聞いた。
「お父さん、今も聞こえてるの?」
ハレルがイヤーカフへ触れる。
「父さん」
数秒。
ノイズ。
それから。
『聞こえてる』
低い声が返ってきた。
サキの顔が明るくなる。
「お父さん!」
『サキか』
「うん!」
『無事に帰れたんだな』
「帰れたよ。お兄ちゃんも、リオも」
少し間があった。
『そうか』
ただそれだけだったが、声の奥に張っていたものが少し緩んだのが分かった。
ハレルも通信へ近づく。
「父さん」
『何だ』
「みんな、帰した」
匠は黙っている。
「高瀬さんも、悠真も、三浦さんも。長谷川さんの意識も身体に戻った。リーネは王都に戻ったし、レグナさんも自分で決めて王都へ帰った」
『……そうか』
「まだ決めてない人は、無理に帰してない。安全なところにいる」
ハレルは一度、息を吸った。
「だから今度は」
声が少しだけ震えた。
「父さんだ」
長い沈黙のあと匠が静かに答えた。
『分かった』
◆ ◆ ◆
ノノが帰還構成を開く。
今回の形は、これまでのどれとも違っていた。
《現実側・主鍵/雲賀ハレル》
《身体側固定点/湾岸旧研究施設》
《意識位置/補助層》
《異世界側支援/副鍵・アデル》
《境界固定/ダミエ》
《案内層内部確認/セラ》
《安全経路外部確認/re》
二つの世界だけではない。
匠の場合は、その間に二つの層が存在する。
身体を保持している層。
意識を留めている補助層。
ノノが説明する。
『まず身体側を現実へ引き戻す。それが固定できたら、次に意識を補助層から身体へ戻す』
リオが画面を見る。
「同時じゃないのか」
『ほぼ連続だけど、完全な同時にはしない。身体の受入先を先に確定しないと、意識の帰る場所が揺れるから』
ハレルが聞く。
「父さんの身体は、ここにあるんじゃないの?」
『正確には、“ここに繋がった層”にある』
ノノが円形装置を示す。
『この装置が身体の座標を現実側へ縫い止めてるから、消えてはいない。
でも今は普通の意味で、この部屋に横たわってるわけじゃない』
木崎が低く言った。
「匠らしい面倒な残し方だな」
『面倒で悪かったな』
匠の声が返る。
木崎が少し笑う。
「聞こえてたのか」
『最初から聞こえてる』
ハレルはそのやり取りを聞きながら、少しだけ肩の力が抜けた。
本当に父親の声だ。
あと少し。
◆ ◆ ◆
異世界側。
アデルの声が入る。
『こちらも準備できた』
ハレルが答える。
「アデル、副鍵は?」
『正常だ。昨夜のレグナ帰還後も異常はない』
『結界も固定した』
ダミエの短い声。
続いてセラ。
『案内層へ入ります。今回は二つの層を順番に確認するので、少し時間がかかります』
「無理しないで」
『はい』
サキのスマートフォンでは、reが静かに光っていた。
白い点から伸びた線が床へ降り、匠の固定装置を指したあと、その奥にある何も見えない空間へ細く続いていく。
一度。
線が二股に分かれた。
ノノが反応する。
『身体保持層と補助層だ』
セラも案内層の内部から答えた。
『確認できました。二つとも残っています』
「父さんは?」
『補助層側です』
ハレルは胸元の主鍵を握らず、そっと指を置いた。
「始めよう」
ノノが念を押す。
『ハレル。途中で匠さんの補助層は弱くなる』
「うん」
『帰還が始まったら、元に戻せない可能性が高い』
ハレルは答える前に父親へ聞いた。
「父さん。それでも帰る?」
即答だった。
『帰る』
「分かった」
ノノが息を吸う。
『じゃあ、始めるよ』
◆ ◆ ◆
最初に動いたのは、円形装置だった。
長く停止していたような機械の溝へ白い光が走り、一つずつ古い表示が点灯していく。
《BODY HOLDING LAYER》
《FIXED POINT》
《RELEASE READY》
主鍵も同時に熱を持った。
ハレルの足元から伸びる光が装置へ流れ込み、見えない空間を輪郭だけ浮かび上がらせる。
そこに、人影があった。
サキが息を呑む。
「……お父さん?」
まだ顔までは分からない。
透明な膜の向こう。
横たわる人間の輪郭。
日下部が端末へ視線を走らせる。
「人体反応、検出しました」
《身体構成・維持》
《生命反応・低》
《意識反応・なし》
ハレルの喉が鳴る。
身体
本当に残っていた。
ノノが言う。
『ここから身体を現実側へ戻す』
アデルの副鍵が異世界側から反応し、二つの世界を跨いで薄い支えが入る。
ダミエの結界。
セラの案内層。
そしてreの白線。
すべてが一つの座標を指した。
『身体側解除、開始』
透明な膜が揺れる。
人影が。
少しずつ。
こちらへ近づく。
◆ ◆ ◆
最初に腕。
次に肩。
身体全体の輪郭。
まるで深い水の中から浮かび上がってくるように、匠の身体が現実側へ姿を現していく。
サキが一歩進みかける。
ハレルが腕を伸ばした。
「まだ」
「……うん」
『四十八……六十一……』
ノノが数値を読み上げる。
身体の半分が現実側へ出たところで、装置が低く唸った。
古いランプが一つ消える。
続いてもう一つ。
日下部が顔を上げた。
「固定装置の出力が落ちています」
『想定内!』
ノノがすぐ答える。
『身体が層から抜けてるから、保持する必要がなくなってるだけ』
ハレルは主鍵へ意識を集中する。
『七十六……八十九……』
輪郭が明確になる。
髪。
顔。
服。
痩せている。
以前この層へ入った時のままなのか。
長い時間をそこで過ごした影響なのか。
それでも間違えようがなかった。
雲賀匠。
父親だった。
『九十七……』
最後に足が現実側へ移る。
『百』
光が収束し円形装置の中央に
一人の男の身体が横たわった。
医療スタッフが動こうとする。
だがノノが止める。
『まだ! 意識が戻ってない!』
日下部も頷いた。
「生命反応はあります。ただし意識反応なし」
サキが父親を見る。
「お父さん……」
声は聞こえているはずがない。
今の匠は身体だけ。
意識は。
まだ別の場所にいる。
◆ ◆ ◆
補助層の反応が急速に弱くなり始めた。
『来た』
ノノの声が変わる。
《補助層安定度・低下》
《外周保持・解除進行》
ハレルが聞く。
「崩れてる?」
『うん。でも予定通り』
セラの声が案内層から届く。
『中も閉じ始めています。匠さんの意識を動かすなら、今です』
アデルが言う。
『ハレル、迷うな』
「分かってる」
その時
匠の声が聞こえた。
さっきまでより遠い。
『ハレル』
「父さん?」
『補助層を閉じる』
ハレルの胸が詰まる。
「閉じて大丈夫?」
『もう誰も使ってないんだろ』
「うん」
『なら、残す理由はない』
匠自身が長い間、ここを維持していた。
帰還のため。
誰かが戻れる可能性を残すため。
だが今はもうその役目を終えた。
『俺が抜ければ、この層はほぼ消える』
「帰り道は?」
『前にある』
ハレルは目の前に横たわる父親の身体を見る。
そうだ帰る場所はもうある。
「じゃあ」
ハレルが言う。
「帰ってきて」
◆ ◆ ◆
匠が補助層の固定を解除した。
瞬間。
施設全体が震えた。
壁際の古い計器が一斉に点滅し、天井から細かな埃が落ちる。
サキがハレルの腕を掴んだ。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫!」
『補助層、急速収縮!』
ノノの声。
『セラ!』
『追えています!』
案内層の中。
セラは崩れていく白い道の中心に、一本だけ残る光を追っていた。
匠の意識。
その周囲から長年維持されていた層が剥がれ落ちていく。
黒い空間。
消える足場。
閉じる境界。
それでも、白い線だけは前へ続いている。
セラが言う。
『匠さん、こちらです!』
reも現実側から同じ一点を指した。
横たわる身体。
胸。
そのさらに奥。
本人が帰る場所。
ノノが叫ぶ。
『主鍵、固定して!』
ハレルが胸元へ手を当てる。
主鍵が強く光った。
「ここだ!」
聞こえるかどうか分からない。
それでも叫ぶ。
「父さん、ここにいる!」
サキも。
「お父さん!」
その声に。
遠くにあった意識反応が。
一度。
強く脈打った。
◆ ◆ ◆
『意識移動、開始!』
ノノの表示が跳ねる。
細い光が補助層から現実へ伸びた。
身体を世界ごと移す必要はない。
長谷川修一の時と似ている。
だが匠の場合、帰る身体はすでに現実側へ戻っている。
残るのは最後の一本。
意識を本人の身体へ戻す。
『三十三……四十九……』
補助層が崩れる。
『六十一……』
セラの声。
『後ろが閉じています!』
ハレルは思わず聞いた。
「戻れない?」
『戻す必要はありません!』
セラが強く答える。
『前だけ残っています!』
アデルも通信越しに言った。
『ハレル、前を見ろ!』
その言葉にハレルは一瞬、自分が帰還した時を思い出した。
あの時。
アデルにも同じように言われた。
「……分かった」
目の前。
父親の身体。
そこだけを見る。
『七十五……八十四……』
身体側のモニターに変化。
心拍が少しだけ上がる。
医師が声を上げた。
「反応しています!」
『九十一……』
匠の身体の指先が、わずかに動いた。
サキが息を止める。
『九十六……』
補助層の表示がほとんど消える。
《維持不能》
《閉鎖》
だが、その直前。
最後の光が現実側へ抜けた。
セラが叫ぶ。
『入りました!』
『九十九――』
一瞬。
すべての音が消えた。
そして。
『百』
円形装置の光が。
完全に消えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸旧研究施設/最下層】
静かだった。
古い装置はもう光っていない。
補助層の反応も。
身体保持層の反応も。
消えている。
ノノが確認する。
『異世界側残留……なし』
セラも続ける。
『案内層途中、残留なし。補助層は完全に閉じました』
日下部が匠の身体のモニターを見る。
《身体固定・完了》
《意識反応・検出》
《本人波形・一致》
《再統合・完了》
「……戻っています」
その言葉を聞いてもサキは動かなかった。
目は閉じたまま。
ハレルは父親の顔を見つめた。
前まで、同じ家にいた父だ。
それなのに、あまりにも多くのことが起きたせいで、最後に普通に顔を合わせていた頃がひどく遠く感じる。
あの日、父から託されたネックレスが主鍵だと知った。
父がクロスワールドゲートの奥深くまで関わっていたことも、白峰や柏木と繋がっていたことも知った。
聞きたいことは、いくらでもある。
それでも今は。
ただ、目を開けてほしかった。
「お父さん……?」
サキがそっと呼ぶ。
反応はない。
もう一度。
「お父さん」
ハレルも隣から。
「父さん」
匠の眉がわずかに動いた。
サキの手が震える。
「今……」
数秒。
そして。
長く閉じていた瞼が。
ゆっくり。
開いた。
眩しそうに。
一度また閉じ。
もう一度開く。
ぼんやりした視線が、天井から横へ動く。
最初にハレル。
その隣。
サキ。
匠の唇が、わずかに動いた。
「……ハレル」
掠れた声だった。
ハレルの喉が詰まる。
「父さん」
匠の視線がゆっくり動き、その隣にいるサキを捉えた。
「……サキも、いるな」
その一言で、サキの顔が一気に崩れた。
「お父さん……!」
今度は、誰も止めなかった。
サキが父親へ駆け寄り、身体を起こさないよう気をつけながら、その手を握る。
「お父さん……お父さん……!」
匠はまだ力が入らないのか。
指をほんの少しだけ握り返した。
ハレルはその横で何も言えなかった。
ずっと。
言いたいことはあった。
どうしていなくなった。
何をしていた。
どうして全部、自分たちだけで背負った。
聞きたいことも。
怒りたいことも。
山ほどある。
だが最初に出たのはもっと簡単な言葉だった。
「……おかえり」
匠がハレルを見る。
少しだけ笑った。
「ああ」
短く息を吐く。
「ただいま」
◆ ◆ ◆
しばらくして
医療スタッフが匠の状態を確認するため、ハレルたちは少しだけ離れた。
サキはまだ涙を拭いている。
ハレルも自分では平静なつもりだったが
木崎に肩を叩かれて初めて、目元が濡れていることに気づいた。
「よかったな」
木崎が言う。
「うん」
それだけ返すのが精一杯だった。
その時、簡易ベッドへ移された匠が少しだけ顔を動かした。
視線の先、リオ。
正確にはリオの右手首。
亀裂の入った副鍵。
「リオ」
リオが近づく。
「何ですか」
匠の目が一瞬だけ、昔の技術者のものに戻った。
「それ」
リオも腕輪を見る。
「ジャバにやられました」
「見せろ」
「今?」
「見るだけだ」
リオが腕を近づける。
匠はまだ手を上げることも難しい。
それでも亀裂と死んでいる経路を見て
小さく息を吐いた。
「ひどい使い方したな」
リオが眉を寄せる。
「俺だけのせいじゃないです」
「分かってる」
ハレルが聞く。
「直せる?」
匠はしばらく腕輪を見たあと、迷わず答えた。
「直せる」
リオが目を見開く。
「本当に?」
「主鍵の基準値も、複製を作った時の調整値も覚えてる。お前側の過去データが残ってるなら戻せる」
ノノの声が通信越しに入る。
『全部残してある!』
匠が少し笑う。
「なら大丈夫だ」
「今やる?」
ハレルが聞くと。
匠はじっと息子を見る。
「俺を殺す気か」
「あ……」
サキが泣きながら笑った。
リオも少しだけ口元を緩める。
匠は目を閉じた。
「少し寝かせろ」
「うん」
「話はそのあとだ」
ハレルは頷いた。
「分かった」
◆ ◆ ◆
旧研究施設の外。
午後の光が海面へ反射していた。
ハレルとサキは並んで海を見ている。
胸元には主鍵。
今も静かに光っている。
異世界側では
アデルたちが生きている。
セラも。
ノノも。
イデールも。
ダミエも。
ヴェルニも。
現実側には帰ってきた人たちがいる。
そして父親も。
今、同じ世界にいる。
サキが言った。
「終わったのかな」
ハレルは少し考えた。
「帰ることは」
「うん」
「一段落したと思う」
全部ではない。
白色コア。
ラスト。
カシウス。
C。
白峰律。
まだ残っているものは多い。
転移者の捜索も終わったわけではない。
けれど少なくとも帰りたいのに帰り方がない。
そんな状態ではなくなった。
誰なのかを確かめる。
身体を探す。
安全な場所を作る。
そして最後は、本人が決める。
その人が選んだ場所へ道を作る。
ハレルは海の向こうを見る。
「また何か始まるんだろうな」
サキが少し笑う。
「お兄ちゃんが言うと嫌な予感する」
「俺のせいじゃないだろ」
「いつも巻き込まれてるから」
「それは否定できない」
二人で少しだけ笑った。
その背後。
旧研究施設の地下では。
ようやく帰ってきた父親が、
同じ現実世界の空気を吸っている。
それだけで。
今日は。
十分だった。
第十九章 それぞれの帰る場所編――了
コメント
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第290話「父の帰還」、もうね、涙腺崩壊した😭💕 ハレルが「おかえり」って言って、匠が「ただいま」って返すところ、ずっと待ってたシーンすぎて胸がいっぱいになったよ…! 補助層を閉じるときの匠の決断も、最後まで父親として、技術者として格好よかった。 まだ残ってる謎もあるけど、このエピソードだけでも帰ってきた喜びがひしひし伝わってきて、最高だったよ〜!!✨ 橘さん、本当にお疲れさまです!!