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井上 _🪼💙💫
🌙第2話「寄り道しないで」
午後の教室は、どこか浮ついている。
「ねえ朔くん、今日さ――」
「ごめん、無理」
被せるように返した声は、いつも通り淡々としていた。
机に頬杖をついたまま、視線すら向けない。
「またそれ?一回くらい――」
「行かない」
短く、終わり。
それ以上は会話にならないと分かると、相手は苦笑いを残して離れていく。
(……めんどくさい)
騒がしい空気が遠ざかって、やっと静かになる。
窓の外に目をやると、少し傾いた日差しが校庭を照らしていた。
――帰ろう。
そう思った瞬間には、もう鞄を掴んでいた。
向かう先は、決まっている。
家じゃない。
(……今日、早く帰ってるはず)
結衣斗の顔が浮かぶ。
特別な理由なんてない。ただ、会いたいと思っただけだ。
それだけで、足は自然と速くなる。
会社の前に着いた頃には、空は少しだけオレンジ色に染まっていた。
人の出入りをぼんやりと眺めながら、朔は壁にもたれかかる。
スマホを見る気にもならない。ただ、待つ。
しばらくして――
「あ、結衣斗くん!」
明るい声が、耳に入った。
視線を向ける。
そこにいたのは、見慣れた背中。
振り返った結衣斗が、誰かと笑っていた。
「お疲れさまです、今日も大変でしたね」
「いや全然、むしろ助けられてばっかで…」
少し照れたように笑う顔。
家で見るのとは、少し違う表情。
(……なにそれ)
胸の奥が、じわっと重くなる。
知らない顔。
知らない声。
知らない距離。
(……他人)
ふ、と視線を逸らした。
――帰ろうか、と一瞬思う。
でも、足は動かない。
やがて会話が終わって、人が散っていく。
結衣斗が一人になって、建物から出てきた、その瞬間。
「……兄ちゃん」
呼びかけると、驚いたように目を見開いた。
「え、朔ちゃん?なんでここ――」
言い終わる前に、距離を詰める。
そのまま、抱きついた。
ぎゅ、と。
逃がさないみたいに、しっかりと。
「ちょ、外でなにしてんだよ…!」
周りを気にする声。
でも、離さない。
顔を埋める。
微かに、違う匂いがした。
「……帰る」
それだけ言って、手を引く。
結衣斗は困ったように笑いながらも、結局ついてくる。
帰り道、会話はほとんどなかった。
朔は前を向いたまま、結衣斗の手を離さない。
結衣斗も何か言いたげだったけど、結局何も言わない。
家に着いても、その空気は変わらなかった。
「……朔ちゃん、どうしたんだよ」
やっと聞いてくる声。
でも、答えない。
ソファに座って、そっぽを向く。
明らかに機嫌が悪いのは、自分でも分かっている。
「……はぁ」
小さくため息が聞こえて、少しだけ視線を向ける。
結衣斗はキッチンの方に行って、何かを取り出していた。
しばらくして、目の前に差し出される。
「ほら」
透明なカップ。
中には、甘そうなプリン。
「……これで機嫌直せ」
呆れたような声。でも、どこか優しい。
少しだけ、沈黙。
それから、ゆっくり受け取る。
スプーンを一口。
甘い。
「……別に、怒ってない」
ぽつりと呟く。
「はいはい」
軽く流される。
もう一口。
「……でも」
小さく、続ける。
「……寄り道、しないで」
視線は合わせないまま。
結衣斗は一瞬きょとんとして、それから少しだけ笑った。
「……なんだそれ」
その声が、さっきより少しだけ近い。
朔は何も言わずに、もう一口プリンを口に運んだ。
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