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行商人を保護する保険制度。
これまでもないことはなかったが、保険金詐欺や不測の事故などで支払い能力が限界を超え、破綻することが多いので、あまり活用されてこなかった制度である。
だが。
「トロンの城主。不在卿が保証されるのですか!?」
事実ならこの上ないことだ。どこの馬の骨ともわからない商人ならばいざ知らず。辺境城塞都市トロンを統べる城主ならば、支払い能力は十分だろう。
ここまでくると、支払い能力よりも面子の方が重大になる。不在卿ともあられる方が保険金を渋るようなことがあっては、トロンの名に傷がつくからだ。
だが、不安もあった。
「彼のお方は100年戻られなかったはずですが」
行商人の不安にキャッチポール卿が応える。
「はい、現在ではアベル王子が不在卿の座につかれています。」
アベル……王子?
少しの間の後、行商人たちの中で点と線がつながる。
先の戦争で英雄と呼ばれた魔法使いアベルが王子となり、不在卿の座も継いだのだ。
こうなると、支払いは王家にすら及ぶかもしれない。国が保証してくれているとなると、最大級の信用を持つ保険になる。そんな保険、聞いたこともなかった。
多少高くとも納得できるし。
この種のものは安いと逆に不安になるものである。
そして、これは税でもあるので、どのみち払わなければトロンには入れない。長い距離を、本当に長い距離をかけてきたものだ。砂漠を越えた者もいれば海を越えてきた者もいる。今更元来た道を戻るなど考えたくもない。
「払います」
「かしこまりました。それでは、荷物を検分させていただきます」
行商人たちが荷を解く。
荷物の量によって課税される額が変わるので、高くて小さいもの、香辛料であるとか金や宝石の類いをこっそり隠し持って通過するのは、ある種常識のようなものだった。普通に脱税なのだが誰も気にしていない。
この行商人も高価なルビーをいくらか上着の内ポケットに縫い付けていた。
税関側からしても、すべての行商人を全裸に剥いて隠している商品がないか調べるわけにはいかない。そんな辱めを受けたなら、誰だってトロンの門をくぐらないだろう。
つまり、脱税をゼロにする方法はないのだ。
ある程度すり抜けられることは前提になる。
兵士が荷物を検分し、丁寧に紙にリストアップし始めた。
やけに執拗である。普通ならここまで細かくはない。
「それは何をしているのです?」
「どの荷物がどれくらいあるか正確にわからなければ、紛失した際に保証できないですからな、しっかりメモをとっているのですよ」
キャッチポール卿が何でも無いことのようにこう続ける。
「もし、検分から洩れていた場合。たとえば、高価な品を無くされた際、その存在が証明できなければ保証のしようがないでしょう?」
行商人が青ざめる。
隠している物品があるならここで見せておかないと保証外になるぞ。と暗に言われているのだ。
必ずしも事件や事故にあうとは限らないから、このまま隠し通していくこともできる。できるが、トロンがここまで強力な警戒線を用意していることを考えると、やっぱり危険なのか?
行商人は少し考えて、上着を脱いだ。
裏返して縫い付けてあるルビーを見せる。
「すみません、忘れていました」
「ご協力ありがとうございます」
このシステムが素晴らしいのは、暗に選択権が与えられているところだった。懐具合が悪いものは保険の適用外になることである程度税をちょろまかすことができるし、保険を適用したいものはしっかり税を支払うことができる。
そして、なにより。
税関は本来脱税されるはずだった税を受け取ることができた。
(こいつら、俺達の事情をよくわかっている……!)
キャッチポール卿は成人する前から税務に関わってきた専門家である。税というものが、ただ画一的に締めあげるだけで徴収できるものではないことをよく知っていた。
時には力でねじ伏せ、強盗のように切り取らねばならない時もあるが、もっともいいのは税を支払う側が、自分から税を支払おうとしてくれることである。
以前のトロンの税制は複雑過ぎてキャッチポール卿の処理能力を超えていたが、これならば十分に働くことができたのだ。
長い長い行列がトロンに向かって伸びていく。
一体どれだけの商品がトロンに入っていくのか、誰も想像できなかった。
耳を澄ますと、道行く行商人たちの間で言葉が交わされているのがわかる。
(英雄アベルは王子となり、不在卿の座についたそうだ)
(この行商人の優遇措置も不在卿が?)
(税収システムと商人の優遇措置を敷き、行商人を保護したのは不在卿だが、提案したのは幼妻らしい)
(幼妻? どこの家のだ)
(いや、それはわからないが。ランバルドにある公爵家の出らしいぞ)
ランバルド!?
先ほどまで戦争をしていた敵国だ。
なんで結婚してるんだ。
(状況から考えるに、停戦をより強固にするための花嫁ではないか? 人質みたいなものになるが)
そういうこともあるかと。行商人たちは納得する。
ただ、人質となった幼い令嬢が敵国の経済を回し、行商人を母国から守る政策を打ち出すというのは、不思議な状況だった。
母国であるはずのランバルドが令嬢にまったく信用されていないようにも見える。
考えすぎだろうか。
確かにランバルドへの圧力にはなるが、野盗対策でもあるのだから。
(しかし、この規模は……)
地平線の果てまで伸びる行商人と兵士の列が、沈みゆく太陽の光に照らされて赤く輝いている。ここ最近、トロンでの商いが活発になっているという噂を聞いて、例年よりも遙かに多くの行商人がトロンへ向かうようになっていた。
貴族お抱えの大商人どころか、貴族自らやってくることもある。
もしこの行列をランバルドが襲撃するようなことがあったら、世間的にはランバルドが悪とされるだろう。うっかり列に混じっていた貴族を殺しでもしたら、さらに別の国との国際問題になるかもしれない。
(……)
もしかして幼い令嬢はランバルドからその身を守るために、自分たちを肉の盾にしているのでは? そう考えると辻褄は合うが。いや、まさか。
……まさかな。
守って貰っているのにそんな言い草をするのは失礼というものだ。
行商人は考えるのをやめ、歩くことに集中した。