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朝。
涼架は布団から出なかった。
「……涼ちゃん」
「んー……」
「起きて」
「やだ」
「薬草干すんだろ」
「滉斗やって」
「俺は護衛」
「じゃあ護衛しながらやって」
「意味分かんない」
布団の中から、もぞもぞと声だけが返ってくる。
滉斗はため息をついた。
「……ほんとに起きないな」
「眠いんだもん」
「昨日、何時まで起きてたの?」
「……知らない」
「ほら」
滉斗は布団を少しだけめくった。
「起きて」
「寒い」
「昼だぞ」
「じゃあ暑い」
「そういう問題じゃない」
涼架は布団にくるまったまま、滉斗の腕を掴んだ。
「……あとちょっと」
「何分?」
「十年」
「長い」
「じゃあ一年」
「短くなってない」
「じゃあ五年」
「増えた!」
そんなやり取りをしているところに。
「……何してるんですか」
玄関から声がした。
二人が同時に振り返る。
「元貴くん!」
涼架の顔がぱっと明るくなった。
「おはよぉ」
「おはようございます」
元貴は二人を見る。
布団にくるまっている涼架。
その布団を剥がそうとしている滉斗。
「……朝から何をやってるんです?」
「涼ちゃんが起きない」
「起こしてあげてください」
「起こしてる」
「なら僕は帰ります」
「待って!」
涼架が布団から顔だけ出す。
「元貴くん、助けて」
「嫌です」
「即答……」
滉斗が笑う。
「ほら、元貴にも呆れられてる」
「滉斗の味方なの?」
「普通にそうなるだろ」
「ひどい」
涼架はむくれた。
元貴はそんな二人を見て、思わず笑う。
「……相変わらずですね」
「何が?」
「二人とも」
涼架は嬉しそうに笑った。
「仲良しだからねぇ」
「自分で言います?」
「言うよ」
滉斗が布団をもう一度引っ張る。
「ほら、起きる」
「やだぁ」
「元貴」
「何です?」
「手伝って」
「……仕方ないですね」
元貴も布団の端を掴む。
「せーの」
「やぁぁ!」
朝の店に、涼架の情けない声が響いた。
⸻
結局、 涼架が起き上がったのはそれからしばらく後だった。
今は三人で薬草を干している。
正確には。
滉斗が薬草を並べ。
元貴が種類を分け。
涼架が縁側でお茶を飲んでいた。
「……涼ちゃん」
「ん?」
「働け」
「働いてるよ」
「じゃあ何をしてるの?」
「監督」
「監督って言えば何でも許されると思うなよ」
「元貴くん、滉斗が怖い」
「知りません」
「二人とも冷たい……」
涼架がしょんぼりする。
元貴は呆れながらも、少しだけ笑った。
この店に来るようになってから、 こういう時間が増えた。
妖退治でもない。
陰陽術の話でもない。
ただ薬草を並べて。
お茶を飲んで。
くだらない話をする。
元貴にとっては、珍しい時間だった。
後宮にいれば、常に仕事がある。
大森家に戻れば、もっと息苦しい。
けれどここでは、 何故だか肩の力を抜いていられる。
元貴はそんな自分に少し驚いていた。
⸻
「そういえば」
元貴はふと尋ねた。
「涼架さんは、笛をなんで吹けるんですか?」
「ん?」
涼架が顔を上げる。
「昔から吹いてるよ」
「誰かに教えてもらったんですか?」
「……どうだったかなぁ」
「覚えてないんですか?」
「うん」
涼架は少し考える。
「ずっと吹いてたから」
その答えが妙に引っかかった。
「ずっと?」
「うん」
涼架は笑う。
「気づいたら吹いてた」
「変なの」
「そう?」
「はい」
滉斗が横から口を挟む。
「涼ちゃん、そういうところあるから」
「どういうところ?」
「忘れることが多い」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「……まあ、昔のことなんて覚えてないし」
涼架はあっさり言った。
元貴は少しだけ黙った。
――自分も。
昔のことを、あまり覚えていない。
たぶんあの人とは違うんだろうけど。
あの人はただボケてるだけ。
僕は 幼い頃の記憶がところどころ抜けている。
特に 大森家にいた頃。
何か大切なものがあったような気がする。
けれど、それが何だったのか分からない。
元貴は無意識に左手首へ触れた。
白い包帯。
昔からずっと巻かれている。
何故巻いているのか。
誰に巻かれたのか。
詳しいことは、覚えていない。
ただ、 この包帯は外してはいけない。
そんな感覚だけが残っている。
「……」
涼架の視線が、一瞬だけ元貴の左手首へ向いた。
けれど、何も言わない。
滉斗も気づいていた。
それでも何も言わなかった。
⸻
その日の午後。
元貴は後宮へ戻っていた。
仕事を終え、書類を片づけていると。
突然 ――笛の音が聞こえた。
「……」
元貴の手が止まる。
聞き覚えのある音。
涼架の笛だ。
だが ここは後宮。
涼架はここにいないはず。
あの人のことだからいないとは言い切れないけど。
「……気のせい?」
耳を澄ますと もう一度 美しい音が響いた。
元貴は立ち上がる。
廊下へ出ても 誰もいない。
音は――後宮の裏手。
元貴は歩いていった。
やがて、山の中に入る。
木々を抜けた先。
小さな湖があった。
けれど。
誰もいない。
笛の音も消えている。
「……」
元貴は湖を見つめた。
水面が、風に揺れる。
その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
金色の髪。
柔らかな笑い声。
そして。
まだ幼かった自分の声。
『りょうちゃん』
「――!」
元貴は目を開いた。
心臓が大きく跳ねる。
「……今の」
誰の声だった?
幼い自分が。
誰かを呼んだ。
「……りょうちゃん」
試しに口にする。
不思議だった。
その名前を呼ぶと。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
懐かしい。
けれど、思い出せない。
「……」
元貴は左手首を握った。
白い包帯。
その下が、ほんの少しだけ熱を持った気がした。
⸻
「元貴くん」
「……!」
背後から声がした。
振り返ると、 木の枝の上。
そこに涼架が座っていた。
「……どうしてここに?」
「薬を届けに来たの」
涼架は小さな薬箱を掲げる。
「後宮の人に頼まれたんだぁ」
「そうですか」
「うん」
「で、なんでこんな山の中に?」
「元貴くんがいると思って」
「そうですか…」
涼架は木からひらりと降りる。
そして いつものように、元貴との距離を一気に詰めた。
「どうしたの?」
「なんですか」
「なんか変な顔してる」
「僕、そんな顔してます?」
「してる」
「……」
元貴は少し迷った。
けれど。
「涼架さん」
「ん?」
「僕たち、昔に会ったことあります?」
涼架の笑顔が。
ほんの一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
けれど元貴には、それが見えた。
「……どうしてそう思ったの?」
「さっき」
元貴は湖を見る。
「幼い自分が、あなたの名前を口にしていた気がして」
「……」
「それに」
元貴は涼架を見る。
「貴方を見ると、妙に懐かしいんです」
涼架は何も言わなかった。
しばらくして。
「……そうなんだ」
優しく笑った。
「変なの」
「貴方もそう思います?」
「うん」
「……」
「でも」
涼架が元貴へ近づく。
「嫌な感じはしないでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、いいんじゃない?」
涼架は笑った。
「思い出したいなら、そのうち思い出すよ」
「……そのうち?」
「うん」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「なんとなく」
「適当ですね」
「よく言われる」
元貴は呆れた。
けれど 涼架の顔を見ると。
何故か、それ以上聞く気になれなかった。
⸻
帰り道。
涼架は一人で歩いていた。
少し離れた場所で、滉斗が待っている。
「……どうだった?」
「ん?」
「元貴」
「うん」
「何か思い出した?」
涼架は少し黙った。
「……まだ」
「そっか」
「でも」
涼架は空を見る。
「近くなってきた」
「何が?」
「……思い出す日が」
滉斗はそれ以上聞かなかった。
ただ。
「涼ちゃん」
「ん?」
「もし元貴が昔のことを思い出したら…」
「うん」
「大丈夫かな」
涼架は少しだけ笑った。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「俺がいるから」
滉斗は、その言葉を聞いて 少しだけ安心したように笑った。
「……そっか」
二人は並んで歩く。
やがて涼架が、滉斗の肩へ頭を乗せた。
「疲れた」
「また?」
「うん」
「じゃあ帰ったら寝れば?」
「滉斗も一緒に」
「俺は寝ない」
「じゃあ横にいるだけ」
「……はいはい」
滉斗は笑った。
その夜も 二人はいつものように、並んで帰っていった。
けれど 後宮にいる元貴の記憶の奥底では。
長い間眠っていた何かが、 確かに目を覚まし始めていた。
コメント
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みぅです、読ませてもらいました🤍 朝の布団の攻防、めっちゃ可愛かったです…!「十年」→「一年」→「五年」の増減、思わず笑っちゃいました。三人の空気感がもう、すごく自然で温かい。 でも後半、元貴くんが湖で聞いた笛の音と「りょうちゃん」って呼ぶ自分の声…あのシーン、鳥肌立ちました。涼架さんが一瞬笑顔を止めたのも気になる。左手首の包帯の秘密、涼架さんが何か知ってそうで…。 日常の柔らかさと、その奥に潜む闇のバランスが絶妙でした。続き、すごく気になります🌙