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これはグレンシスから書簡を受け取った騎士達が、そろそろ王都に到着するか、しないか……という頃のおはなし。
グレンシスの屋敷であるロハン邸の使用人は、主が不在でも、日々の業務に手を抜くことはしない。毎日、勤勉に働いている。
とはいえ、ちょっと気が緩んだメイドたちは、リネン室で手を動かしながらも、ついついお喋りに花を咲かせてしまっている。
「ねぇねぇ、やっぱり、あの女の子……ティアさまは、ご主人様の奥方になるのかしら?」
アイロンを滑らせながらメイドの一人であるミィナが、目をらんらんと輝かせながら、もう一人のメイドに問いかけた。
「そりゃ、そうよ」
タオルの端をピシッと伸ばして、丁寧に折りたたみながら答えたのは、同じくメイドのアネッサだ。
二人は顔を見合わせ、「だーよーねー」と笑みを交わし合うと、お喋りは更に加熱する。
「だってね、ティアさまが初めてこのお屋敷におみえになった時、私、見ちゃったもん!ご主人様、自らティアさまのリネンを運んであげていらしたのよ。もうね、独占欲丸出しって感じでぇー見てるこっちがドキドキしちゃった!」
ミィナのこの発言は、完全に主観だ。グレンシスは騎士道精神に基づき、嫌々ながらティアのリネンを運んでいただけ。
けれどミィナは二十歳の独身。趣味は読書で、キュンキュンする恋愛小説ばかりをチョイスしている。
一方アネッサは、20代後半の既婚者だが、ミィナと同じ趣味を持っている。
そんな二人の妄想は、留まることを知らない。
「うわぁー、私もそれ見たかったぁー。でもさぁ、ミィナは庭掃除してたから知らないかもしれないけれど、ご主人様ったら、ティアさまの旅のお洋服を自らお選びになったのよ」
「うっそー」
「嘘じゃないわよ。ふふっ。もうそれはそれはティアさまのお洋服に細かい指示を出されてね……ご主人様、きっと俺色に染めてやるっ。なんてことを考えていらっしゃったのかしら……ふぅ、素敵」
これは、八割がた妄想だ。
ティアの旅服をグレンシスが選んだのは、紛れもない事実だが、それはやりたくてやったわけじゃない。
掛け布団に包り籠城し続けたティアのせいで、衣装合わせができなかったし、見た目だけで判断したメイド達が用意した旅服が、子供用だったから。
そういったやむを得ない事情があったが、これまで女性の影が一つもなく、実家からの見合い話も断り続けている主人が、あれこれと異性の世話を焼けば、メイド達が誤解するのも無理はない。
そして二人を止める者はこの部屋にいないので、妄想はどんどん過激になり、風船のように膨れ上がり……感極まったミィナとアネッサは同時に顔を見合わせて、こう叫んだ。
「ご旅行中に、赤ちゃんができちゃったら、どうしましょうっ!」
そんなことは、天と地がひっくり返ってもあり得ない。
だがテンションマックスになったメイド二人の妄想は、もうどうにも止まらない……と思いきや、ここで邪魔が入った。
──バンッ!!
「あんた達さっきから、ぴーちくぱーちく、うるさいっ。なぁーにを、くっちゃべってんの!!」
勢いよく扉が開いたのと同時に、古株のメイド長マーサの怒鳴り声がリネン室に響いた。
途端に、ミィナとアネッサはピシッと背筋を伸ばし、腰を直角に折り曲げて謝罪する。しかし、マーサの怒りは、そんなことでは収まらない。
憤怒の表情を浮かべたまま、両手を腰に当て、若いメイドに向かって一喝する。
「だいたいね、子供なんてね、天からの授かりもんなんだから、そう都合よく生まれるもんじゃないでしょ!!」
──そりゃあ、私だって、ご主人様の赤ちゃんを早くお世話したいけどねぇ。
最後に、しみじみと呟いたマーサの言葉に、すかさずミィナとアネッサは同意する。
「ですよねぇー」
その後、3人のメイドは、まだ見ぬ主人の赤ちゃん談義に花を咲かせ、再び、各自の業務に戻っていった。
一方、時をほんの少し遡った廊下では──
(……いや、違う。そうじゃない)
たまたまリネン室の前を通りかかった執事のルディオンは、妄想話で盛り上がるメイド3人に向かって、冷静に心の中でツッコミを入れた。
そもそも、主人であるグレンシスは、王女を嫁ぎ先へ送り届けるという重要任務のために、ティアと共に旅立ったのだ。
まかり間違っても、婚前旅行はなく、そもそも二人は子作りするような関係ではない。
そんな正論を口にしようと思ったルディオンだが、利口にも素通りした。
彼の判断は、とても賢明だった。
なぜならその5日後、グレンシスからメイド達の妄想話に限りなく近い内容の手紙を受け取ってしまったから。
それを受け取ったルディオンが、びっくり仰天したのは言うまでもないが、主人の命令は絶対。
それからグレンシスが帰宅するまでの間、ルディオンを筆頭にロハン邸は、てんやわんやの状態になった。
ちなみに、そのワガママとは──
帰宅するまでに、ティアのための部屋を完璧に用意しておくこと。