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***
「うわぁ······、ここが···」
わたしの目の前には、見上げれば首が痛くなる程の高さがあるビル、”BLENDA”の本社が堂々と建ち構えていた。
わたしは今朝、スッキリとした状態で7時きっちりを目が覚めると、既に起きてリビングでブラック珈琲を飲みながら新聞に目を通していた雨城さんに朝の挨拶をした。
部屋着姿なのにも関わらず全く寝起き感が無い雨城さんの目の前に立つわたしは、髪の毛も寝癖だらけで顔もベタベタ状態で、昨日初対面の男性に見せるような姿をしていなかった。
ただスッキリした目覚めだった為、顔が浮腫んでいなかった事だけが幸いだった。
朝ご飯を食べないと言う雨城さんは、わたしにも朝のカフェラテを淹れてくれ、わたしはブルーベリー入りのヨーグルトまで戴いてしまい、昨日から至れり尽くせりだ。
それから、いつも持ち歩いているバックの中に入っていた化粧ポーチの化粧品でメイクを済ませ、洗濯から乾燥までが完了していた昨日の服に身を包む。
雨城さんは今日もシワの無い綺麗なダークグレーのスーツに袖を通し、いつセットしたのか不思議な程に綺麗にセンターで分けられている黒髪をかき上げながら「それじゃあ、そろそろ行きましょうか。」と言い、雨城さんの車に乗って出社、そして今に至るのだ。
わたしは改めて(こんな凄い会社に、わたしが······?)と不安を感じてきてしまった。
「さぁ、こちらですよ。」
そう言って歩き出す雨城さんに続き、わたしは「はい。」と遅れを取らないようについて行く。
周りを歩く人たちも同じ方向へ向かって歩いていて、この人たち全員が”BLENDA”の社員なのだろうかと、あまりの社員数の多さに圧倒されている自分がいた。
ビルの出入り口は大きなガラスの自動ドアで、中には警備員さんが両側に立ち「おはようございます。」と社員の人たちに挨拶をしている。
わたしも社員の人たちの真似をして挨拶をしながら中へと入って行き、そして雨城さんについて入口の正面にあった受付に立ち寄った。
「おはようございます。」
受付に座る受付嬢二人に挨拶をする雨城さんと、そんな雨城さんに見惚れるように「おはようございます、雨城課長。」と挨拶を返す受付嬢の二人。
(雨城、課長···、そっか。雨城さんは、総務課長って賢司さんが言ってたっけ。)
わたしはそんな事を思い出しながら、雨城さんの後ろで待機していた。
「今日は見学に来ていただいている方が一名いらっしゃってます。入社証を一つお借り出来ますか?」
今日も爽やかで穏やかな雨城さんのイケメンボイスが響く。
その声にウットリするかのように受付嬢の一人が「はい、入社証ですね。どうぞ。」と言い、笑顔で赤いストラップの入社証を雨城さんに差し出していた。
「ありがとうございます。」
そう言って入社証を受け取る雨城さんは、こちらを振り向くと「これ、首から掛けておいてくださいね。」と言って、わたしの首にその入社証を掛けてくれた。
その雨城さんの行動に微かにわたしの胸が高鳴る音を立てる。
そんなわたしの気持ちを知る由もない雨城さんは、狙っている様子も無く自然な形でその後も丁寧にわたしを社内へ案内してくれた。
「今、募集してるのが、営業と販促なんですけど、雫さんはどちらを希望されますか?」
「営業と販促···、ちなみに業務内容を訊いてもいいですか?」
そう話しながら、わたしは雨城さんに案内され、営業部と販促部があるという5階フロアの廊下を歩く。
廊下を含めたフロア全体には、タイルカーペットが敷き詰められており、とても歩きやすかった。
「営業は基本的には、取引先に出向いたり、新規の顧客に向けて販売提案をするのが主な業務となりますね。販売促進は、POP制作や取引先の営業担当者と打ち合わせをして、店舗の客層などに合わせた棚割りを考えたり、キャンペーンの提案をしたりします。」
雨城さんの説明を聞き、わたしはすぐに「販売促進をやってみたいです。」と答えた。
すると雨城さんは、「雫さんなら、そう言うと思いました。」と言うと、歩く廊下のすぐ右側にあった部署へと足を向けた。
「ここが、販売促進部ですよ。」
そう言って、雨城さんが手を差した方向には、お洒落なナチュラルウッドの棚で囲われたオフィスが広がっていた。
所々に観葉植物が飾られ、白を基調としたデスクが対面に置かれて並んでおり、目視出来る限りでは20人から30人程の社員の人たちがパソコンに向き合ったり、テーブルを囲んで打ち合わせをしたりしている姿が見えた。
「どうぞ、ゆっくり見学して行ってください。」
雨城さんはそう言うと、販売促進部の中へと入って行き、わたしが見学しやすいように部署内をゆっくりと見て回らせてくれた。
パソコンに向き合いPOPをデザインしている人もいれば、数人でテーブルを囲み、資料を広げながら、これから行なうキャンペーンについて話し合っている人たちもいる。
わたしはその光景に興味津々で、活力を感じるそのオフィスの光景にワクワクしてくる自分を感じた。
「どうですか?」
「皆さん忙しそうですけど、何だか楽しそうに働かれていますね。何だかわたしまでワクワクしてきちゃいました。」
わたしが手のひらを胸に当てながらそう言うと、雨城さんは穏やかな表情を浮かべ、「そう感じていただけたなら良かった。じゃあ、販促で決まりですかね?」と、まるで即時採用して頂けたような口振りで言っていた。
それから雨城さんは、パソコンに向かうある男性の元へと歩み寄って行き、「戸田さん、お疲れ様です。」と声を掛けていた。
“戸田さん”と呼ばれる30代後半くらいのその男性は、短髪に色黒の肌で、割とガッチリとした体型に水色のワイシャツとネイビーのジャケットを羽織った強面な表情が印象的な人だった。
雨城さんの呼び掛けに反応した”戸田さん”は、パソコンに向けていたその鋭い眼差しをふとこちらに向け、顔を上げた。
「あぁ、雨城課長。お疲れ様です。」
低く落ち着いた声でそう言った”戸田さん”の首からは『主任 戸田』と書かれた社員証が下がっていた。
「お忙しいところすいませんが、少しお時間宜しいですか?」
雨城さんが”戸田さん”と呼び掛けたその男性の役職は恐らく”主任”で、戸田主任は雨城さんの言葉に表情を変えず「はい、大丈夫ですよ。」と答えていた。
「今後、販促に入社する予定の芽吹さんです。先に戸田さんには、ご紹介しておこうかと思いまして。」
そう言って、雨城さんは戸田主任にわたしを紹介してくれた。
その雨城さんの紹介で戸田主任の視線がわたしに向けられる。
わたしは少し肩に力が入り、姿勢を正すと「芽吹雫です。宜しくお願い致します。」と言って、深く一礼をした。
「あぁ、そうなんですか。新人さん?主任の戸田です。宜しくお願いします。」
そう自己紹介してくれた戸田主任だが、相変わらずあまり表情が無く、わたし自身の印象が良くなかったのかと不安になってしまう。
すると、そんな戸田主任に雨城さんは「戸田さん、顔が恐いですよ。」と言い、笑い掛けていた。
「やだなぁ、雨城課長。それは元々だから、仕方ないじゃないですか。」
そう言って微かに笑った戸田主任を見て、少しだけわたしの緊張が解れる。
どうやら、戸田主任は元々感情があまり表情に出ないタイプの人らしい。
「戸田さん、こう見えても優しい人なので、恐がらなくて大丈夫ですからね。」
わたしに向けてそう言う雨城さんに、「こう見えてって、俺そんなに恐い?」と戸田主任は苦笑いを浮かべて言った。
「戸田さん、あまり表情に出ないから新入社員の人たちは、みんな恐がっちゃいますからね。でも、ただ単にシャイなだけなんですよね?」
そう言って、フォローになっているのかは不明な雨城さんの言葉に戸田主任は「恐がらせないように気を付けます。」と言って、軽く頭を下げていた。
戸田主任に挨拶を済ませたわたしは、雨城さんに連れられ、そのままエレベーターで上の階の6階まで上り、総務課へと向かった。
エレベーターを下りてすぐ目の前に広がっている総務課のオフィスは、販売促進部とはまた違った雰囲気で、少し堅苦しさを感じた。
雨城さんが総務課のオフィスへ足を進めて行くと、雨城さんに気付いた社員の人たちは「雨城課長、お疲れ様です。」と挨拶をしていた。
その度に「お疲れ様です。」と返す雨城さんの姿を見て、役職が就いても偉そうにせず、一人一人に丁寧に挨拶を返す人もこの世の中には存在するのだという事を、わたしは初めて知った。
「それじゃあ、早速ですが、契約書を書いてしまいましょうか。」
そう言う雨城さんは、わたしを総務課オフィス内にある面談室のような場所に案内してくれた。
そこは、モザイクガラスで囲われた個室で、長いテーブルを複数の椅子が囲んでおり、ホワイトボードやプロジェクターなんかも置いてあった。
(こんなにすんなり、こんな凄い大企業に就職が決まってしまって、大丈夫なのかな······)
あまりのスムーズさに、わたしは少し困惑する。
しかし、わたしに困惑している暇など無い。
わたしは一刻も早く仕事を決めて、新しい家も決めて、雨城さんのご迷惑にならないようにしなければいけないからだ。
その後、わたしは雨城さんに説明して頂いた通りに契約書を書いていき、簡単な会社説明を受け、履歴書は後日用意して、総務課へ持って来る事になった。
社内見学から契約書を書くまでに要した時間は、およそ3時間半。
ランチタイムの時間となった為、わたしは雨城さんと一緒にお昼休憩に出る事にした。
「2階に社員食堂もあるので、気が向いた時にでも利用してみてください。安くて美味しいランチが食べられますよ。休憩時間内であれば、社員食堂でも社外で休憩を取るのも、どちらでも大丈夫なので。」
そう話してくれる雨城さんと共に、わたしは社外へと出ると、空を見上げた。
今日の空はご機嫌斜めの様子で、青空を見せては雲で覆い隠したりと気まぐれだ。
本社ビルの周りは緑に囲まれており、ベンチでお弁当を食べる社員の姿も見受けられる。
(こんな風景、ドラマくらいでしか見た事ないけど、本当にあるんだなぁ。」
そんな事を思いながら、わたしは雨城さんオススメのナポリタンがあると言う、カフェへと向かった。
“BLENDA”本社から徒歩10分先くらいにある、小道を入ったところに隠れ家的な感じでひっそりと営まれていたカフェ”茶葉の森”。
一見、普通の民家のように見えるが、入口横にひっそりと木材の看板に刻まれた”茶葉の森”の文字だけが、そこがカフェである事を示していた。
昔の扉のような古風感じるドアを開けてみると、その中はレトロな雰囲気の店内が広がっていた。
それほど広くはない店内には先客が5名程おり、知る人ぞ知る”カフェ”というか”喫茶店”という言葉が似合うお店だ。
しかし、古さを感じるだけではなく、店内の照明がかなりお洒落でそこに強いこだわりを感じた。
「いらっしゃいませ。」
カウンター内にいる店主らしき男性が言う。
華奢な丸い眼鏡を掛け、口髭を生やしたその男性は「おぉ、雨城さんかい。今日は別嬪さんを連れてるんだね。」と言いながら、穏やかに微笑んだ。
「駿さん、こんにちは。」
雨城さんは店主らしき男性をそう呼び、挨拶をすると、”駿さん”は「いつもの場所空いてるよ。」と言った。
そのまま一番奥の二人席に向かう雨城さんは、その席が雨城さんの”いつも場所”のようだ。
(雨城さんって、顔広いなぁ······)
そう思いながら、わたしは雨城さんと共に一番奥の席につく。
微かにブラウンの色が付くグラスに二人分のお冷を入れ持って来てくれた”駿さん”は「今日はどうするんだい?」と訊いた。
「僕はいつものをお願いします。雫さんは、どうしますか?」
そう言ってメニュー表を手に取ろうとする雨城さんに、わたしは「雨城さんはいつも何を頼んでるんですか?」と訊く。
すると雨城さんは、「僕は、ナポリタンとブラック珈琲です。ここはナポリタンだけじゃなく、珈琲も美味しいんですよ。」と言った。
「あっ、じゃあ···、わたしも同じものをお願いします。」
わたしがそう言うと、”駿さん”が「はいよ。」と返事をする。
その時、雨城さんは「駿さん、雫さんの珈琲はカフェラテでお願い出来ますか?」と言った。
「お嬢さんは、ナポリタンとカフェラテだね。」
“駿さん”は優しい笑みを浮かべながらそう言うと、カウンターの方へ戻って行った。
(わたしがカフェラテの方がいいって、もう覚えてくれたんだ。雨城さんって、本当に気が利くというか何というか、紳士的だよなぁ。)
そんな事を思いながら、わたしは「ありがとうございます。」と雨城さんに会釈した。
「いえ。とりあえず、契約書も書き終えましたし、一息つきましょう。出社は、いつからにしましょうか。」
雨城さんはそう言うと、お冷に手を伸ばした。
「明後日からでも良いですか?明日は一度自宅に帰って、必要な物を取りに行きたくて。」
わたしがそう言うと、雨城さんは「構いませんよ。」と言い、お冷を口に含んでいた。
その後、雨城さんと少し今後の話をしながら、”駿さん”が作ってくれたナポリタンを戴いた。
“駿さん”のナポリタンは、雨城さんがオススメしてくださっただけあり、今まで食べたナポリタンの中でもトップクラスに絶品だった。
ケチャップの酸味が気にならず、まろやかな仕上がりになっており、少しピリ辛で食が進むような味付けになっていたのだ。
食後は挽きたてのカフェラテを戴き、一息つく。
お腹も心も満たされ、わたしは自然と幸せな溜め息を零していた。
「とっても美味しかったです。今まで食べたナポリタンの中で一番かも。」
わたしがそう言うと、雨城さんは「僕も駿さんのナポリタンに勝てるナポリタンに、他に出会った事がないんですよね。」と言い、ブラック珈琲で一息ついていた。
それから休憩時間が終わりに近付いたタイミングでお店を出る際、お会計は全て雨城さんが出してくれた。
わたしは自分で出そうと思っていて、その上、雨城さんにお世話になりっぱなしだった為、雨城さんの分も支払おうと思っていたくらいだ。
しかし、雨城さんはわたしが財布を出す前にクレジットで支払いを済ませてしまっていた。
「雨城さんにはお世話になりっぱなしなので、ランチくらいはわたしが、と思っていたんですけど、結局ご馳走になってしまって···すいません。」
“茶葉の森”を出て会社に戻る途中、わたしはそう言った。
「いえ、気にならさらないでください。」
「気にしますよ···、本当に雨城さんに迷惑ばかりかけてしまってるので。」
「僕は迷惑だなんて微塵も思っていませんよ。だから、本当に。雫さんは、ご自分の生活を立て直す事だけに集中してください。」
穏やかな口調でそう言う雨城さんは、わたしには神様にしか見えなかった。
(色んな事があり過ぎて、神様はいないなんて思ったけど···ここに居たんだ。)
わたしは、本気でそう思った。
そして一度、雨城さんと会社に戻ったわたしは、明後日の初出社についての話をしてから、少し早めに帰宅させてもらう事にした。
その際に雨城さんは、わたしに自宅のカードキーを差し出してくれた。
「まだ少しの間はうちで過ごすと思うので、カードキーのスペア、雫さんに渡しておきますね。」
雨城さんの自宅のカードキー···――――
わたしは人の家のカードキーを預かってしまう緊張感に躊躇しながらも、雨城さんが差し出すカードキーを受け取った。
「···いいんですか?」
「カードキーがないと自由に出入り出来ないじゃないですか。どうぞ、使ってください。」
そうしてわたしは、まだ仕事がある雨城さんに会社一階の出入り口まで送って頂き、先に帰宅する事にしたのだった。
“BLENDA”本社を出て、一人になったわたしは、最寄の澄田駅へと向かった。
本当なら、わたしは真っ直ぐ雨城さんの自宅に帰宅するつもりで居たのだが、このまま帰宅してしまうと、また着替えが無い事に気付いた。
わたしはずっと電源をオフにしたままにしていたスマートフォンの電源を入れると、現在の時刻を確認した。
(今のこの時間なら、帰っても弘太郎は居ない···はず。)
帰宅が恐い気もしたが、このまま何もせずに居るわけにもいかない。
わたしは思い切って、澄田駅から電車一本で行ける、元の自宅へ行ってみる事にしたのだった。
帰宅途中の電車内。
乗客はそこそこで、とりあえず椅子に座る事が出来た。
わたしは椅子に座りながら、しばらく見る事を避けていたスマートフォンの着信履歴や未読メッセージを確認した。
着信履歴は、全部で53件。
メッセージもスクロール出来る程の件数のメッセージが溜まっており、そこには弘太郎の言い訳ばかりが並んでいた。
『雫、誤解しないでほしい!あの子は、ただの遊びだから!』
『本命は雫だよ!』
『俺には雫しかいないんだよ!』
『今どこにいるの?帰って来てよ。』
『ずっと待ってるから。』
そんな言葉ばかりが並ぶ弘太郎からのメッセージ。
しかし、どのメッセージもわたしの心には何一つ響かなかった。
弘太郎には、わたしが居ないと困る理由が一つだけあった。
それは『好きだから』とか『結婚を考えていたから』とか、そんな理由ではない。
弘太郎は、わたしの”お金”がないと困るのだ。
正直言ってしまうと、わたしは弘太郎よりも稼ぎが良かった。
弘太郎はすぐに転職してしまう癖があり、収入が不安定な上に今は研修期間中で給料も低い為、生活費のほとんどはわたしが出していたのだ。
そんな弘太郎だが、プライドだけは高く、賃貸の名義は弘太郎になっている。
弘太郎の今の収入で家賃を払いながら生活していけるのかは不明だが、もうそんな事はわたしに関係など無い。
弘太郎への気持ちは全く無く、未練の欠片もないわたしは、弘太郎からのメッセージ履歴を削除し、連絡先も全てブロックした。
澄田駅から20分程電車に揺られ、とある駅で降りたわたしは、駅から徒歩で元の自宅へと向かった。
そこは、5階建てのごく普通のマンション。
まだ家を空けて1日しか経っていないというのに、帰って来るのは物凄く久しぶりに感じた。
わたしは階段を使い2階まで上ると、205号室の扉の前で足を止めた。
わたしはバッグの中から鍵を取り出すと、差込口に鍵を差し込み、解錠させた。
そして拒む手のひらを恐る恐るドアノブに近付け、勢いのままにドアノブに手を掛けて扉を引く。
無意識に室内に耳を傾けていたが、中から物音がする様子はなかった。
(良かった。まだ帰って来てないみたい。)
そう思うと、わたしは家の中へと入った。
玄関を見ると、あの日に見たビジューのついた綺羅びやかなハイヒールを思い出してしまう為、わたしは足早に玄関を通り過ぎて中へと足を進めた。
その先には10畳のリビングがあるのだが、わたしはそのリビングの状態を見て唖然とした。
食べたカップ麺やお弁当の殻はそのままで、空のペットボトルも床に転がり放題。
服も脱ぎ散らかされており、家はゴミ屋敷になりかけていたのだ。
「うわぁ······」
弘太郎は、家事をするような人ではなかった為、ある程度予想は出来ていたのだが、その状態は想像以上に酷かった。
わたしはとりあえず廊下のクローゼットを開けると、中から家にある中で一番大きなキャリーケースを取り出し、最低限必要な物を詰め込んでいった。
持ち出す物のほとんどは洋服ばかりで、他には貴重品くらいだ。
さすがに家具や家電を持ち出す事は出来ない為、それは諦めて引っ越してから買い直す事にした。
最低限の物をキャリーケースに詰め込んだわたしは足早に元自宅を出ようとしたのだが、その前にわたしはテーブルの上にチラシの裏に書いた『さようなら』を残して、玄関を出て鍵を締めた後、その鍵をポストの中へと落とした。
これで、弘太郎ともこの家ともおさらばだ。
コメント
1件
わあ、ついに本社に来たんですね!ビルの迫力に圧倒されつつも、雨城さんの丁寧な案内でホッとできる感じが伝わってきました。特に販促部のオフィス風景が生き生きと描かれていて、わたしまでワクワクしちゃいました。戸田主任の「顔が怖い」って言われちゃうところ、ちょっと笑っちゃいましたけど、優しそうな人で良かったですね。そして何より、雨城さんがもう雫さんのカ♡♡♡テの好みを覚えてくれてるって…細やかな気配りに胸がときめきます。この先、どんなお仕事が待ってるのか、続きが楽しみです🌷