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その日、大森はいつになく上機嫌で帰ってきた。
お気に入りのシャツを着て、新作の香水をほんの少しつけて。藤澤と晩ご飯を一緒に食べる約束をしていたからだ。
ドアを開けると、リビングにはすでに藤澤がいた。ソファに座って何か書類を見ている。
その顔が、なんとなく静かだった。
「ただいまー。今日カレーの匂いしてた! 正解でしょ?」
「…おかえりなさい」
「え、なんか怒ってる?」
藤澤は黙って大森のほうへ歩み寄った。そして服の襟元に顔を近づけ、ふわっと香りを確かめる。
「その香り、僕が調香したやつじゃないですよね」
「え、ああ、これ? 今日たまたま別の店寄って」
「別の店」
「いや違う違う、仕事先で、たまたま他の香水ブランドの人と会って」
「他の人の香り、つけて帰ってきたんですね」
「ちが──え、そういう風に言う!?」
藤澤は目を伏せてソファに座りなおした。無言でクッションを抱きしめている。
なんかすごく拗ねてる。かわいいけどこれはまずい。
「いやほんとに誤解! 試供品を嗅がせてもらって、うっかりついたってだけで…」
「僕が作った香水、今日はつけていかなかったのにね」
「いやそれはその、服の色的にさ、」
「いいですよ、別に。浮気じゃないなら」
「え、今ので終わり?」
「ただし、今日の夜は僕の香りだけ嗅いで寝てください」
「はい」(即答)
その夜、大森は藤澤に押しつけられたピローミストとボディクリームとヘアオイルの香りに包まれながら
「絶対に今後、他ブランドの香りはうっかりでもつけない」と心に誓った。
だけど布団の中藤澤がぽつりとつぶやいた。
「少し焦ったんです。僕じゃない香りが似合ってる気がしたら、嫌だなって」
「僕に似合うのは“君の香り”だけだから。これから先、全部涼架に処方されたい」
「なら、来週あたり“嫉妬したとき用”にひとつ作りますね」
「…それ絶対エグいやつ」
「もちろんです」
香りはふたりの絆を育てる。
ときどきすれ違って、でもまた惹かれ合って──
それが、藤澤と大森の“香りのある恋”の日常だった。