「そんな高待遇を受ける資格、ぼくにはありません。ぼくから野球を取りあげたら、ただ体が丈夫な人間しか残りませんのでね。パソコンも料理も、ろくにできませんし」
「その点についてもご心配はいりません」
美濃輪雄二は窓の外を眺めたまま言った。
「ご希望なら就業先も斡旋いたします。弊社は貿易商社です。南海さんがシェアハウスに入居されるなら、弊社での就業も可能です。
ここのほかにも弊社が所有する不動産会社、またはシェアハウスの1階にあるイタリアンレストランや洋菓子店でのお仕事に就かれるのも歓迎します。労働による給与はもちろん、活動費とは別途にてお支払いします」
「もう一度言います。そんな資格ありませんよ、ぼくには」
ツトムは激しい喉の乾きを自覚した。
ウォーターサーバーを眺めると、フロアには大垣がこぼした水が多く残っていた。
「あなたは入居資格をお持ちです。でなければ私がわざわざ球場まで出向いて、ルールも知らない野球観戦を行う意味がありません」
「試合まで観てたんですね」
三千の観衆のなかに、漆黒のスーツで座っている姿がうまく想像できなかった。
周囲の客は試合に集中できたのだろうか。
「それで? なんですか、その資格というのは」
「わかりきったことを――。あなたは特殊能力者だ」
「という仮定ですね」
ツトムは口内に残ったわずかな生唾を飲み込んだ。
「そうです。仮定です」
「ではひとつ聞きますが、美濃輪さんの言うところのぼくの能力とは、一体なんでしょう」
ツトムは窓越しに美濃輪雄二と視線を合わせた。
まるで底の知れない美濃輪の視線を浴び、ツトムは目を逸して環七通りを彩る光の列を眺めた。
「具体的にあなたがどのような能力をお持ちか、私にはわかりません。ですがあなたに特殊な能力があることだけは、明確にわかっています」
「それでは納得できません」
「ではご納得いただきましょう」
ほぅ……。
思わず声が漏れる。
美濃輪は身を翻し、ソファに座った。
「私は特殊能力者を見つけだす、という特殊能力をもっています」
「まあ、そうなるでしょうね」
ツトムは窓の外を眺めたまま、深いため息をついた。
「そういうことです」
「そんなあっけらかんと自身の能力を発表するなんて、正直驚きです」
ツトムは過去、自身の能力に気づいてからというもの、誰にも告げずにひた隠しにしてきた。
また能力について誰かに告げてみたいという思いすら、一度も抱いたことがない。
能力とは、最初から確たる秘めごととして根づており、だからこそ美濃輪雄二の間髪入れない独白は、驚愕に値した。
「南海さん。すでにあなたは、自分が能力者であると自白したようなものですよ」
唐突に美濃輪雄二は言った。
「どうしてそう思いますか」
「ふつうの大人は、能力だのなんだのと雲に乗るような話につき合えるはずありません。しかしあなたは、この奇妙な会話をすんなりと受け入れている」
「仮定の話では、人は空も飛べるし、時間を自由自在に操ることだってできます」
ツトムは自身の能力に近い状況をさりげなく混ぜてみた。
しかし美濃輪は、正面以外の方向をもたないように、ただ前だけを見ていた。
「私の目には、肉体から発せられるオーラのようなものが見えるのです。能力をもたない一般の人からはそうしたオーラは感じられず、特殊な能力をもつ方だけが湯気立ったように映ります。
私は街で偶然あなたを見かけました。あなたはまるで全身に電飾でもつけたように神々しく輝いていました。
すぐに声をかけようと近づいたのですが、とてもとても美しい女性とご一緒でしたので、やむなく尾行に切り替えました。興味のない野球を観戦したのもそのためです」
「ご足労をおかけしました」
「いえいえ」
「そんな無駄な労力を消費して、一体あなた方になんの得があるんですか。シェアハウスに住み、仕事もせずに活動費という名の給与を受けとる。
利益を生みだすべき会社組織の提案にしては、あまりに構造的に矛盾しているように思えますが……」
ツトムは窓を離れ、ソファにもどり座った。
「さきほどお伝えしたように、これは会社組織ではなく大垣オーナー個人のご意向です」
美濃輪雄二は視線をわずかに大垣のほうへと傾けた。
大垣は反応のないまま座っている。
「じつは社長室長という私の肩書は、フェイクでしてね。本当な業務は、能力者を見つけて大垣オーナーのまえにお連れすることなのです」
「ますます意味がわかりませんね」
「弊社の社員は、私の業務内容について知りません。いつも外出しては、ろくすっぽ会社にももどらず、加えて目に見える成果もあげずに社長室長の地位に就いている。
狡猾なコネ社員とでも思っていることでしょう」
「まさか、雑談をするつもりですか?」
「いえ、本題です。南海さんの根深い猜疑心を取り払うには、多くの情報を提供する必要がある。そう判断しましたので」
「あなたに人間的な嗅覚があるとは驚きですね」
「とにかくこれ以降は、私の業務範囲外となります。シェアハウス入居に関する詳細は、大垣オーナーから直接お聞きください。
私はあくまでオーナーの意向を、できるかぎり歪曲させずにお伝えするだけですので」
「それなら、そちらのオーナーさんを起こしてください」
ソファで目を閉じる大垣は、小さないびきをかいていた。
美濃輪雄二が大垣の肩に手をかけて三回ほどゆすった。
大垣は「カッ!」と声をあげ、目を大きく見開いたまま自由形の頭髪を掻きむしった。
「ツトム、おまえまさか……水飲んだりしてないよな。もういい加減に飲みにいくぞ」
「今日は車でここにきましたので、お酒はお断りします」
「ん? じゃなんでここにきたんだ」
「提案を伺いにきたのです。寝ぼけてらっしゃいますか?」
ツトムはやや苛立ちながら言った。
「車なんて、誰かに代理運転させればいいんだ」
「そうではなく、オーナーの真意を聞きたくてここにいるのです。お酒が飲みたいのではありません」
「真意ってのは、酒の席で聞くもんだ」
「ここから横須賀の選手寮までは、車で2時間近くかかります。代理運転など社員の方に申し訳なくて頼めませんよ」
「そんな面倒なことウチの社員にやらせるわけねーだろ」
大垣は大きなあくびをしてから、ぐっと伸びをした。
「こっちはそこそこ金持ちだ。心配するな。代理運転業者を呼んで、支払いもしてやるよ。それでもまだ気が引けるんなら、酒飲んだあとにそこのシェアハウスで寝てから、そのまま住みついちまえ」
大垣はそう言ってソファから立ちあがった。
よれたスーツがソファにプレスされて、さらなる形くずれを起こしている。
「大垣オーナーについてでてください」
シワひとつないスーツの美濃輪雄二が言った。
「まえにもお伝えしましたが、あなたは幸運を引き当てたのです。大垣オーナーがシェアハウスの入居と高待遇をなぜ提案なさるのか、聞いてみるだけなら損はないでしょう」
「おい、ツトム、さっさといくぞ」
大垣はツトムの反応を待つことなく、そそくさと社長室をでていってしまった。
「あっ」
ツトムは大きなため息をついた。
しかしほとんど無意識に大垣のあとについてでていた。
部屋に残る美濃輪雄二は背筋を伸ばしたまま、スイッチを切ったように動かなくなった。
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