王が倒れ、王宮の大広間に静寂が満ちた。だが――セレナは勝利の感覚を得てはいなかった。
むしろ胸の奥に広がるのは、
“これから本物が現れる”という直感に近い予感。
ルシアンが剣を下ろし、深く息をつく。
「……セレナ。
王を失脚させた今、王国は間違いなく混乱する。
まずは王宮を掌握して――」
「いいえ、それでは足りないわ」
セレナは王の倒れる玉座へと歩き、背後の壁に手を触れた。
壁の石が黒い魔力の反応で震え、隠し扉がゆっくりと開く。
内部には古びた書庫。
そこに眠っていたのは、王家すら触れることを禁じられた“根源文書”だった。
(……これは……母が探し求めていたものと同じ系統の書……
王国の闇の歴史……)
セレナは表紙をなぞりながら呟く。
「この国を裏で動かしているのは王ではない……
もっと古い、もっと深い影よ」
「影……?」
「“影帝(シャドウ・エンペラー)”と呼ばれている存在。
王が代替わりしても、戦争が起きても、
必ず裏に現れ、国を操ってきた――本当の支配者」
ルシアンの表情が険しくなる。
「……そんなものが存在するのか?」
セレナは本を開き、中央にある古き図を示した。
ページには、黒い王冠を戴いた影の姿。
王家の紋章よりもはるかに古い魔法印が刻まれている。
「影帝は“喰魔(しょくま)”の始祖。
王家の血は、影帝の力を封じ込めるために作られた“器”に過ぎない……」
ルシアンは肩を震わせた。
「つまり……セレナの血と王家の血は、本来……」
「対(つい)にして存在していた。
どちらが欠けても封印は成立しない。
だから母は――影帝に近づきすぎて殺されたのよ」
その瞬間、書庫全体が震えた。
冷たい風。
窓もないはずの空間に吹き込む、冬の死風。
次の瞬間――
天井が裂け、黒い霧が降り注いだ。
ルシアンがセレナを引き寄せ、剣を構える。
「……っ! これは……!」
霧の中から、ゆっくりと“人の形”が現れた。
黒い衣。
顔は闇に包まれ、表情すら見えない。
しかし、その存在そのものが、空気を圧し潰す。
セレナは悟った。
(……来た……
王でも魔導師でもない。
この国を数百年操ってきた――主が)
影が、床を割るようにして声を発した。
「――黒薔薇の継承者よ。
よくぞ封印を破ってくれた……」
その声は、男か女か判別できない。
だが確かに、人間ではない。
ルシアンが叫ぶ。
「貴様が影帝か!!」
影はゆっくりと顔を向けた。
その“見えない目”が、ルシアンの心に触れる。
「勇敢だな……小さき騎士よ。
だが、そなたは黒薔薇を守れば守るほど――
喰魔の核へと近づいていく」
セレナが一歩前に出る。
「私を呼んだのは、あなたね?」
「呼んだとも。
そなたの力は未完成……
覚醒すれば、私の封印は完全に解ける」
空気が凍りつく。
影帝は続けた。
「我が復活を望むのは、そなた自身だ。
――喰魔の血は、始祖へ帰還を求める」
セレナの胸に、黒薔薇の心臓が反応し、
深い鼓動を刻む。
しかし――彼女の意思は揺らがなかった。
「私は……あなたには従わない」
影がわずかに笑う。
「……面白い。
ならば証明してみせよ。
喰魔の血が、意思を持つなど不可能だと――」
影帝が手を伸ばす。
その瞬間、王宮全体が黒い魔力に飲まれた。
壁が歪み、床が崩れ、空は血のような赤に染まる。
「セレナ!!」
「ルシアン、下がって!!」
影帝が放ったのは“喰魔の原初”そのもの。
圧倒的な力の奔流がセレナへと襲いかかる。
彼女は両手を広げ、黒薔薇の魔力を解放した。
しかし――
圧力が、違う。
王でも魔導師でもない。
“存在の根源”のような重み。
(……これは……人間には、もはや抗えない……)
それでも、セレナは叫ぶ。
「私は……影に堕ちない!!
母が私に託したのは――破滅じゃない!!」
黒薔薇の蔦が渦巻き、影帝の魔力へと衝突した。
激しい衝撃音。
空間が裂け、王宮が震動する。
影帝がわずかに身を引いた。
「……ほう。
“黒薔薇の継承者”が、ここまで抗うとは……」
ルシアンがセレナの横に立つ。
「彼女は一人じゃない!!
俺が、命を賭けて支える!!」
影帝が静かに首を傾ける。
「……ならば、小さき騎士よ。
そなたの覚悟、見せてもらおう」
その言葉を最後に、影帝は黒霧となって消えた。
残されたのは、崩れた王宮と、黒い魔力の残滓。
そして――影帝の声だけが響き残る。
「次に会う時、そなたの意思が本物か試してやろう。
“黒薔薇の王女”セレナよ――」
消えゆく声は、まるで祝福のようでもあり、死の宣告のようでもあった。
セレナは震える息を吐き、ルシアンの肩に手を置く。
「……来たわね。
この国を蝕む“真の王(シャドウ・エンペラー)”が」
「セレナ……怖くないのか?」
「ええ。
でも、一緒に戦う人がいる。
あなたがいるから……私は影に飲まれない」
ルシアンの表情に、強い決意が宿る。
「なら行こう。
影帝を倒し、この国を取り戻すために」
黒薔薇の花弁が舞い、二人の間に静かに落ちる。
――影帝との戦いが、ついに幕を開けた。
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