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第二十章 書き換えられた者たち編
第291話「帰還のあと」
【現実世界・雲賀家/朝】
久しぶりに、四人分の食器が食卓に並んでいた。
焼いた魚。味噌汁。卵焼き。昨夜の残り物を温め直した煮物。
どれも特別な料理ではない。
それなのにハレルは、向かいの席へ何度も目を向けてしまう。
そこには匠がいた。
「……何だ」
箸を止めた匠が顔を上げる。
「いや」
「さっきから見てるだろ」
「見てない」
「見てる」
横からサキまで言った。
「お兄ちゃん、さっきから三回くらい見てるよ」
「数えてたの?」
「なんとなく」
ハレルは諦めて味噌汁を飲んだ。
数か月前までなら、こんな朝は珍しくなかった。
父親が食卓にいて、サキが眠そうな顔で朝食を食べて、自分も学校へ行く支度をする。
ただ。
同じ光景なのに、以前とはまるで違って見える。
匠が突然いなくなった理由を、今は知っている。
胸元に下げていたネックレスが、ただの贈り物ではなかったことも。
異世界。
クロスゲート。
観測鍵。
白峰律。
柏木陽介。
父親が自分たちに隠していたものは、あまりにも大きかった。
匠はまだ完全には回復していない。
病院を退院できたのも、医師から自宅療養を条件に許可されたからだ。
顔色も以前より悪く、長く立っていると疲労が出る。
それでも、ここにいる。
声をかければ答える。
それだけで、ハレルにはまだ少し現実感がなかった。
「父さん」
「何だ」
「今日、城ヶ峰さんたち来るんだよね」
「ああ。午後にな」
「また話すの?」
「そのために来る」
匠は卵焼きを口へ運びながら答えた。
「俺が説明しないと繋がらないことが多すぎる」
ハレルは少し黙ったあと、胸元のネックレスへ触れた。
主鍵。
今はもう、その名前で呼ぶ方が自然になっている。
「これのことも?」
匠の視線がネックレスへ移った。
「ああ」
「……ちゃんと聞きたい」
「分かってる」
短い返事だった。
ハレルはさらに聞こうとして、やめた。
食卓で全部を問い詰めることでもない。
サキも何も言わず、父と兄を交互に見ている。
数か月前までの家族へ、そのまま戻れるわけではない。
それでも。
ここからまた始めることはできる。
そんな朝だった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・一ノ瀬家/同時刻】
一ノ瀬ユナは、リビングのソファに座ったまま弟の右腕を見ていた。
「……まだ、そのままなんだ」
リオが自分の手首を見る。
腕輪には、はっきりと亀裂が残っている。
ジャバに奪われかけた際に破壊され、一つの出力経路は完全に死んだままだ。
「急に直るわけないだろ」
「そうだけど」
ユナは少し眉を寄せた。
「痛くないの?」
「普段は何ともない」
「熱くなったりは?」
「今は使ってないから大丈夫」
「今はって……」
ユナが睨む。
「また使うつもり?」
リオは冷蔵庫から水を取り出し、コップへ注いだ。
「直れば使うこともある」
「涼」
「分かってる。壊れたまま無茶はしない」
ユナはまだ納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。
彼女自身も、まだ以前の生活へ完全には戻っていない。
長い昏睡。
異世界で過ごした時間。
欠けた記憶。
身体の状態も少しずつ回復しているが、疲れやすさは残っている。
リビングの机には、クロスゲート社から回収された古い資料のコピーが積まれていた。
医師には「休め」と言われている。
それでも、
ユナは調べることをやめなかった。
「今日も見るのか」
リオが資料へ目を向ける。
「少しだけ」
「昨日も言ってたな」
「思い出せそうなの」
「何を?」
ユナの指が、一枚の古い組織図で止まった。
いくつかの名前は黒く塗り潰されている。
あるいは、最初から存在しなかったように空欄になっていた。
「……人」
「誰だ」
「まだ分からない」
ユナは目を閉じる。
白い研究室。
モニター。
誰かの後ろ姿。
自分より少し年上の女性。
キーボードを打つ細い指。
コーヒーの入った紙カップ。
そして、笑う声。
そこまでは見える。
だが。
名前だけが出てこない。
「前にも言ってた先輩か」
「たぶん」
ユナが目を開けた。
「でも変なの」
「何が?」
「あの人がいなくなった時……私、ちゃんと疑わなかった」
リオが黙る。
「会社からは辞めたって聞いた。でも」
ユナは資料へ視線を落とした。
「辞める人の消え方じゃなかった気がする」
◆ ◆ ◆
【現実世界・クロスゲート・テクノロジーズ本社ビル/午前】
正面玄関には規制線が張られていた。
かつて巨大な広告映像が流れていたロビーのモニターはすべて消え、受付カウンターにも人はいない。
代わりに出入りしているのは警察関係者と捜査員。
押収物を入れた箱。
記録媒体。
サーバー。
紙の契約書。
木崎はロビー中央から吹き抜けを見上げた。
「普通の会社にしか見えねえな」
隣にいた城ヶ峰が答える。
「実際、大半の社員には普通の会社だったようだ」
「それが余計に面倒なんだ」
表向き。
クロスワールドゲートは、次世代型の交流アプリ。
ゲーム。
仮想体験。
ネットワークサービス。
社員の多くも、それ以上のことを知らなかった。
秘密研究へ関わっていたのは一部だけ。
しかも、その一部の記録が意図的に消されている。
二人はエレベーターへ乗った。
向かうのは、昨日封鎖を解除した地下資料区画。
日下部が先に端末を開いて待っている。
「来ましたか」
「何か出たか」
木崎が聞く。
「出たというより……見方を変える必要がありそうです」
大型モニターへ一覧が表示された。
失踪。
死亡。
昏睡。
記憶障害。
身元不明。
異常な場所で発見された人物。
クロスワールドゲート利用歴が確認された者。
さらに利用歴が確認できない者。
城ヶ峰が一覧を見て眉を寄せる。
「これは……」
「以前の最初の事件が起きた時期より前まで遡っています」
木崎が画面へ近づく。
「全部、クロスゲート関係か?」
「まだ断定できません。ただ、今まで別々の事件として処理されていたものを、転移・意識分離・記録改竄という条件で洗い直すと、関連を疑うべき事例がかなり増えます」
日下部が一件を開く。
《成人男性》
《失踪届提出》
《遺体未発見》
《最終確認地点・都内》
別の一件。
《女性》
《原因不明昏睡》
《三日後に覚醒》
《本人記憶・二日間欠落》
さらに。
《身元不明男性》
《公園にて保護》
《所持品・国内流通なし》
木崎の目が止まる。
「待て」
「はい?」
「こいつら、クロスワールドゲートの利用履歴は?」
「ありません」
「じゃあ今まで対象外だった?」
「ほぼ」
木崎は舌打ちした。
「そこから間違ってたか」
城ヶ峰も気づく。
「アプリが入口とは限らない」
「そういうことだ」
今まで、クロスワールドゲートという名称に引っ張られすぎていた。
アプリを使った者。
ゲームへ接続した者。
会社と関係した者。
そこから捜査していた。
だが今は分かっている。
世界間転移そのものは、クロスワールドゲート以前から存在していた。
偶発的にも起きる。
意識だけが移る場合もある。
身体ごと移る場合もある。
そして、移った人間が必ず戻ってくるとは限らない。
日下部が静かに言った。
「もう一つあります」
新しい一覧が開く。
《失踪後・現実側反応なし》
《死亡確認なし》
《身体発見なし》
《長期未解決》
数は一人や二人ではなかった。
城ヶ峰が画面を見つめる。
「異世界側にいる可能性が?」
「あります」
「今も?」
「生きていれば」
木崎が腕を組む。
「それだけじゃないな」
日下部が見る。
「何がですか」
「帰ってこなかったんじゃなくて」
木崎は画面の失踪者一覧を見る。
「帰らなかった奴もいるかもしれねえ」
部屋が静かになった。
異世界へ転移した。
帰る方法がなかった。
それだけではない。
向こうで、
人と出会った。
仕事を始めた。
家族を持った。
何年も暮らした。
そして、もし帰還方法を提示されたとしても
現実へ帰らないと決める人間もいる。
城ヶ峰が息を吐いた。
「……捜索対象の定義から変えないといけないな」
木崎が頷く。
「見つける。生死を確かめる。話を聞く」
「その後は?」
「本人に決めさせる」
木崎は一度だけ。
ハレルたちの帰還記録が入った端末を見る。
「そこまでが今のやり方だ」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/王国警備局】
同じ頃。
異世界側でも
帰還が終わったからといって、仕事がなくなったわけではなかった。
むしろ、増えている。
アデルは机の上に積まれた報告書を見て、露骨に眉を寄せた。
「……多いな」
「昨日より増えたよ」
ノノが水晶板を動かしながら答える。
「現実側から新しい失踪者候補が来てる」
ヴェルニが横から覗き込む。
「また探すのか?」
「候補が本当にこっちへ来てるならね」
「王都だけじゃねえだろ」
「うん」
深灰の森。
旧砦。
地方都市。
国境。
戦争跡地。
自然転移が存在したのなら
王都以外にもいる可能性がある。
ダミエは別の地図を見ていた。
「古い境界事故記録も、照合する」
イデールは保護区画から戻ってきたところだった。
「候補Aさん、今日は少し外に出たよ~」
アデルが見る。
「状態は?」
「まだ名前は思い出してない。でも、庭は気に入ったみたい」
「帰還については?」
「今日は聞いてないよ」
イデールが微笑む。
「聞かなくていい日もあるから」
アデルは小さく頷いた。
窓の外。
王都は今日も動いている。
ハレルも
サキも
リオも
もうここにはいない。
少しだけ静かになったように感じる。
それでも、二つの世界を結ぶ通信は残っている。
主鍵は現実側。
アデルの副鍵は異世界側。
必要ならまた橋を作れる。
ノノが画面を見ながら言った。
「現実側、これからかなり大変になりそう」
「こちらもだ」
アデルが返す。
「見つけるだけなら簡単ではない。見つけたあと、その者がどこで生きたいのかまで確かめる必要がある」
ヴェルニが肩をすくめる。
「前より面倒になったな」
「前よりましだ」
アデルが即答する。
「本人に聞かず送り返すよりはな」
◆ ◆ ◆
【現実世界・雲賀家/午後】
城ヶ峰たちが帰ったあと。
リビングには
ハレル。
サキ。
匠。
三人だけが残っていた。
テーブルの上には
主鍵。
古い研究資料。
そして柏木陽介の名前が入ったデータ。
匠はしばらくそれを見ていた。
「どこから聞きたい」
ハレルは迷わなかった。
「最初から」
「長くなるぞ」
「いい」
サキも頷いた。
「私も聞く」
匠は二人を見たあと
ゆっくり椅子へ背を預けた。
「分かった」
そして、主鍵を指す。
「まず、それからだ」
ハレルがネックレスを持ち上げる。
「これ?」
「ああ」
匠の表情が変わった。
父親ではなく研究者の顔。
だが、ハレルにはもう
その顔も父親の一部なのだと分かっている。
「お前に渡したのは、偶然じゃない」
ハレルは黙って聞く。
「俺がクロスゲートを調べ始めた頃には、すでに内部で何かが進んでいた。白峰だけじゃない。現実側には説明できない反応が増えていた」
「カシウス?」
「その名前まで辿り着いたのは後だ」
匠は言葉を選ぶ。
「でも、誰かが世界の境界を意図的に触っていることは分かった」
サキが聞く。
「それで、お兄ちゃんに?」
「主鍵を俺が持っていれば、見つかった時に一緒に取られる」
ハレルの指が止まる。
「だから俺に隠した?」
「そうだ」
「何も言わずに」
匠は、そこだけは
すぐには答えなかった。
「……ああ」
ハレルが父を見る。
怒っていないわけではない。
理解できないわけでもない。
その両方が同時にある。
「その話も全部して」
「ああ」
「柏木先生のことも」
匠の目が少し伏せられる。
「話す」
「白峰のことも」
今度はさらに長い間があった。
「……それもな」
ハレルは気づいた。
父親にとって、
白峰律の名前は
ただの敵の名前ではない。
匠は資料の中から古い一枚を取り出した。
そこには。
三人の名前。
雲賀匠。
柏木陽介。
そして、白峰律。
「最初から敵だったわけじゃない」
匠が言った。
「俺たちは昔――同じものを見ようとしていた」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
冷たい床の上に
人間の遺体が置かれていた。
男。
胸元には致命傷の痕。
呼吸はない。
心拍もない。
すでに死んでいる。
その周囲には。
カシウス。
白峰律。
オルガ・セフィロ。
ヴァルド・レイグ。
そして、空間を満たすCの観測領域。
少し離れた場所。
ラストが壁にもたれながら様子を見ていた。
遺体の状態を読み取った情報が、空間上の表示へ次々と反映される。
《肉体生命反応・なし》
《意識コア・不在》
《神経組織・一部保存》
Cの声が響く。
『肉体側の残存情報を確認しました』
オルガが男の身体を見下ろす。
「状態は良くない」
カシウスは気にした様子もない。
「十分だ」
白峰が聞く。
「何をするつもりです」
カシウスが振り向く。
「見れば分かる」
別のケースが奥から運び込まれる。
内部には
淡い光を持つ意識コア。
白峰の顔が僅かに強張った。
「……誰のコアです」
「この身体の持ち主ではない」
「そんなことは見れば分かる」
カシウスはケースへ手を置いた。
「帰還は、ある程度完成した」
誰も答えない。
「意識を身体へ戻すこともできる。世界を跨いで人間を移すこともできる」
そして、床の遺体を見る。
「だが、戻すだけでは足りない」
白峰が睨む。
「何がしたい」
カシウスは静かに答えた。
「確かめたいだけだ」
「何を?」
その口元がわずかに上がった。
「死んだ人間を」
意識コアのケースが開く。
淡い光が遺体へ向かって伸び始める。
「どこまでなら――復活と呼べるのかを」
コメント
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うわあああ今回めっちゃ重くてエモかった…!!😭💕 匠さんが帰ってきて食卓に座ってるだけで泣きそうになったよ。でも「最初から敵じゃなかった」って匠が白峰のこと話し始めたところ、胸がギュッてなった…。そして最後のカシウスの「死んだ人間を復活と呼べるのか」って台詞、マジで鳥肌たったんだけど!?!?🥶✨ 相変わらず伏線の張り方がえぐすぎて、次の話が待ちきれないよ〜!!橘さんマジで尊敬する…!🌟