テラーノベル
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ヒデヨシの陣払いを知ったモリマサは、
ただちにカツイエへ意見具申した。
許しが下りるや否や、
兵を率いてヨゴ湖西岸を駆け、
オオイワ山に布陣するキヨヒデの陣へ襲いかかった。
後方に位置していたキヨヒデ軍は、
油断もあり、たちまち混乱に陥る。
深く攻め込まれたキヨヒデは、
自ら槍を取って応戦した。
だが、砦から火の手が上がるのを見ると、
もはやこれまでと悟り、自刃した。
勢いに乗ったモリマサは、
次なる標的をイワサキ山のウコン隊に定める。
しかしウコンの隊は戦わず、
ヒデナガの本陣へと逃げ帰った。
眼前に迫るヒデナガ本陣を見据え、
モリマサは馬上で吠えた。
「どうじゃ、思い知ったか!」
その咆哮は、山谷を震わせるように鳴り響いた。
カツイエは、オオイワ山砦陥落の報を聞くや、
即座に決断した。
――前面のヒデマサ隊へ。
「ゆくぞ」
短い号令とともに、軍は動いた。
やがてヒデマサの陣に、異変が訪れる。
左右の丘から、同時に矢が放たれた。
「来るぞ」
ヒデマサは即座に察し、声を張る。
「備えよ! 防げ!」
兵たちは盾を構え、防戦の陣を固める。
矢の雨が、地を叩き、人を穿つ。
――その直後だった。
「続けえい!」
鬨の声とともに突入してきたのは、
カツイエ自らが率いる騎馬隊であった。
黒き鎧の集団が、ひとつの塊となって突き進む。
その圧は、まるで地そのものが迫るかのようだった。
「防げ! 防げえい!」
だが、陣は耐えきれない。
前列は跳ね飛ばされ、次々と崩れていく。
その後ろからは、さらに兵が――
雲霞のごとく押し寄せてくる。
(持たぬ……)
ヒデマサは歯を食いしばり、叫んだ。
「退け! 一度退けえい!」
戦線は崩れ、後退が始まる。
気がつけば、戦場は――
カツイエの旗に覆い尽くされつつあった。
翌日、昼未明。
ヒデヨシの陣に、急使が駆け込んだ。
「申し上げます!
オオイワ山砦、陥落!
キヨヒデ以下、将兵すべて討ち死に!」
一瞬の静寂――
「勝った!」
ヒデヨシは即座に立ち上がる。
その目は、すでに次を見ていた。
「カンベエ!」
「はっ」
「キノモトへ引く。大返しじゃ」
「街道に松明を絶やすな。夜も進む」
「百姓には握り飯を用意させよ」
「――恩賞は惜しむな。過分に与えよ」
矢継ぎ早の指示。
軍は、すでに動き始めている。
「行け!」
そのときだった。
再び、伝令が飛び込んできた。
「申し上げます!
ノブタダ軍――アカサカに出現!
その数、約五千!」
「なんじゃと……!」
ヒデヨシの顔から、血の気が引いた。
(ノブタダめはギフ城ではなかったのか……!)
勝利の余韻は、一瞬で消え去った。
カンベエもまた、瞬時に事態を悟った。
「――このカンベエ、一生の不覚」
低く、しかしはっきりと言い切る。
「責めは、後ほどいかようにも。
されど今は――」
ヒデヨシをまっすぐ見据えた。
「軍をノブタダへ振り向けねばなりませぬ。
このままでは、背後を衝かれます」
「じゃが、それではヒデナガが……!」
一瞬の逡巡。
だが、カンベエは首を振った。
「持ちこたえてもらうほか、ござりませぬ」
言い切ったその声に、迷いはない。
――非情の決断だった。
カンベエは振り返り、諸将に命を飛ばす。
「キヨマサ! 直ちに陣を張れ!
全軍が整うまで、何としても持ちこたえよ!」
「マサノリ! 第二陣としてキヨマサを援護せよ!」
「各陣に伝えよ!
キノモト行きは中断――ノブタダ軍を迎撃する!」
伝令たちが、四方へ駆け出していく。
だが――
カンベエの内は、静かではなかった。
(ノブタダを……甘く見すぎたか)
脳裏に、あのときの光景がよみがえる。
(いや――)
(ショウリュウジ城で見た、あの男か……)
わずかな逡巡。
それが、すぐに消える。
「策士策に溺れたか」
カンベエは、かすかに笑った。
「王手飛車じゃ――どうする、ヒデヨシ」
アカサカの陣で、ノブタダは静かにつぶやいた。
兵たちは、無駄のない動きで陣を築いていく。
土塁が積まれ、柵が打たれ、旗が次々と翻る。
その光景を眺めながら、ノブタダは傍らのウジサトに口を開いた。
「儂は――父上を、恐ろしい武将だと思うておった」
わずかに目を細める。
「シンゲン公すら退け、第六天魔王とうそぶく……
その姿に、な」
一拍。
「だが――オケハザマでヨシモト公を討ったあの戦、
あのとき父上は……震えておったのかもしれん」
風が、旗を鳴らす。
「人は、魔王にも神にもなれぬ」
静かな声だった。
「儂は――人間じゃ」
その言葉に、揺らぎはない。
「この乱が始まる前、
ミツヒデにも、ヒデヨシにも……儂は恐れておった」
だが、とノブタダは前を見据える。
「こうして対峙してみると、不思議とな――
恐れは、消えておる」
遠く、敵陣の気配。
「儂は、人として勝つ」
ウジサトは、わずかに口元を緩めた。
「――それでこそにございます」
ヒデヨシとカンベエは策に溺れた
もともとギフ城攻めは――フェイクに過ぎなかった。
敵を引きつけ、主力を叩くための囮。
そのはずだった策は、いつしか――
「ノブタダはギフで迎え撃つはずだ」
という、思い込みへと変わっていた。
大返しにより兵を集結させ、
四倍の兵力差でカツイエ軍をすり潰す。
それが、ヒデヨシの描いた作戦でもあった。
だが――
現実は、その逆を突きつける。
分割された兵は、各個撃破の的となり、
主導権はノブタダに握られていた。
そして、いま。
この戦で敗れれば――
ナガハマ城へも、ヤマザキ城へも。
もはや帰る道はない。
街道は断たれ、
退路は、完全に閉ざされる。
アカサカの戦いは
ナガヨシとキヨマサのぶつかりあいから始まった
間合いが詰められ
マサノリとウジサトも火花を散らす
大軍の作戦の混乱が尾を引き
ヒデヨシ軍は精彩を欠いた
「儂は、お前様の作戦にすべてをかけたんだわー」
ヒデヨシは、どこか軽く笑ってみせた。
「心配せんでえーよ」
そう言いながら、続ける。
「カンベエ。儂はな――カナガサキの撤退のとき、
身ひとつでキョウまでたどり着いた男じゃ」
一歩、踏み出す。
「いざとなったら、まっぺんやるぎゃー」
その言葉には、飾りがなかった。
ただ、生き延びてきた者の実感だけがあった。
カンベエは、わずかに目を伏せると、
軍扇で口元を隠し――顔を背けた。
(……儂もここで死ぬか)
言葉にはしなかった。
「兄者の軍は、まだ来ぬのか!」
一方――ヒデナガの陣。
夜半の街道には、松明が延々と灯されている。
だが、その光は、ただ虚しく揺れていた。
カツイエ軍の猛攻により、諸将の陣は次々と崩れつつある。
「申し上げます!」
「申せ!」
「昨夕刻、ミノ・アカサカにて――
ノブタダ軍と戦闘が開始されました!」
「なんじゃと……!」
ヒデナガの顔が強張る。
「それで、戦はどうなった!」
「はっ、現在も交戦中とのこと!」
沈黙。
「……兄者は、来ぬのか…」
誰にともなく、呟く。
松明の火が、風に揺れる。
長い逡巡ののち――
松明の火が、風に揺れる。
遠くで、また一つ陣が崩れた。
ヒデナガは、唇を噛んだ。
兄を見捨てるのではない。
兄の軍が来ぬ以上、ここで全滅するわけにはいかぬ。
長い沈黙ののち――
ヒデナガは、静かに口を開いた。
「……ナガハマへ退く」
その一言ですべては決した
ヒデヨシ軍は、“敗走”を選んだ
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#戦乙女
眠狂四郎