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ホテルで九鬼氏と対面し、それから松井さんと出会って、非常階段で会話を終えた。いずれもとても濃密な時間で、何時間も経った気分になっていたけど。
絢斗君の車に乗り込んで車内の時計を見ると、二十時前。
車でホテルの外に出ると街行く人達はまだ多く。交通量も多くて明るい夜の街だった。
ハンドルを握る絢斗君に行き先を尋ねると「いいところ。向こうに着いたら食事しよう」と、悪戯っぽく笑われた。
素直にその言葉に頷き。楽しみだと思った。
車内の会話は先ほどの出来事もあり、松井さんの事を少し教えて貰った。
松井さんは絢斗君の所属している弁護士事務所所長のご子息ではあるが。記者をやっているので、弁護士事務所を継ぐ気持ちが全く無く。
彼女が出来る気配もない事態を憂いた、所長さんと副所長さんが絢斗君を気に入り。
次の所長にと絢斗君を望み。折角ならと事務所の関係者の人と、お見合いを進められていた経緯を知った。
絢斗君はハンドルを捌きながら「でも、もうお見合いは断っている。俺には可愛い人が出来たと伝えているから。時期を見て真白を紹介したいし、安心して」と言う、絢斗君の横顔に惚れ直してしまいそうになった。
夜の街を走る車。
密室空間でそんな事を言われるとまた、胸がキュンとなる。
あまりお喋りしたら運転の邪魔かなと思い、口をそっと閉ざして。しばし静かな車内と、絢斗君の運転する姿を楽しむことにした。
(絢斗君は何してもカッコ良いけど、運転する姿も素敵。前は緊張し過ぎて自分の手元しか見てなかったもん)
今は横顔をちゃんと見れるようになって、なんだか嬉しい思いと。
絢斗君が九鬼氏から私を守ってくれるように立ち回っていた、用意周到さには舌を巻く思いだった。
そして。
(非常階段でキスって、絢斗君。大胆だよね)
先ほどの事を思い出して恥ずかしくなる。
けれどもキスも。絢斗が何度でも言ってくれる『可愛い』と言う言葉も。どちらも何回、何十回と回数を重ねられても嬉しいのも事実。
(だから絢斗君にずっと可愛いって思えるように、努力したい)
そんな事を思いながら、どんどんと絢斗君のペースに陥っているのが分かっていても、それを止める術はなく。
絢斗君の腕の中に落ちていく、心地よさを実感したのだった。
心地よい車内に身を任せ。絢斗君の整った横顔を見つめながら。
(このままお付き合いして、普通の夫婦になりたいな。三年後に契約が終わっても、きっと夫婦のままで……)
居られるんじゃないかと、ふと思ってしまった。
先ほどの九鬼氏と緊張の面持ちで対面し、一触即発なシーンは嘘のようで。
今はすっかりと気持ちが軽くなっている自分に、現金だと言わざるを得ない。
だから今はまだ気が早いと、気持ちを慰撫するかのように、窓に視線を向けて夜の街並みを見つめる。
そうしているうちに車は夜の街を駆けて。
絢斗君が「目的地はここだ」と言った場所は、オフィス街の真ん中に拡がる憩いの場。広い公園だった。
近くのコインパーキングに車を停めて、夜の公園に辿り着くとひっそりと──してはなくて、賑わっていた。
ライトアップされた広い敷地の中に白いテントが連なり、ガーランドも吊るされてフェスみたいな賑わい。
数々の白いテントには『ケバブ』『チキンステーキ』『クラフトビール』など看板が掲げられ、食欲が刺激される香ばしい香りがふわりと漂い。
カップルや仕事帰りの会社員の人達が賑やかにイートインスペースで、食事や会話を楽しんでいた。
「わ、屋台が沢山。あ、絢斗君。ここが良いところ?」
隣を歩く絢斗君に尋ねるとすっと手を取られて。「そうだ」と、公園内に導かれた。
「この公園の設立記念イベントが開催していて、こうして沢山の屋台が出てる。ここなら真白が好みの食べ物も何かあるだろうし。それにさっきの事もあるから開放的な公園や、緑がある方が真白は喜んでくれるかと思って」
夜だから緑は少し見えにくいかも、と優しく笑う絢斗君に嬉しくなる。
繋いだ手にきゅっと力を込めて。
「うん。嬉しい。ありがとう」
胸の奥で──もし。
あの高校二年生の夏休み。一緒にお祭りに行けたらこんな感じだったのかなと思うと、ふいに鼻の奥がツンとなってしまった。
けれども変に思われたくなくて、静かに絢斗君の腕に体を寄せて誤魔化し、寄り添いながら歩く。
「ん。真白どうかした?」
自然に寄り添ってみたつもりが、少し不自然だったようで。絢斗君に心配の眼差しを向けられてしまい。
──なんでもないと。首を横に振って。
「お腹空いたなって」
「あぁ。俺もだ。その前に少しだけ。真白に見せたいものがあって、ここに来た。実は本命はそれなんだ」
「見せたいもの?」
「もうすぐわかる。いや、もう目の前に見えているかな。ほら、あれ」
すっと絢斗君が遠くに視線をやったので、その視線を辿ると。一際明るい場所があり、その灯りに近づくにつれノスタルジーな音楽が聞こえてきた。
そして特徴的な建物を目にした。
カラフルな傘型の屋根。明るい電飾。その下に白馬があって。
「あれって。メリーゴーランド。その横には射的に……向こうのあれはゴーカート?」
どれも遊園地で見る物と違いなかったが、サイズ感はどれも一回り小さなものだった。
「そう、メリーゴーランド。移動式の遊園地が来ている。規模は小さいけど、どれも小振りで可愛いらしい。可愛い真白に似合うと思って、ここに連れて来たかった」
「わぁ。凄い……」
夜の小さな遊園地はキラキラしていて、絵本から出てきたかのよう。見ているだけで心が弾む。
「気に入ってくれたみたいで、良かった」
隣で優しく笑う絢斗君に胸がときめく。
「素敵な場所にありがとう。私、絢斗君が連れてくれて行ってくれる場所なら、どこでも嬉しいよ」
「これから二人で色んなところに出掛けて、色んな物をみたい。真白と思い出を重ねて行きたい」
私との未来を真っ直ぐに、見据えているかのような絢斗君。私も絢斗君と思い出や時間を重ねていきたい。一緒に未来を紡ぎたい。
でも──過去があって未来と繋がるもの。
その過去を振り返らなくていいのかと、頭を掠める。
今の私にはまだ──過去を全て曝け出す勇気が出ない。そっとそのまま、逸らしたい気持ちもある。
なのに。いっそ全部話してしまいたいと、言う思いもあって。
ぐらぐらと天秤のように気持ちは傾くばかり。
(違う。そうじゃなくて。その前に……絢斗君の気持ちを知りたい。もっとちゃんと理解したい)
絢斗君の側に居たいと思うのなら、尚更。この迷える気持ちをそのままぶつけるの違うと思った。
目の前には絢斗君の笑顔とメリーゴーランドの優しい音楽。暖かな光。
その光に酔いしれ。このままでもいいと、酔ってしまいそうになる弱気の虫を留め。
絢斗君をみつめる。
「絢斗君。私ね、絢斗君に話したいことが沢山あるの。でも、今は少し迷っていて。それに絢斗君のことをもっと知りたい。なのに、まだ気持ちが上手くまとめれなくて。ちゃんと整理が付いたら。その時は──聞いてくれますか?」
「……もちろんだよ。真白。でも、一人であまり悩み過ぎないで。いつでも俺を頼って欲しい。俺にとって真白は全てだから」
絢斗君の言葉はとても甘やかで、安らぎの|繭《まゆ》の中に居るような安堵感を私に与えてくれる。
先程車内で感じた腕の中に落ちていくような、陶酔感も心地よさしかない。
しかし、繭の中にずっと居ては羽ばたけない。
腕の中では、絢斗君に手を差し伸べる事が出来ない。
(何かあったら、そう。私は絢斗君を支えたい)
愛し愛され、愛しい人を支える。
言うのは簡単。
実際にはとても難しい事かもしれない。
昔のように悲しみで心が支配されて、動けなくて。絢斗君との繋がりを絶ってしまうことは、二度としたくない。
だからこそ自分の足で、何があっても絢斗君の隣に居られるようにと思うばかりだった。
その後。母に無事にホテルでの対面は終わったと連絡を入れてから、屋台で食事を楽しみ。
私はライチベースのモクテル。絢斗君はレモンソーダのカップを片手に、夜の公園をお散歩した。
夜とはいえイベントの喧騒が感じられ、ライトアップされた公園は歩きやすく。木々の香りも感じられて、良い夜に間違いなかった。
先ほどホテルで起こった出来事を楽しい記憶へと、塗り替えるのには充分。
移動式遊園地のエリアまで戻って来た所で、ドリンクも飲み終え。ダストボックスに空のカップを捨てたところで、そろそろ帰宅時間が気になると思っていると。
「ねぇ、真白。最後にメリーゴーランド乗らないか?」
絢斗君に意外な言葉を向けられた。
「えっ、一緒に?」
そうじゃないと、少し苦笑する絢斗君。
「いや。男の俺が乗っても似合わない。真白が乗ってるところを見て見たい。今日の服装も可愛いし。真白がメリーゴーランドに乗ると、きっとお姫様みたいに似合うと思って」
お姫様。
なんの照れもなく、さらりとそんなことを言う絢斗君に照れてしまう。
「お、お姫様だなんて。絢斗君が王子様なのは似合うと思うけど。私もう、とっくに二十歳超えているし。そんなお姫様だなんて柄じゃないから」
「真白は俺にとって妻でもあるけど、俺だけのお姫様だ。それに……俺こそ決して王子様だなんて柄じゃない」
俺は悪い魔法使いかもしれないね? と、優美に笑いながら頬を撫でられると顔が熱くなる。
さらに「俺のお姫様だから乗っておいで。真白は世界一、可愛いよ」と、甘く囁かれてしまえば断る言葉が見つからない。
頬に触れている、絢斗君の手をきゅっと掴んで。
「私のお、王子様は。絢斗君しかいないよ。私の旦那様なら一緒に乗って欲しいなっ。ほら、それにカップルで乗ってる人も居るから大丈夫。絢斗君だったら充分に王子様に見えるから」
ちょっと強引かもと思いながら、掴んだ手をぐいっと引っ張って行って。メリーゴーランド前に足を運ぶ。
(折角だったら、一緒に乗りたいっ)
子供ぽっいとは思いつつ、ちらりと絢斗君の顔を盗み見ると、メリーゴーランドの暖かな光を受けながら、柔らかく笑ってくれていた。
「お姫様にそこまで言われた仕方ないか。分かった。一緒に乗ろう。でもメリーゴーランドが似合ってなくても笑わないで欲しい」
「絶対に笑わない」
くすりと笑いあい。お互いの手を取ってメリゴーランドに向かう私達だった。
メリゴーランドのチケットを買って。
スタッフの人に案内されたのは、装飾がたっぷりとされた可愛い馬車。
絢斗君の身長が高いので、二人乗りの木馬でなくて。馬車にと案内されたのだった。
木馬でも馬車でもドキドキ感は変わらない。
絢斗君と一緒に馬車に乗り込めば、肩と肩が密着する。
絢斗君にはちょっと窮屈かもと、そろりと様子を伺うと。いつもは落ち着いた綺麗な顔が、少し困り顔で照れているみたいで。可愛いと思ってしまった。
「少し落ち着かないけれども、真白が隣に居るから楽しむことにするよ」
手を取られ。指が絡まると、どちらからともなく恋人繋ぎになった。
「うん。私も楽しみたい」
オレンジ色の柔らかな光に、周りには装飾が美しい木馬。中央の柱には少しくすんだ大きな鏡。どれもこれも、絵本から飛び出してきたかのような可愛いらしさ。
床が回転し始めるとオルゴールのような明るくて、ノスタルジーな曲が流れ始める。
中央の柱の電飾がキラキラと点滅すると、景色がゆっくりと周り始めて。馬車も木馬も音楽に合わせて上下する。
床が回転し、乗り物が上下するだけ。
それだけなのにとても特別な時間だと思った。
思わずうっとりと、上下する周りの木馬や音楽に魅入っていると「真白、いいかな?」と、絢斗君に話し掛けられた。
もちろんと頷くと。
絢斗君は眼鏡のブリッジをすっと上に押さえてから、神妙な顔つきで口を開いた。
「真白、実はずっと考えていたことがあって──これからは俺の家に一緒に住んで欲しい」
「えっ」
いきなりの申し出に声が出てしまった。
絢斗君の表情からは、軽い冗談なんかではないと見て取れた。
真剣な面持ちの絢斗君を驚きのまま、まじまじと見つめる。
「俺は心配なんだよ。九鬼氏やあの弁護士が再度、真白にコンタクトを取って来るかも知れない。真白が地元に居たら偶然、顔を合わす可能性だってある。俺はそれを懸念している。勿論、裁判が長引くことなんてない。むしろ悠馬がアクションを先に起こすことで、すぐにケリが付くと思う」
一緒に暮らす。
いきなり現実的な提案に驚く。
でも、契約妻だと言う事を了承していたので、いずれは一緒に暮らす事になるんだろうなとは思っていたけれども。
こんなに早く言われるとは思わなかった。
音楽に紛れない、はっきりとした絢斗君の声に耳を傾ける。
「卑怯な言い方をさせて貰うと、これも契約妻の範囲の内。俺が希望することでもある。一緒に住む方が今後、妻として周囲に紹介するときに不自然じゃない」
確かにそうだろう。
ふと、現実的なことも考える。私の勤め先は絢斗君の家からも通いやすい。
母や祖母と離れてしまうのは少々寂しいけれども、絢斗君の言う通り。
私が地元に居ると九鬼氏や宇喜田弁護士が何かまた、アクションを起こす可能性だってある。
ぴくりと、指先を動かすと。
ぐっと絢斗君の指が強く絡まる。
まるで揺れる気持ちに釘を刺されるよう。
自衛に越した事にない。
それに再会したときより、離れたくないと言う気持ちは最初の頃よりずっと強くなっている。
絢斗君のことを深く知りたいと言う気持ちも強い。
一つ深呼吸してから。
「うん──分かった」
よろしくお願いしますと、返事をしたのだった。