テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
どんよりと分厚い雲に覆われて月を失った真っ暗な夜空の下は、辺り一体が全て、ひっそりと静まり返っている。
人々の生活音も、風が窓を揺らす音さえもしない重たい静寂の中で、ただ二人、俺たちだけがゆらゆらと蠢いていた。
「んぁ“ッ、れん、っふ」
「なぁに、阿部ちゃん」
「っぁ…っん“ぅ“〜ッ“!それやだぁ…っ」
「いいクセに。っは、ぁ…っ」
蓮が動くたび、ギシ…ギシ…、とベッドの木枠が擦れる音が寝室に木霊する。
その音色に耳を傾けて、今にも溶けそうな意識をなんとか保つ。
体の中に渦巻くもどかしい快感に、おかしくなってしまいそう。
まだここに留まっていたくて、このままじゃ何も考えられなくなってしまいそうで怖くて、必死に蓮のことだけを考えた。
「ぁっ、ん、ぅぁ…ッひ、ん“ん“〜ッ!」
「好きなんじゃん、これ。さっきからすごい締め付けてくれるよ?」
「っ、ほんとに、やぁッ…!変になる、、」
「なって…よッ!!」
「〜ッ!?ひぁ“ああアぁ“ッ!?」
「、ッふ、はぁ、きもち…、俺のせいで変になる阿部ちゃん、見たい」
「ぃやぁッ、やだぁっ…」
「「いや」も「やだ」もだぁめ。それに元はと言えば、阿部ちゃんが悪いんだよ?俺、怒ってるんだからね?」
先程から蓮は、緩やかな速度で俺の中を自由に動き回っている。
大きくそれを引き抜いて、浅いところまで来ると動きをやめてしまう。
切なくなった俺の中は、無意識に蓮を奥へ奥へと誘うように、やわやわと収縮する。
解放させてもらえなくて苦しくて、悩ましい吐息が自然と漏れれば、蓮は満足したようにサイドボードの上で灯る薄い明かりの中で、にんまりと微笑んでから一気に押し入ってくる。
急に体の中に物理的な質量が押し寄せるたび、俺の体はいちいち素直に反応してしまう。
何度も重ねてきたお互いの体を、俺たちはよく知っている。
もうすっかりとその形を覚えてしまった俺の中は、奥まで届いたそれに喜ぶと、すぐにぎゅっと抱き締めて離そうとしない。
そのはずみで、鮮明に蓮の形を全身で感じてしまう。
本当にどうにかなってしまいそうだった。
俺の意識が、なんとか今ここに留まっていられているのは、もういよいよ誤魔化しきれなくなってきてしまっている、覚束ない違和感があるから。
何が起きているのかなんて、分からない。
何がきっかけだったのかも、心当たりがない。
いつからこうなってしまったのかさえも、もうぼんやりとしか思い出せない。
それでも、今日はなぜ蓮を怒らせてしまったのかについては、よくよく振り返らなければいけないだろう、ということだけは分かっていた。
たった一本だけ残っている千切れそうな糸に縋るような気持ちで、蓮から与えられるとめどない快感に耐えながら、記憶を手繰っていった。
今日は、舘様とお昼ご飯を食べた。
と言っても、どこかに出かけたわけではない。
今日の収録の時にいただいたケータリングを、スタジオの空きスペースでパイプ椅子に座りながら食べていただけだ。
雑誌の撮影で起きた面白かったこと、最近作った料理について、髪を切る頻度はどのくらいか、なんてそんな他愛もない会話をしながら二人でカツサンドを頬張っていた。
なかなかにボリュームはあったがとても美味しかったので、四つ目に手を出そうかどうか迷っていたところで、舘様は急に顔をこちらに近付け、声のトーンを抑えながら俺に尋ねた。
「あれから目黒の様子はどう?」
本当に唐突な質問だったので、俺はしばらくの間ぽかんとしてしまっていた。
「あれから」というのはいつからのことだろうかと考えながら、驚いた拍子に一瞬だけ触れてしまった四つ目のカツサンドを手に取って胸元まで引き寄せた。
「あれからって…?」
「この前、夢の話をしてくれたでしょ?それからどう?って」
「あー…」
その一音に尽きた。
それは、特に変化も無いというわけでもなければ、すっかり元に戻ったというわけでもない、という微妙な状態だったが故の発声であり、その一方で、どちらかというと少し悪化しているような気もあったからだ。
「あの時から今もずっとで、最近はもっとべったりになった気はしてる、かな…あはは…」
メンバーに自身の恋愛事情を話すなんて少し気恥ずかしくて、思わず乾いた笑い声がこぼれた。
しかし舘様は、そんな俺の反応とは正反対に、深刻そうな顔をしていた。
綺麗に整えられた眉が、くにゃっと八の字に下り、その中心には深い皺が刻まれていた。
「…やっぱりか」
しばしの沈黙のあと、舘様はそれだけを言った。
何か心当たりでもあるのだろうかと、一縷の希望を抱き、舘様へ「何か知ってるの?」と尋ねようとしたところで、俺の口は突然後ろから塞がれた。
「阿部ちゃん、俺たちの話は内緒…でしょ?」
顔を固定された状態で目だけを上に向けると、そこには蓮がいた。
「…ぅん。んーんーっ!!」
正直、これまで蓮とそんな約束をした覚えは一切なかった。
しかし、自分のいないところでそういった話をされることは、あまり好きじゃないのかもしれないと思い直し、ひとまず承知した旨を首の動きと声とで示し、手を退けて欲しいと唸った。
すると蓮は、口を塞がれた状態で己を見上げる俺の顔を見て、恍惚の笑みを浮かべた。
その瞬間、ぞくりとした感覚が背中に走った。
なぜそんな顔で笑うのか。
蓮のこの時の気持ちは分からなかったが、その目はただただ、細い半月型の弧を描いていた。
その奥にあるものはギラギラとしているのに、何故だか光のようなものは何も感じられなかった。
「目黒、離してあげて。阿部が苦しそうだよ」
「っと、ごめんね。可愛くて見惚れちゃってた」
「っぷは、…大丈夫」
どの口がそんな可愛らしい口説き文句を言っているんだ、と思ったが言わずにおいた。
蓮の弁明と表情は、全く噛み合っていなかった。
恐らく舘様がいる手前、誤魔化したのだろう。
舘様に嗜められたあとすぐに、蓮はケロッとした顔に戻っていたが、俺はいつまでも、底無しのあの真っ黒い目が忘れられなかった。
「そろそろ休憩終わりますって言いに来たんでした」
「あ、そうだったの。わざわざありがとう」
「っす。じゃ、阿部ちゃん、いこ?」
「う、うん…」
蓮は水が流れるような自然な手つきで俺の肩を抱くと、俺ごと舘様へ背を向けてセットのある方へ歩き出した。
ただ、蓮は顔だけは舘様の方を向いていたようだった。それに気付いて「どうしたの?」と声を掛けると、蓮は「ううん、なんでもないよ」と優しく微笑んだ。
蓮の左腕に囲われながら歩みを進めていると、あの日と同じように、俺の背後からまた、舘様の小さな声が聞こえた。
「これじゃあ手は出せなさそうだな…」
なんのことだろう?と思う前に、スタッフさんの「本番始まりまーす!」という大きな声が室内に響き渡り、その先を考えることは出来ずに時間は過ぎ、そのまま帰宅することになった。
ここまでが、今日の蓮の気に障ったかもしれない出来事として、唯一思い当たることの経緯だ。
最近は毎日無条件で蓮の家に連れ帰られていて、今日も今日とて、蓮の家に連行された。
玄関で靴を脱ぐ暇もなくドアに押し付けられ、噛み付くようなキスをされたあとのことは朧げだ。
冷静な思考なんて持てなくなるくらいに溶かされて、気付いた時にはもう蓮とベッドの上にいたのだから。
何がいけなかったのだろう。
舘様に、蓮とのことを相談しようとしたことくらいしか、原因が思い浮かばない。
もしくは、蓮と離れていたところでお昼ご飯を食べていたのがいけなかったのかもしれない。
思い付くのはこの二つくらいしか無さそうに思えた。
何がそこまで、蓮をそうさせるのだろうか。
舘様に不思議な夢を見たという話をした日の少し前からずっと、蓮の様子がおかしいのだ。
普段さっぱりとしている蓮は、ある日を境に、急に何かに取り憑かれたように俺のそばから離れなくなった。
依存も束縛も、嫉妬だってされたことは無かったので、初めてそれを感じた時は驚いたが、数日でおさまるだろうと思っていた。
しかし、それは甘い考えだったと、ここ最近はそればかりを思っている。
執着は日ごと激しくなり、オフの時間が来ると、蓮はたった一分でも俺と離れることを嫌がるようになった。
流石にカメラやファンの前ではしゃんとしているが、バックヤードに戻った途端に蓮はコアラになる。
背中でも腕でも、胸の辺りでも、どこかしらにくっついてきては、瞬間接着剤でも塗ったのかというくらいに片時も離れてくれない。
初めの頃は、蓮にだってそういう時期があるのだろうくらいに構えて、普段そこまでベタベタしない蓮からのスキンシップに喜んでいた。
ところが最近は、トイレに行く僅か三分足らずでも、歯を磨こうと立ち上がろうとしたほんの一瞬でも、俺が一人でにどこかへ行こうとすると、「どこ行くの!?俺も一緒に行く!」と言って聞かなくなった。
確実に、「何か」が進行していた。
形も原因も、名前も分からない病のようなものが、蓮を侵蝕しているのではないかと思わずにはいられなかった。
だからこそ、何かを知っている様子の舘様に、心当たりのあることを聞きたかったのだが、蓮がそういう話をされるのが嫌だと感じるのなら、これは、このまま聞けずじまいで終わってしまうだろうと思う。
今日あったことを思い出している間に、気付けばうつ伏せの体制になっていた。
蓮の匂いが濃く残る枕に顔を埋めながら、ずっと襲いかかって来ている身悶えするような強い快感に耐えていると、突然首に激痛が走った。
「ぃ“っ!?へ…っ?」
「何考えてるの」
「ぇ…」
「何もかも、全部そらさないで。今ここにいるのは俺でしょ?」
「れん…?」
「わかる?俺、阿部ちゃんのココにいるんだよ」
「ひぅッ!?」
奥までそばに居てくれている蓮のそれを意識させるように、下腹を撫ぜられる。
時折そこをグッと圧迫されれば、余計にその存在をはっきりと感じ取ってしまって、内側から湧き起こるビリビリとした気持ちよさが、急速に背骨を駆け巡っていく。
腹の下に蓮の拳がするっと入り込み、俺の背中と蓮の胸がピタッとくっついた状態で、ゆっくりと上下に揺さぶられては、声も出せないほどの快感が身体中に迫ってきて、のたうち回りたくなる。
蓮のゴツゴツとした拳の骨が下腹を外側から抉る。その出っ張りを目掛けて蓮のそれがじわじわと俺の中を行き来する。
その度に皮膚と少しの器官だけがある部分で、より一層強く蓮の動きを感じ取ってしまう。
おまけに、焦らすように、感知させるように、わざとゆっくりとした動きで攻め立てられてしまっていて、余計に蓮を濃く感じた。
今、誰が己を抱いているのか。
今、誰の下で己は鳴いているのか。
それをしっかりと認識させるように。
この体に、はっきりと刻み付けるように。
そんな気持ちが、蓮の中にあるような気がして、嬉しいような、切ないような、そんな釈然としない感情が甘く苦く、心の中に沈澱していった。
「んァ“あ“ッ、やめ…ッひ!?、〜〜ッ“!!」
「ふは、気持ちよさそ。かぁわいぃ…んっ、ぁ…」
とめどなく注がれる壊れそうなほどの刺激をやり過ごしたくても、蓮に後ろから抱き抱えられてしまっている状態では、身動きが取れそうにない。
気持ちよすぎて、苦しい。
これ以上は自分を保てなくなってしまいそうで、怖い。
でも、それ以上にーー。
手のひらの感覚が無くなりそうなほど強く枕を掴むと、その上に蓮の手が重なって、途端に泣きそうになる。
この部屋の中には、この乱れたシーツの上には、この重なった二つの手と手の間には、確かに愛情しかないはずなのに。
俺の中にも、蓮の中にも、お互いを好きな気持ちだけがあるはずなのに。
それなのにどうして。
どうして。
ーーこんなに蓮を怖いと感じるんだろう。
言葉は優しいのに、声音は氷みたいに冷たくて。
顔は笑っているのに、瞳の奥は底無し沼みたいに深くて。
背筋が凍り付きそうなほど怯えているのに、どうしてか突き放せない。
蓮の中にある何かが、俺を強く下へ下へと引き摺り込む。
それはまるで、近付いた瞬間抗う間もなく吸い込まれていってしまう、あのブラックホールのよう。
恐ろしく深くて暗いのに、いつまでもそこから目が離せない。
でも、その気持ちと同じくらい、逃げたくて仕方ないと思っている自分も、確かにここに存在している。
こんな蓮、知らないから。
「“阿部ちゃん”、好きだよ…っぁ、く…」
お互いを求め合うこの瞬間に、俺の名前を呼ばない蓮を知らない。
「もう一回うなじ噛んでいい?俺のだよって痕残したいの」
俺に噛み傷をつける蓮を知らない。
「気持ちい?ねぇ、ちゃんと教えて?」
こんな風に、嬲るように、意識を保っていられる境界線のギリギリのところまで追い詰めては、ぐずぐずに溶かそうとする蓮を知らない。
怖い、好き、きもちい、分からない。
強烈な快感か、喜びか、恐怖か。
どろどろの感覚とぐちゃぐちゃの感情に呑み込まれながら、奥を穿ち続ける蓮のそれと、熱っぽく求めてくれる蓮の吐息とを全身で感じれば、どうして出て来たのかも分からない涙が滲んだ。
それは、じわ、じわ…と、蓮の枕に一粒ずつ染みていった。
コメント
2件

面白かったです🖤💚😊
おお…😳✨文章力が…すごすぎ✨✨