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話は、妹の紫音が専門学校の2年に上がり、弟が高校2年生に上がり、そして輝馬がYMDホールディングスに入社してから4年目の春を迎えた1ヶ月前に遡る。
「『恐怖の廃病院!オカルト雑誌の記者であるあなたは、編集長からある廃屋を紹介される。実はそこは日常的に人体実験が行われた廃病院だった。病院に閉じ込められたあなた。実験に使われた化け物のような患者たちから逃げながら、出口を探し出せるか!360度、恐怖と悲鳴のホラーゲーム、ついに解禁!』」
「……………」
輝馬の企画書を、わざとらしい臨場感を出しながら読んだ企画部の部長は、大きく息を吸いながら、眼鏡の上の隙間から睨んだ。
「……ねえこれってさ。かの有名な『バイオパニック』と何が違うの?」
「―――ええと」
輝馬は視線を上下させると、そのこちらを睨んでいる目を見つめた。
「バイオパニックはウイルスに侵されたゾンビですが、『恐怖の廃病院』は、昔人体実験に利用されたいわば怨霊です」
「うーん」
部長は同意とも理解とも疑問ともとれるうなり声を出した。
「人体実験でいろんな改造をされているので、バリエーションにあふれた元人間が襲い掛かってくるという恐怖があります」
「はあ」
今度はわざとらしく目と口を開く。
「バイオパニックは『逃げる』という選択肢のほかに、『戦う』という選択肢があり、また、武器を手に入れたり改造したりと難易度も高くて、ゲームに馴染みのない女性や子供には敬遠されがちでしたが、『恐怖の廃病院』は逃亡一択。逃げるしかないという選択肢の少なさが、逆に恐怖を増長させるものと考えます」
少し話していたら、なんだか調子が出てきた。
輝馬は手ぶりを加えて続けた。
「それと廃病院をリアルに表現するために、視界はとことん悪くします。懐中電灯が照らし出したところがやっと見える程度。だからアイテムが入手困難なばかりではなく、敵だってちゃんとライトを当てないと見えません。
プレイヤーはほとんど視界を奪われたまま、ライトの光にちらちらと見える不気味な何かに追われ、逃げ続けるのです」
「んふっ」
部長は変な声を出しながらデスクに肘をついて輝馬をのぞき込んだ。
「……君さあ。バイオパニック、やったことないでしょ」
「いえ昔、学生時代に少しだけ」
輝馬は部長の目を見つめた。
「バーカ。それをやったことがないって言うんだよ!」
そういいながらデスクに企画書の束を打ち付ける。
「あの作品が20年以上ヒットし続けている最大の理由は、底知れない恐怖と、不意打ちでくる驚き、グラフィックの美しさ、さらにはアクションの爽快感なんだよ!」
輝馬の白い顔に、部長の臭い息とともに唾の霧が飛ぶ。
「お前、ヒットした要因を全部つぶしてどうすんだよ!」
「……いや、それは……」
「俺、言ったよね?ベンチマーク作品をなぞれって。始めはそれでいいんだから、言われたことをまずやれよ!誰が世界をまたにかけたバイオパニックの逆を攻めろって言ったんだよ!」
「でも僕は……!」
「まあまあ。部長も市川もそこらへんにして」
言葉を続けようとしたところで、ポンと肩を叩かれた。
「建設的な意見を生むには、衝突より対話ですよ。お二方?」
振り返るとそこには、企画部2課長、上杉が立っていた。
◇◇◇◇
「ベンチマーク、ベンチマークって、バカの一つ覚えみたいに!そんなの言い方をかっこよくしただけで要はパクリじゃないすか!」
輝馬はエレベーター脇のベンチで項垂れた。
「パクリじゃないさ。セオリーだよ」
上杉は笑いながら自動販売機から買ったコーヒーを輝馬に手渡した。
「たとえばここに、売れ筋ナンバーワンの缶コーヒーがあるとする」
輝馬は受け取らずにそれを睨んだ。
「これがナンバーワンである所以、他との差分を明らかにするために、豆のルーツを知り製造過程をなぞることは、決して無駄ではないと思うけどね」
「……そんなの、綺麗ごとですよ」
輝馬は口を尖らせた。
「そんなやり方じゃ、その缶コーヒーと似た商品しか作れない」
「たしかにな」
上杉は楽しそうに笑った。
「だがその作業を、コーヒー嫌いな人間がやったとしたらどうなる?」
「…………」
「俺が前から言ってるのは、そういうことだよ、市川」
上杉が片目を細めながら言った。
「ゲームをやらないお前にしか作れないゲームが、絶対にある」
ゲーム会社の就職試験を受けたのは偶然だった。
県内に本社のある合同企業説明会に参加した28社の企業のうち、一番基本給が高かったのが、このYMD ホールディングスだった。
将来の安定のため、社会的信頼のため、金融系に勤めることは半ば決めていたのだが、景気づけと半分冷やかしのために世界に名前を轟かせているYMDホールディングも受験してみた。
筆記試験をなんなく通過し、挑んだ集団面接で、輝馬は10名を超える役員の前で言い放った。
「私はゲームをしたことがほとんどありません。だから普段ゲームをしない人間の気持ちがわかります。私が入社した暁には、ゲーム好きな人間はもちろん、普段ゲームなんてしないという人間もハマってしまうゲームを作りたいと考えております」
この言葉にピンと来たのが、この企画部二課長、上杉だった。
「彼は僕が育てます」
他の役員がいい顔をしない中、上杉は半ば強引に輝馬の入社を推してくれたらしい。
「お前にしか作れないゲームが必ずあるはずなんだ」
これが、20代から30代をゲーム制作に注ぎ、女も婚期も逃した上杉の口癖だった。
「俺は、ゲーム嫌いなお前が、心から楽しいと思えるゲームを見てみたい」
◇◇◇◇
「重っ!」
輝馬はふらふらと自分のマンションに帰ってくると、スーツのポケットに入れてきた缶コーヒーをリビングテーブルの上に置いた。
「自分が携わったゲームの売れ行きがいまいちだからって、部下に過大な期待をかけるなんて、マジうぜえ」
正直、期待されるのも、教え導こうとするのも、迷惑だった。
もしかしたら自分はーー。
彼が言うような才能など、一つも持ち合わせていないかもしれないのに。
「……てか、ゲームなんてどこが面白いのかわかんねえし」
自嘲的に笑うと、ドカッとソファに座りながらネクタイを緩め、ノートパソコンを立ち上げる。
ウィンと起動音がして、画面にDALLという四文字が浮かび上がる。
ふと思いついて、缶コーヒーを持ち上げソファから立ち上がると、冷蔵庫を開け、ビールと交換した。
カシュッと音を立てて、蓋を開ける。
デスクトップのアイコンをタッチすると、画面にはたくさんの画面が現れた。
時刻は22時。
もうすぐあの時間だ。
パソコンの右下にある数字が、22:00に変わる。
『おっつー!3年4組のみんなー』
その瞬間、パソコンからはやけに掠れた女の声が響いてきた。
学級委員だったお調子者の赤坂みどりの声に、
『お疲れ!』
『おっつー』
『きょんばんはー!』
元クラスメイトの声が続く。
31人中、今日は16人。
歓送迎会に花見シーズンなど、4月の忙しさを鑑みれば集まったほうだ。
輝馬はその事実に満足しながら、自分も「お疲れ」と言いながら、パソコン上のカメラに向けてさりげなくビールを翳した。
『おおっと。市川はもう飲み始めているようですよー!』
赤坂がちゃんと気づいてくれる。
『市川、早いってー』
『なになにちょっと、何本目―?』
元クラスメイト達が笑う。
輝馬は開けたばかりの缶ビールを振りながらもう1つの手で3を作って見せた。
『はや!もうできあがってんじゃーん!』
『えー、3年4組のみなさーん。元ミスター藤呂高校の市川輝馬はすでに出来上がってますよー?』
輝馬のついたどうでもいいウソに、クラスメイトが盛り上がってきた。
ちょっとはにかんで笑って見せてから、「お先に」輝馬はカメラを上目遣いで見つめた。
『きゃあああ!!』
『かっこいい~!!』
元女子たちが黄色い声をあげ、
『出たー!秘技、女殺し!!』
『この視線に何人の女が泣かされたことか!!』
元男子たちが笑う。
こうでなくちゃ。
輝馬はほくそ笑んだ。
このゲームの主人公は、
この俺だ。
WIPES(ワイプス)は、ビデオ通話ができる遠隔コミュニケーションの無料ツールだ。
学級委員である赤坂の呼びかけで、元藤呂高校3年4組の仲間がグループとして集められたのは、3年前のことだ。
『社会の喧騒に揉まれながらも、故郷と仲間を忘れない』
赤坂の提案に、大学を卒業したばかりで大きな不安と期待を抱えていたクラスメイト達はこぞって参加した。
それから人数の増減があり、今現在、全クラスメイト40人中、31人がこのグループに入っている。
毎週金曜日の22時。
参加は自由。
集まれる者、飲みたいメンバーだけ、このグループチャットにつなぎ、それぞれの場所で、各々の酒を片手に乾杯する。
多少あか抜けてはきたが、当時の変わらない純粋無垢な笑顔を向けてくる頭の悪いクラスメイトが、輝馬は好きだった。
「……飲まねえとやってらんねえよ」
輝馬の言葉に、みんなが画面をのぞき込む。
『やっぱり天下のYMDホールディングスともなると、毎日忙しいですか?』
お調子者だった清野が笑う。
「忙しいなんてもんじゃねえよ。定時なんてあってないようなもんだからなぁ」
(ーー企画が通ればな)
『すげえなぁ。ゲーム企画かぁ』
「まあねぇ。とはいっても企画だけじゃないから。イラストレーターとのキャラデザの打ち合わせやストーリーのプロット会議にも参加しなきゃいけないし」
(ーー企画が採用されればな)
今日も定時でタイムカードを切って追い出されるように会社を出てきたくせに、この時間までフラフラと街をブラついていた輝馬は、さも疲れたように眉間を押えながら目を瞑った。
『えー、輝馬君と乾杯したかったなー!』
その声に、掌の中で瞼を開ける。
ワイプの右下。
当時と変わらない可憐な瞳で、峰岸優実(みねぎしゆみ)はこちらを見つめている。
ミスター藤呂ともてはやされ雑誌の取材まで受けた自分が、3年間でどうしても手に入らなかった女。
輝馬は指の間から彼女の顔を睨み上げ、手首の陰で舌なめずりをした。