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王宮の崩落から一夜。東の空がわずかに白み始める頃、セレナとルシアンは馬を走らせ、
王都を離れて “喰魔の森(ダークウッド)” へ向かっていた。
影帝が消える直前に残した言葉。
「次に会う時、そなたの意思が本物か試す」
その意味を理解するためには、森に眠る“始祖の記憶”に触れなければならない。
セレナは揺れる馬上で、黒薔薇の心臓を胸に抱いた。
(……影帝の魔力は、私の中の“喰魔”と同じ根を持っていた。
あれを理解しない限り、倒すことはできない)
ルシアンが横から声をかける。
「セレナ、寒くないか?」
「ええ、大丈夫。
それより……この先の森、本当に入るつもりなの?」
「もちろん。
喰魔の森を通らなきゃ、“深層域”には辿り着けない。
影帝の正体に触れられるのは、そこだけだ」
セレナは小さく息を吐いた。
「……森に飲まれたら、“戻れない”と言われている場所よ」
「大丈夫。
俺は絶対に君の手を離さない」
セレナは思わず微笑み、視線を前方へ向けた。
霧が這うように満ちる、黒い木々の群れ――
それが“喰魔の森”だった。
森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
音が消える。
風の気配も、鳥の声もない。
ただ、木々が囁くような不気味な気配だけが漂っている。
「……ここは、生きている……」
セレナの囁きに、ルシアンが剣の柄を握りしめる。
「気をつけよう。
この森にいるのは魔物じゃない……“喰魔の残滓(ざんし)”だ」
セレナは足元の土を見つめた。
黒く湿った大地から、まるで呼吸するように魔力が立ち上っている。
(……ここは、影帝そのものの影響下……
だから、過去の“喰魔”たちの記憶が残っている)
黒い蔦が、ふたりの前に蛇のように伸びてきた。
ルシアンが剣で切り払うが、切られた蔦は再生し、また伸びる。
「くっ……厄介だな」
「私がやるわ」
セレナが手を翳すと、黒薔薇の魔力が広がり、
蔦たちは怯えるように土の中へ潜っていった。
ルシアンが驚いたように見つめる。
「……森が、君の力に反応してる?」
「ええ。
――ここは“私の血”の故郷みたいなものだもの」
少し進むと、突然視界が広がった。
森の中心に、巨大な黒い樹が立っていた。
幹には人の顔のような模様が浮かび、枝は天を裂くほどの大きさ。
ルシアンが目を見開く。
「……これが、“喰魔の樹”……?」
セレナの胸が痛むほど強く脈打った。
(……この樹……知っている……
どうして?
私は来たことが――)
その瞬間、黒い樹が嗚咽のような音を立てた。
つぎの瞬間、樹の根元から黒い霧が噴き出し、
霧は人の形を作り始める。
ローブを纏い、顔のない影の姿。
「……影帝……!」
思わず身構えるが――違う。
影の姿は、影帝のような圧倒的な存在感はなく、
どこか弱々しさを帯びていた。
影はセレナへ手を伸ばす。
声は聞こえないが、ひどく悲痛な感情が伝わる。
(……これは……喰魔たちの記憶……
影帝に操られ、破滅した者たちの……“嘆き”)
セレナは影へそっと触れる。
その瞬間、視界が白く染まった。
――見える。
古い時代。
影帝が現れ、喰魔たちに「力」を与えた瞬間。
そして、力を暴走させ、国を滅ぼし、同族を食らい、
最後は影帝に吸収されていく者たちの姿。
(……影帝は“喰魔の始祖”じゃない……
“喰魔を食らう存在”……!)
セレナの身体が震えた。
(影帝は喰魔を操るのではなく……
喰魔を“獲物”として繁栄してきた)
そして、最後に一つの影が現れた。
白いローブの女性。
顔は見えないが、その佇まいは――
「……お母様……?」
影の女性が涙を流すように、黒い樹へと手を伸ばす。
(母は……“影帝の真実”に辿り着き……
それを止めようとして……)
視界が戻った。
セレナは地面に膝をつき、息を荒げる。
ルシアンが駆け寄る。
「どうした!? 何が見えたんだ?」
セレナは震える声で答えた。
「影帝は……喰魔を生み出したんじゃない……
喰魔を“餌”にしてきたの。
力を与え、暴れさせ、弱らせ……
そして吸収するために」
ルシアンの顔色が変わる。
「じゃあ……セレナも……」
「ええ……私も“狙われている”。
完全覚醒した黒薔薇の力は――影帝にとって最高の餌」
その瞬間、森全体が震え、木々がざわめき始めた。
セレナは立ち上がり、黒薔薇の魔力を広げる。
「来るわ……
“影帝のしもべ”たちが」
黒い霧が森の奥から溢れ、
無数の影がセレナたちを取り囲む。
ルシアンが剣を構える。
「逃げるつもりはない。
俺は君と戦うと決めたんだ」
セレナは涙をこらえながら微笑んだ。
「ありがとう……ルシアン」
黒薔薇の花弁が舞い上がる。
――喰魔の森での戦いが、ついに幕を開けた。