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#ゾンビ
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──時は少し遡る。ヴァーリが佳蓮に壁ドンをかましている頃、アルビスは自室へと足を向けていた。
廊下の窓から差し込む月明かりが、アルビスの美麗な顔を映している。
彫刻のように整っているその顔からは何の感情も読み取れないが、アルビスはとても苦しんでいた。
苛立ち、焦燥、悔しさ、もどかしさ。心を見えない刃物で、ズタズタに斬り付けられたような痛みを覚えていた。
アルビスはメルギオス帝国の皇帝だ。
幼少の頃からそうなるべく、帝王学、経済学を始め、剣術や体術はもちろんのこと、歴史や音楽、また文学に至るまで徹底した教育を受けてきた。
感情を表に出すのは付け入る隙を与えることになるから、他人の言動で感情を動かさない術だって身に付けた。
けれど佳蓮に対してだけは、上手く感情をコントロールすることができないでいる。
『ねぇ、あなた顔色が悪いけど大丈夫?』
召喚の術が成功してすぐ、佳蓮はアルビスに向けてそう言った。
きっと当の本人は無意識で言ったのかもしれない。けれど、アルビスにとっては衝撃だった。
召喚の儀は、魔法だ。
魔法使いなど、とうに廃れたと言われているこの時代において、皇族だけが唯一それを使える。だからこその皇帝とも言われている。
とはいえ、召喚術は大魔法だ。最悪、命を落とす危険性もある。過去それを恐れ、儀式にすら挑まなかった皇帝は数知れない。
そんな中、アルビスは異世界の女性──佳蓮を召喚することができたのだ。
魔力を根こそぎ奪われ、疲労困憊になるのは当然のこと。そこにいる誰もが、アルビスの顔色が悪くても、今にも倒れそうな状態でいても、そういうものだと思っていた。
けれど佳蓮だけは違った。
真っすぐにアルビスを見つめ、心配そうに眉を下げて、労わる言葉をかけてくれた。
看護師を母に持つ佳蓮にとったら、至極当たり前のことだったのかもしれない。でもアルビスはそれを知らなかった。もし仮に知っていても、きっと驚いたはずだ。
アルビスをただの一人の人間として見てくれたのは、佳蓮が初めてだったから。
あの瞬間、アルビスは佳蓮に心を奪われてしまった。
胸の痛みを誤魔化すように歩くことに専念していても、やはりアルビスは無意識に離宮の方へと目を向けてしまう。
それは、すぐ後ろを歩く側近のシダナが気付かないはずがない。
「陛下、離宮に寄られますか?」
「……いや。やめておく」
感情を抑えたつもりだったが、声音の端に未練を隠しきれていないのがアルビス自身でもわかった。誤魔化すように、すぐに言葉を足す。
「あれも、初めての夜会で疲れているだろう。今日は……いい」
そんな当たり障りのない理由を述べてみたけれど、本心は違う。
佳蓮は、ついさっき他の男の名を紡いだ。拗ねた口調の中にも、しっかりと親しみがこもっていたのが伝わった。
それを知ってしまった自分は、どんな顔をして佳蓮に会えばいいのかわからない。それが一番の理由だ。
シダナに気付かれないよう、アルビスはそっと息を吐く。
アルビスとて、佳蓮がこれまで生きてきた世界に興味はある。なにせ惚れた女性が生きてきた世界だ。興味を持つなというほうが無理がある。
皇帝という立場でも、情勢や政治について聞いてみたいという好奇心だってある。
けれどそれができない理由は一つだけ──怖いのだ。
佳蓮は元の世界で、他の誰かに想いを寄せていたかもしれない。戻りたい理由が、自分ではない他の異性の為かもしれないから。
その事実を知るのが、アルビスはとても怖かった。
だから佳蓮に元の世界のことを聞けないままでいる。
それなのに、この世界のことに興味を持って欲しいと思っているし、いいところだと思って欲しいと……そんな愚かな願いを持ってしまっている。
もちろん知ったところで佳蓮は、元の世界に戻ることはできない。アルビス自身、佳蓮を手放す気など毛頭ない。
でも一生、佳蓮の心の中に自分ではない異性が住み続けることに、アルビスは我慢ができなかった。
(私の心はとても、ささくれている)
この状態で佳蓮からつれない態度を取られたら、きっと自分は彼女を傷つけてしまうだろう。二度と修復が望めないほどに。
「カレン様も、きっともうお休みになられておられますね」
無言でい続けるアルビスの思考を読んだかのように、シダナは取って付けたかのような言葉を静かに呟いた。