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7 ◇俺にどうしろと?
日々、よほど自分の仕事から抜けられない場合以外は、仕事を早く覚えたいからと、
俺が取引先に出掛ける毎に、篠原が付いてくる。
そんな必死な様相を見ていたら仕事熱心で健気で、可愛いなぁなんて思ったり。
だけどそう思ってもおかしくないよな?
自然一緒にいる時間が増える中で、情だって沸いてくるし。
結婚してるからって、既婚者だからって、自然に湧き上がる感情を
異性に対して全部封印するべきなんて、それは無茶振り過ぎるっていうもんだろ?
しかし、そうは言うものの――――
出張前日に言われた姫苺 からの台詞が妙に頭から離れず、今回の出張の間中、
気が付くと頭の中がモヤモヤし、微妙かもしれない自分の今の立ち位置について
あれこれ考えている自分がいた。
着地点はいつも……『俺にどうしろと?』 だった。
◇ ◇ ◇ ◇
出先で一泊し、俺たちは帰路についた。
そしてその途上、出張前から約束していた店へと俺たちは足を向けた。
その店は空港から1時間ほど離れていた。
店内はテーブルなどからくるイメージのせいか、至ってシンプルな
造りに思えた。
ただ、メニューはバラエティーに富んでおり特にスイーツの類が圧巻だった。
綺麗にデコレーションされて陳列している様々なメニューは
目を楽しませてくれる反面、見ているだけで身体まで砂糖で溶けて
しまいそうだ。
「わぁ~天羽さんと本当にここに来れたんだぁ~。
私、うれしいです」
「えっ、何言ってンの。
今までだって何度か食事は一緒にしてるだろ?」
「今日は今までとは違いますから。
飛行機の距離の泊まりの出張帰りですもん。
何だか奥さまに申し訳ないわぁ~、お食事の準備して
待ってらっしゃるかも」
俺の方には視線を向けず、目の前のテーブルを見ながら
篠原は、あれっ? と思うような殊勝なことを言い出した。
普段そんなことなぞ微塵も考えてなさげな彼女がねえ~と、この時
俺は思った。
……なんていうかまぁ、本心からでないことは想像に難くないがな。
もしそんな殊勝なことを思えるような人間なら、自分から既婚上司を
食事に誘ったりはしないだろ?
俺は何故かふと姫苺のことを想った。
『私的な付き合いは止めてね』と俺にお願いしてきた妻のことを。
姫苺 は派手な見かけと違い結構真面目だから、仕事を覚えるのに
既婚男性の後をホイホイ付いては行かないだろうなぁ~とか、そんなことを
考えてるうちに俺はチラっと笑っていたようで、篠原に図星を指されてしまった。
「天羽さん、今奥さんのこと思い出したりしてません?」
「う、うん? イヤイヤちょっとね、別のことだよ」
白を切ったが、ドキリとした。
鋭いね君はって!
この夜俺は、何気に自分が振った話題でトンデもない事実を知ることに
なる。
自分でもくだらない話題だと自覚しつつ、他に話題もなかったため、
ひとまず振っとけ、みたいな軽い気持ちで話したのだが。
「篠原さん、うちの専務の苗字知ってる?」
「……」
「なんだ、知らなかった?」
「私と同じ篠原ですよね?」
「あぁ、やっぱり知ってたんだ」
たまたま同じ苗字なんだと思ってた俺は、爪の先ほどもそんなことを
考えてなどいなかったのだが、続けて勢いで言ってしまった。
「君と字も呼び方も一緒だろ?
もしかして、親戚か何かなの?
……そんなわけないか!」
「天羽さん私、今年で入社4年目になりますけど不思議なくらい
この話題を振られたことなくて、天羽さんが初めてです」
「そりゃそうだろうね。
もし君が専務の縁者だったら、上からその旨みんなに通達が
あるはずだから」
「なぁ~んだ、ってことは天羽さんもジョークとしてこのお話を
私にしてきただけなんですね。
あーっ、びっくりした。
どこでバレちゃったんろうって思いましたもん」
◇秘密
「バレたって……篠原?」
「天羽さん、私今まで誰にも話したことないんですけど……
実は篠原専務は私の父なんです」
「……」
「ほんとなんです。
まぁいろいろ諸事情ありまして一部の人しか知らない秘密なんですけどね」
「部長は?」
「ご存知です」
だからか、篠原が俺の後を付いて回ってもどこからも何も言ってこなかったのは。
前々から少し気になっていたことがこの時ストンと腑に落ちた気がした。
「ひゃぁ~、驚いた……参ったなぁ~」
「課長だけじゃなく、皆には知らせてませんので知らなくて
当たり前ですから、そう落ち込まないでください。
ただ言っときますが、私は縁故入社ではありませんよ。
ああ見えても父はそういうことには厳しい人なので……。
私、今の会社には父親に内緒で受けたんです。
ですから父も私の入社が決まってから知ったっていう具合なんですよ。
私、入社試験受ける時、ズルは絶対嫌だったので住民票とか母方の方に
移して受験しましたしね。
会社のほうでも合否の前には何も分かってなかったと思います。
あぁっ、もう今はちゃんと住民票元に戻してますけどね。
だ・か・ら、上の指示がなくても今は私の行動にいちいちケチは
つけてこないと思いますよ。
サボってるってわけでもないですし、それなりの成果をあげてますし。
でも父と私の関係はオフレコですよ、専務の父より上の方たち数人
しか知らないことになってます。
あのぉ、私のこと迷惑でしょうか?」
迷惑? めいわく……めいわく……え~と、どうだろう。
あまりの展開に、俺にとって篠原の存在はこの先どういう意味を
持つのだろうかと、プチパニックに陥ってしまった。
「いや、そんなことはないが……」
そう言うのがやっとだった。
俺が独身ならいざ知らず、既婚の俺がこの子に手を出してたら
やばいところだったことは確かだ。
いや、手を出す気なんて毛頭なかったわけだが……。
取り扱いを一歩間違うと彼女は地雷になる。
他の者たちが知らない事実を知ってよかったのか、知らないままの
ほうがよかったのか、気もそぞろなまま食事を終えて店を後にし……
その流れで俺たちは駅までの道を歩いた。
「天羽さん、吃驚しました? 私のこと」
「少しね。ちっともそんな風に思ってなかったから」
「心理的ご負担をおかけしたとしたら、すみません。
お話しないほうがよかったですね。
こんなお話をしたからって私のこと、特別扱いしないでくださいね」
はぁ~、今更だよ。
専務のこと切り離して考えてみても、君は俺に特別扱いさせて
きてるだろうが、と思わず突っ込みたくなった。
読めない奴だとは思ってたけど、専務の娘と聞いてなるほどと
2度3度と腑に落ちたわ。
いやっ腑に落ちてないよ。
どうして既婚者の俺に殊更くっついてくるのか、謎は残ったままだ。
内心あたふたしている俺に篠原が声を掛けてきた。