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#続かないとオーバーブロット
「ハーツラビュル寮へようこそ」
⸻
赤と白の門を抜けた瞬間、空気が変わった。
まるで世界そのものが、ひとつの定規で測られているような――そんな、冷たく硬質な緊張感。
規則正しく並んだ薔薇の植え込み。
完璧な角度で配置された噴水の装飾。
そして、並んで立つ寮生たちの動きさえ、寸分違わず揃っていた。
「……美しいですね」
フェイドがふと呟く。
「でも、あまりにも揃いすぎていて――どこか、息苦しい」
「にゃっ、ほんとにここって寮ニャ? なんか変な軍隊に迷い込んだ気分だニャ……」
「静かに、グリム……怒られるかも」
門の奥に広がる庭園の中央。
そこにあったのは、白と赤のレースに囲まれた大きなティーテーブル。
紅茶の香りと、甘く焼けたケーキの匂いが鼻をくすぐる。
そして、そのテーブルの中心に――彼はいた。
紅い髪、整った制服。鋭く整った目元。
その姿こそ、ハーツラビュル寮・寮長――リドル・ローズハート。
「ようこそ、ハーツラビュル寮のお茶会へ」
彼の声は澄んでいて、そして、どこか張り詰めていた。
隣ではケイトがにこにこ笑い、トレイが静かに紅茶を用意していた。
「緊張しなくていいよ~。お茶会って言っても、今日は歓迎会だからさ♪」
「ありがとうございます。ご招待、光栄です」
フェイドは静かに一礼する。
その一挙手一投足が、まるで“模範”のように美しい。
(ここは、“均整の支配”の世界。
少しでも乱せば、すべてが崩れる。そのことを、彼は一番よく知っている……)
紅茶が注がれ、ケーキが並ぶ。
だが、その空間に漂う空気は、どこか張り詰めていた。
トレイが控えめに笑って差し出した紅茶は、ダージリンに少しだけラベンダーを混ぜた香り。
「気に入ってもらえるといいけど。緊張ほぐれるかな」
「……素晴らしい香りです。温度もちょうどいいですね」
「へえ……お茶、詳しいんだ?」
「ええ。昔、一人で淹れる時間だけが、“無音のなかの心音”でしたから」
トレイが少し目を見張る。
リドルは、そのやりとりを横目で見ながらカップを置いた。
「茶葉の知識があるなら、なおさら――この紅茶会にはふさわしいかもしれない」
フェイドはゆっくりと、彼の瞳を見つめ返す。
「ただ、ふさわしくあることと、正しくあることは、必ずしも一致しません」
その言葉に、ほんの一瞬だけ。リドルの手が止まった。
⸻
✧ 幕間|テーブルの下で
ユウとグリムは、少しだけ緊張しながらも――ときおりヒソヒソ声で話していた。
「……ねえ、ネメシスの喋り方、いつもよりすごく丁寧じゃない?」
「だってお茶会ニャ。マナー違反したら“首をはねろ”されるかもだしニャ……!」
テーブルの下、グリムのしっぽがぴこぴこと落ち着かない。
それをそっと足先で軽く抑えたのは、フェイドだった。
気づかれないように、そっとグリムのしっぽを撫でてやる。
(大丈夫。私がいます)
「沈黙の中の『異音』」
⸻
紅茶会は、静かに続いていた。
リドルの説明は完璧で、テーブルマナーも徹底されていた。
カップの持ち方、口をつける順番、スプーンを置く位置――
まるで舞台上のように、誰もが同じ動きを繰り返していた。
けれど、フェイドの目は、それをじっと見ていた。
(右端の寮生……カップを持つ手が、微かに震えている)
(左側の彼は、ほとんどケーキに手をつけていない……)
(息をひそめるように笑うケイトさん。
静かに紅茶を注ぎ続けるトレイさん。
誰もが、この“整った空間”に合わせて、自分を消している)
紅茶を一口、含む。
その香りは良質だったが、どこか“人工的な落ち着き”のようなものが鼻に残った。
「どうかしたか?」
横から静かにかけられた声。
フェイドが顔を向けると、トレイ・クローバーがこちらを見ていた。
「……いえ。あまりにも静かなので、少し不安になっただけです」
「ここでは、“沈黙は正しさ”の証だからね。慣れないと、少し息苦しく感じるかもしれない」
「……トレイさんは、それでもこの場所に“居られる”んですね」
トレイは微笑み、答えなかった。
その無言が、フェイドには“肯定”のように聞こえた。
⸻
テーブルの下、グリムがじっとしているのが珍しくて、ユウはこっそり話しかけた。
「グリム……なんか眠そう?」
「……ちがうニャ。なんか……変な感じするんだニャ、この部屋……」
フェイドはその声に、そっと眉を動かした。
(……気づいた?)
リドルが優雅に紅茶を飲み、ケーキをフォークで割る音。
その一方で、寮生たちの瞳はどこか泳いでいた。
「さて……今日は“来客”もいることだし、特別な話は控えよう」
「今はただ、礼儀正しく――正しく、美しく、ふるまえばいい」
フェイドの視線がリドルを捉える。
(この人は……“正しさ”を疑うことを、決して許さない)
そして、そのことを恐れているのは――
彼自身かもしれない。
お茶会が終盤に差しかかるころ、フェイドはナプキンをたたみながら小声で呟いた。
「……この紅茶。ラベンダーの香りが強くなってきましたね」
「にゃ? さっきと違うのかニャ?」
「温度が少し下がると、香りが立つように調整されています。とても丁寧なブレンド……ですが」
ユウが、不思議そうにフェイドを見た。
「……だけど?」
「同じ“香り”の中に、違和感があったんです。――つまり、“香り”のほうが不自然に整いすぎている」
フェイドはそっと微笑みながら、視線をテーブルからリドルへと滑らせる。
「この世界全体が、“正しすぎる”香りで覆われている。
……その匂いを感じ取れないふりをしている人たちが、少しだけ、寂しそうでした」
「ため息の向こうにあるもの」
⸻
紅茶会が終わり、賑やかな装飾の片付けが始まる頃。
ハーツラビュル寮の寮生たちは、それぞれの場所へと散っていった。
――それでも、フェイドには聞こえていた。
カップを重ねる音。遠くで交わされる小さな声。
「また“首”つけられそうになってさ……」
「え、でも……ちょっと机の端がズレてただけじゃん……」
「黙って合わせるしかないんだよ、寮長の言うことには……」
ため息。
それは空気のひと粒に染み込んで、紅茶の残り香とともに漂っていた。
「……ねえ、ネメシス……」
ユウがそっと袖を引く。
「この寮、どこか……おかしいよね」
「……ええ。けれど、“歪んでいる”とは思いません」
フェイドは、食器を片づけるトレイの背中を見つめながら言った。
「たとえばこのティーカップも……一見、完璧な形に見えて、
底の裏側に小さな欠けがある。それでも、ちゃんと役目を果たしている」
「……それって、誰のことを言ってるの?」
「誰のことでも、あります。
でも、もし“欠け”に気づいたとき、誰かがそれを直そうとしたら……きっと」
フェイドはふと、声を切る。
そのとき、トレイがこちらを振り返った。
「ネメシスくん、ちょっといいかな。片付け手伝ってくれる?」
「ええ。もちろんです」
人気のないティールーム。
フェイドとトレイは並んで、そっと食器を拭いていた。
「……リドルは、厳しい子だ。でも、間違いなく優しい子でもある」
「……それは、“優しくあること”を強く望んでいる、という意味でしょうか?」
トレイが手を止める。
その静かな沈黙が、肯定のように感じられた。
「自分が“間違えないように”生きようとしてる。
小さな失敗すら、許されないと思ってるんだろうな」
「……完璧でなければ、愛されない。そう思っている人は、多いです」
フェイドの目が伏せられる。
「キミも、そうだった?」
「……はい。でも、あなたたちの紅茶には、ほんの少しだけ“ゆるみ”がある。
それが、私は……好きだと思いました」
トレイが微笑む。
「ありがとう。……キミ、面白い子だね」
フェイドは静かにカップを重ね、言葉を落とした。
「……リドルさんの“枠”が壊れてしまう前に。
誰かが、そっと手を伸ばせればいいのですが」
その言葉が、まるで**“これから”の何かを予言するように**響いていた。
「首輪の締まる音」
⸻
次の日、フェイドたちが再びハーツラビュルを訪れたとき――
中庭で、リドルの鋭い声が響いていた。
「お前たち、規則の“第228条”を破ったな。昼食の際、紅茶を3分以内に飲み干していない!」
寮生たちは怯えたように首をすくめる。
「言い訳は聞かない。……“首をはねろ”」
「ひっ……」
――その言葉と同時に、魔法が光を放ち、彼らの首元に赤い首輪が現れた。
ユウとグリムが、息をのむ。
「あれ、魔法の首輪だよね……!」
「リドル、マジでやばいやつニャ……!」
「……これは、“正しさ”の仮面を被った、強制ですね」
フェイドは小さく呟いた。
その目は、リドルではなく――彼に首輪をはめられた寮生の瞳を見ていた。
(その目は、怒りでも反抗でもない。……ただ、“あきらめ”)
「もう、慣れてしまっている。誰も、抵抗しないのが“正しい”と、思わされている……」
その夜、フェイドは自室で、窓の外を眺めていた。
グリムはすでにベッドで丸くなり、うとうとしている。
ユウが、そっとお茶を淹れてきて、フェイドの隣に腰を下ろした。
「……ねぇ。今日の、リドル……やっぱり、なんか変だったよね」
「ええ。“正しさ”に取り憑かれているように見えました。
たとえ自分自身を追い詰めてでも、秩序を守らなければならないと思い込んでいる」
「ネメシス……なんでそんなに、他人の“心の形”が分かるの?」
フェイドは少しだけ考え、そっと笑った。
「……私自身が、“心を覆い隠す術”を学んできたから、でしょうか」
「……それって、辛かった?」
「……ええ。でも、あなたといる時間が、それを少しずつ……溶かしてくれているような気がするんです」
ユウは、静かにカップを手にとって微笑んだ。
「なら、よかった。……これからも、ちゃんと隣にいるからね」
フェイドは小さく目を伏せる。
そして、ほんの少しだけ、彼の口元に浮かんだのは、
「演技」ではない、本当の微笑だった。
「静かに、壊れていくもの」
⸻
翌朝のハーツラビュル寮。
ふたたび訪れたフェイドたちを迎えたのは――ぴしりと張りつめた“音のない空気”だった。
中庭では、校則の貼り紙が倍に増えている。
寮生たちは壁を見ながら、小声で囁き合っていた。
「あれ……“ハンカチは白無地に限る”? そんなの前からあったか?」
「……“食後は5分以内に立ち上がること”って……昨日まで3分じゃなかったっけ?」
ユウが隣で息をのむ。
「ねえ、これ……ルール、増えてるどころか、どんどん厳しくなってない?」
「ええ。しかも、“誰かの声”を基に作られたものではなく……
“ひとりの価値観”で形作られた、“檻”のように」
グリムもさすがに眉をひそめた。
「にゃあ……この寮、まじでヘンだニャ。
なんか、魔力の空気もギュウギュウしてる……」
「……それ、間違ってないかもしれません」
フェイドは、目を閉じて感覚を澄ませた。
――魔力の流れが、滞っている。
通常はゆるやかに巡っているはずの空気の波が、寮の中心で“圧縮”され、ねじれていた。
「これは……“オーバーブロット”の兆候……?」
けれど、まだ決定的ではない。
今はただ、“正しさ”という名の力が、自らの魔力さえ縛りつけているような――そんな異様な圧を感じるだけだった。
その日の午後。
フェイドは偶然、庭の物陰でふたりの寮生の会話を耳にした。
「……なあ、あんた、他の寮に逃げないのか?」
「……逃げても意味ないよ。
どうせ見つかって、もっと重い罰が待ってる。だったら、黙って従うほうがマシ……」
「……どうしてそこまで、逆らえないんですか?」
フェイドが静かに問いかけると、彼らは驚いて目を見開いた。
「だって……リドルが“正しい”って、みんな思い込まされてるんだ。
疑問を持つことが、“悪いこと”だって教えられてきたから……」
その言葉に、フェイドの中で何かが静かに軋んだ。
(“正しさ”に疑問を抱けないまま、ただ従って生きる。
それは――“自分の形”を捨てることと、同じだ)
その夜、フェイドは再びユウと並んで座っていた。
今日はお茶ではなく、ミルクをあたためて。
甘い湯気の向こうで、グリムはすでにうとうとしかけている。
「……ネメシス。リドル、オーバーブロットすると思う?」
「まだ、“確信”は持てません。ですが……
あの人は、自分の心を許せる場所が、ひとつも残っていないように見えます」
「……」
「“間違ってはいけない”。
それを一度でも強く思ってしまうと、人は自分自身の間違いにさえ、目を伏せるようになります」
「……それって、すごく、寂しいことだね」
「ええ。でも――あなたがそれに気づいているなら、大丈夫です」
フェイドはユウに向き直り、静かに言った。
「あなたは、他人の“間違い”を怖がらずに、そばにいてくれる人だから」
「……ネメシスも、そういう人だよ」
ほんの一瞬、ふたりの指先がふれた。
暖かく、小さな灯のように。
「仮面の奥にある、昔話」
⸻
夕暮れ時のハーツラビュル寮。
寮の裏庭は、昼間の喧騒とは違って静まり返っていた。
石畳にこぼれる夕陽が、赤と金のグラデーションで世界を染めている。
フェイドは、ひとりで空を見上げていた。
「ここにいたのか」
トレイ・クローバーが、静かに現れる。
「……景色がよかったもので。つい、足が止まりました」
「ああ、リドルの手入れが行き届いてるからな。ここの花は、季節を外れないように魔法で調整されてる」
「それも、“正しさ”のひとつなんでしょうか?」
「そうだな……でも、“そうしなきゃ”いけなかった子でもある」
フェイドは、その言葉にわずかに目を細めた。
「……話してもいいかな、ネメシスくん。あの子の、昔のこと」
「ええ。できれば、知りたいです。あの人の“正しさ”の源を」
「リドルの実家は、すごく厳しい家庭だった。
食べるもの、読む本、寝る時間――何から何まで、“ルール”で決まってた」
「たとえば、紅茶を飲むときは“砂糖は1.5個まで”。
本のページは“1分につき3枚以上はめくってはいけない”。そんな世界だったんだ」
「……それは、“生きている”というより、“操作されている”に近いですね」
「それでも、あの子は……“ちゃんとできれば褒められる”と思ってたんだ。
だから、“間違えないこと”に、必死だった」
(間違えないことに、必死――)
「でも、それは誰にとっての“正しさ”だったのか……リドル自身も、もう分からないのかもしれないな」
トレイは、夕陽の中に視線を落とす。
「だから今も、“正しくあろうとする”ことを、誰よりも必死に守ってる」
フェイドは、手の中の花びらをそっと指先でなぞった。
「……それが、彼にとっての“愛される方法”だったのでしょうね」
「キミ、優しい子だね」
「いえ……私は、知っているだけです。“正しさ”で自分を守ってしまった人の、痛みを」
「花を切る声が聞こえる」
⸻
その日の午後。
ハーツラビュル寮の庭では、またひとつの“裁定”が下されようとしていた。
「校則第341条。『ティータイムの際、ケーキをナイフで真っ直ぐに切ること』。
君はこれを破ったね?」
リドルの声が、庭の空気を真っ二つに裂く。
紅い髪が風に揺れ、冷たい目が震える寮生を捉えていた。
「い……いえ、わざとじゃなくて、手がすべって……!」
「言い訳は聞かない。“正しさ”を守れなかった者に、寛容は必要ない」
「ひっ……!」
リドルが杖を振り上げる――そのとき。
「おやめください」
その声は、静かで、けれどはっきりと響いた。
リドルの手が止まり、視線が動く。
そこに立っていたのは、フェイドだった。
「ネメシス……? 今の言葉は、“何に対して”言った?」
「リドルさん、あなたの行為に対して、です」
「……!」
周囲がざわめく。
誰もが、その“否定”を聞いたのは初めてだった。
フェイドは一歩、静かに前へ進む。
「確かに、校則は大切です。
けれど、“完璧”でなければ罰するというその姿勢は、もはや秩序ではなく、支配です」
リドルの目が揺れる。だが、即座に怒りが顔を覆う。
「私の判断を否定するのか? 校則に背く者を、正さねば寮が乱れる!」
「ならば私は、問います。
あなたの定める“正しさ”の中に――誰かを思いやる余地は、ありますか?」
リドルの口がわずかに開く。
けれど、言葉が出ない。
フェイドは、それを静かに見つめた。
「私は、“誰かの完璧”より、“誰かの心”を信じたいのです」
その言葉は、まるで“音を吸い込む闇”のように庭を包んだ。
リドルは沈黙したまま、杖を握りしめたまま。
やがて彼は、何も言わずに踵を返し、寮の奥へと消えていった。
誰も、その背中を追わなかった。
寮生たちは、ゆっくりとその場に座り込み、
誰かが、そっとため息をついた。
「今日の私の行動が、よかったのかどうかは……正直、分かりません」
フェイドはそう言って、筆記帳を閉じた。
ユウは隣で、小さく微笑む。
「でも、止めなかったら、あの子はまた“首をはねろ”って言ってた。
……だから、ネメシスの声が、必要 だったんだよ」
「……ありがとうございます」
カーテン越しの夜風が、ふたりの間をゆるやかに通り過ぎていった。