テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1
第128話:ベーシックインカムと資本主義の衝突
「……ヨモ。お前、今なんて言った?」
帯広のボロアパート、四畳半。
俺は三万円のゲーミングチェアの上で、ワナワナと肩を震わせていた。
モニターの向こうでは、俺が三百万円の経費(自腹)を叩き出して海外オーディションから発掘した新人VTuber、猫耳娘の『ヨモ』が、極めてダルそうにLive2Dのあくびモーションを繰り返している。
そしてその横の別画面では、我が社の冷徹な経理担当である結愛(ゆあ)が、ウェブカメラ越しに氷のように冷たい視線を俺たちに向けていた。
デビュー配信を明日に控えた、決起集会という名のオンラインミーティング。
そこで、この海外産ズボラ娘の口から飛び出したのは、経営者である俺の鼓膜を破壊するに足る、とんでもない要求だった。
『だからぁ……。ヨモ、別に配信で一攫千金とか興味ないんでぇ。毎月、口座に一定額のお金だけ振り込んでくれませんか? そしたら適当に寝てるんで。ベーシックインカムってやつ? それが人間の権利だと思うんですよねぇ……』
「ベ、ベーシックインカムだとォォォ!?」
俺の口から、血を吐くような絶叫が飛び出した。
ベーシックインカム。政府がすべての国民に対して、無条件で最低限の生活費を支給する夢の制度。
かつて俺自身も、実家で親の脛をかじりながら、「なぜ社会は俺に無条件で金を配らないのか」「社会のセーフティネットはどうなっているんだ」と、父親相手に偉そうに経済理論を振りかざして熱弁を振るっていた時期がある。
だが、今は違う。
俺は株式会社インフィニティ・ワンの代表取締役であり、インボイス制度と消費税という名の【資本主義の悪魔】に魂を削られている、血みどろの経営者なのだ!
「ふざけるな! ここはユートピアじゃねえんだよ! 国がやらないベーシックインカムを、なんで零細企業の俺がお前のために自腹でやらなきゃならねえんだ!!」
俺がカメラに向かって吠えると、ヨモはピコッと猫耳を寝かせて、面倒くさそうに溜息をついた。
『えー……。だって社長、金持ちなんでしょぉ? 資本主義ってそういうシステムじゃないんですか? 持てる者が、持たざる者に分配する的な。ノブレス・オブリージュってやつですよぉ』
「知ったふうな口を利くなぁぁぁっ!!」
俺の目から、本物の血涙が滲み出そうになっていた。
かつての俺と全く同じ思考回路(クズ)が目の前にいる。その事実が、鏡を見せられているようで俺の精神をゴリゴリと抉ってくるのだ。
「いいかヨモ、よく聞け! お前は資本主義の恐ろしさを1ミリも分かっちゃいない! この世界を支配する絶対の経済原則は『r>g』だ!」
『……あーる、だいなり、じー? 何それ、ゲームのコマンド?』
「資本収益率(r)は、常に経済成長率(g)を上回るっていう残酷な真理だ!! つまり、資産を持ってる奴が何もしなくても儲かるスピードの方が、労働で稼ぐスピードより圧倒的に早いんだよ! お前は資本を持ってるか!? 持ってねえだろ! 俺が払った三百万のガワを着てるだけだ!」
俺は三万円のデスクをバンバンと叩きながら、息継ぎも忘れて捲し立てた。
「労働せずにお金をもらえるのは、資本家だけなんだよ! 俺だってできることなら一日一食、玄米だけ食ってミニマリストとして静かに引きこもっていたい! でもな、俺たちは底辺なんだ! 労働して、価値を生み出して、スパチャという名の血肉を海外から啜り上げないと、来年の消費税で俺も会社も消し飛ぶんだよォォ!!」
四十歳の元ニートが、現役の海外ニートに向かって「労働の社会的価値」を説教するという、地獄のようなアイロニー。
その惨状を見かねたのか、それまで沈黙を守っていた結愛が、スッと冷たい声で割って入った。
『ルシフェル様の仰る通りです、ヨモさん』
結愛の完璧なビジネス敬語が、四畳半の熱狂を一瞬で氷点下へと引き下げる。
『我が社は営利企業であり、慈善団体ではございません。ルシフェル様があなたに求めているのは、英語圏の市場から外貨(ドル)を獲得するための【稼働】です。一切の収益を生み出さずに固定給だけを支払う行為は、税務上も不当な経費の流出とみなされ、我が社のキャッシュフローを致命的に悪化させます』
『うぇ……。なんか難しい言葉ばっかりで、眠くなってきた……』
ヨモが画面の中でコクリコクリと舟を漕ぎ始める。
『ヨモさん、契約書第5条をご記憶でしょうか? 「著しい業務怠慢が認められた場合、Live2Dモデルの制作費三百万円は、全額損害賠償として請求する」と記載されております』
『はっ!? さ、さんびゃくまん!?』
ヨモの大きな琥珀色の瞳が、一気に限界まで見開かれた。
猫耳がピンと逆立ち、全身の毛がブワッと膨れ上がった(ように見えた)。
『ちょ、ちょっと待って! そんなの聞いてないですよ!? ヨモ、貯金なんて3ドルくらいしかないのに!』
『契約時に電子署名をいただいたはずですが。……ですので、もし自己破産を回避されたいのであれば、明日からの配信でしっかりと労働の義務を果たし、リスナーからスーパーチャットを稼いでいただく必要がございます』
結愛の容赦のない追い込み(コールセンター話法による脅迫)に、ヨモは完全に涙目になっていた。
「わ、分かったかヨモ! これが資本主義だ! これが働くってことなんだよ! 俺たちは終わらないランニングマシンの上に乗っちまったんだ! 止まったら死ぬんだぞ!」
俺がここぞとばかりに社長風を吹かせて凄むと、ヨモはズビズビと鼻を啜りながら、恨めしそうにこちらを睨みつけてきた。
『うぅ……。鬼……、悪魔……、タックス・スレイブ(税金の奴隷)……。分かりましたよぉ、やればいいんでしょ、やればぁ! その代わり、スパチャの歩合はきっちり貰いますからね! ふかふかの高級ベッド買って、一日二十時間寝てやるんだからぁ!』
「おう、その意気だ! 稼いで稼いで、俺の来年の消費税を少しでも相殺してくれ!!」
かくして。
ベーシックインカムという甘い夢は、元ニート(社長)と元コールセンター(経理)の極めて現実的な【借金のチラつき】によって完全に粉砕された。
資本主義の絶対法則『r>g』の前に敗れ去り、泣く泣く労働を受け入れたズボラ猫娘『ヨモ』。
彼女が英語圏のリスナーに向けて、その圧倒的な「やる気のなさ」と「キレキレのネイティブ煽り」を披露する運命のデビュー配信は、もう明日にまで迫っていた。
コメント
1件
読了しました。この話、めっちゃ好きです…!社長が元ニートだった頃の自分と同じ思考のヨモに「r>g」を叫びながら説教するシーン、鏡を見せられてるみたいでエグいけど笑ってしまいました。そして結愛さんの「契約書第5条」で無慈悲に追い詰める流れ、資本主義の洗礼がコントみたいで痛快でした。ヨモのデビュー配信、めっちゃ気になります🥀