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その日、事務所の会議室に九人全員が集まっていた。
「目黒さん、阿部さん。」
「恋愛映画のダブル主演が決定しました。」
一瞬の静寂。
次の瞬間、部屋中が拍手に包まれた。
「すごい!」
「おめでとう!」
佐久間が真っ先に立ち上がり、二人の肩を叩く。
康二もラウールも大喜びだった。
「主演やん!」
「しかもダブル主演!」
目黒は嬉しさを隠しきれず、思わず隣の阿部を見た。
「あべちゃん!」
「一緒に映画だ!」
その笑顔は、少年のように無邪気だった。
阿部も笑顔で頷く。
「うん、おめでとう。」
そう返事をしながらも、心の奥では別のことを考えていた。
(……あの作品か。)
映画の原作は大ヒット恋愛小説。
大手広告代理店を舞台にしたラブストーリーで、上司役の目黒と部下役の阿部が、さまざまな困難を乗り越えながら惹かれ合い、最後に結ばれる物語だ。
作品自体は大好きだった。
だからこそ、不安だった。
(負けヒロイン……。)
阿部はその登場人物を思い浮かべる。
主人公を想い続けながら報われず、その想いが歪み、二人を何度も傷つけていく女性。
嫉妬。
執着。
嫌がらせ。
原作でも読者の間で「ここまでやるのか」と話題になるほど、その行動は残酷だった。
(映像になったら、もっと酷くなるかもしれない。)
その不安を、阿部は胸の奥へしまい込んだ。
目黒があまりにも嬉しそうだったから。
水を差したくなかった。
___________
数日後。
撮影前の本読みに向けて、台本が届いた。
その日は目黒の帰りが遅い日だった。
阿部は一人でリビングのソファに座り、ゆっくりと台本を開く。
「……。」
ページをめくる。
最初は原作通りだった。
会社での出会い。
仕事を通して少しずつ距離が縮まる二人。
自然と笑みがこぼれる。
「ここ好きなんだよな。」
小さく呟きながら読み進める。
しかし、中盤に差しかかったところで、その手が止まった。
負けヒロインが主人公を陥れる場面。
映画用に再構成されていたが、原作以上に感情のぶつかり合いが濃く描かれていた。
「……。」
さらにページをめくる。
主人公同士がすれ違い、深く傷つく場面。
心ない言葉をぶつけられる場面。
阿部は無意識に台本を握りしめていた。
(演技だって分かってる。)
(分かってるけど……。)
その言葉を受ける姿を想像するだけで胸が締めつけられる。
ふぅ、と小さく息をつく。
テーブルに台本を置き、天井を見上げた。
「めめは……。」
「絶対楽しみにしてるよね。」
嬉しそうに映画の話をする目黒の顔が浮かぶ。
だからこそ、この不安はまだ言えなかった。
窓の外は、いつの間にか夕暮れになっていた。
阿部はもう一度台本を手に取る。
「ちゃんと読もう。」
そう自分に言い聞かせながらページをめくるたび、不安は少しずつ、静かに大きくなっていった。
___________
映画のクランクインの日。
現場には少し緊張した空気が流れていた。
「よろしくお願いします!」
スタッフ、キャスト全員の挨拶が響く。
目黒と阿部も並んで頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
最初は、とても楽しかった。
上司と部下として一緒に仕事へ向かうシーン。
残業帰りに笑い合うシーン。
少しずつ互いを意識し始める場面。
目黒と阿部は息もぴったりで、監督からも何度も「いいね」と声が掛かった。
「この二人、本当に空気感がいい。」
スタッフもそう話していた。
休憩時間も和やかだった。
目黒は「あべちゃん、さっきの芝居よかったよ」と笑い、阿部も「めめも自然だった」と笑い返す。
現場は穏やかで、幸せだった。
しかし。
撮影が中盤へ入ると、空気が変わった。
負けヒロインの物語が始まったのだ。
阿部の役へ向けられる悪意。
仕事を奪われる。
陰口を言われる。
信頼していた人との関係を壊される。
そして、少しずつ追い詰められていく。
その役を演じる女優は、撮影が終われば必ず阿部へ頭を下げた。
「ごめんなさい、今日もきついシーンで……。」
「いえ、大丈夫です。」
阿部はいつも笑顔で答えた。
本当に優しい人だった。
カットが掛かれば、「休憩中は普通に話そうね」と気遣ってくれる人だった。
だからこそ、阿部は苦しかった。
(分かってる。)
(これは演技。)
(この人は悪くない。)
頭では何度もそう言い聞かせる。
それでも。
何度も心ない言葉を浴びせられ。
冷たい視線を向けられ。
突き放される芝居を繰り返しているうちに。
自分自身まで、本当に傷つけられているような感覚になっていた。
夜、家へ帰っても台本を開けば、その世界が頭から離れない。
少しずつ。
少しずつ。
心が擦り減っていく。
それでも阿部は誰にも言わなかった。
主演だから。
現場の空気を壊したくないから。
その想いだけで立ち続けた。
その苦しさは、演技にも表れていた。
ある日、監督がモニターを見つめたまま動かなかった。
「……。」
スタッフも誰も声を出さない。
カットが掛かったあとも静まり返っている。
監督はゆっくり立ち上がると、阿部のもとへ歩いてきた。
「素晴らしい。」
その一言だけだった。
「今の表情……。」
「台本以上だった。」
「本当に心が壊れていくようだった。」
阿部は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます。」
その笑顔さえ、少しだけ無理をしていた。
さらに阿部を苦しめたのは、目黒の撮影だった。
物語の中で、目黒の役は一度、負けヒロインの気持ちに応えようとする。
そのため、ハグのシーンがあった。
キスのシーンもあった。
「本番。」
監督の声が響く。
阿部はモニターの前でその芝居を見守る。
演技だ。
仕事だ。
何度も自分へ言い聞かせる。
それでも胸が締めつけられた。
(めめ……。)
撮影が終わると、目黒はすぐ阿部のところへ来た。
「あべちゃん、お疲れ。」
「お疲れさま。」
いつも通り笑って返す。
目黒は何も気づかなかった。
阿部がどれほど心をすり減らしているのか。
それほど阿部は隠すのが上手だった。
ストイックに。
誰にも心配を掛けないように。
“いつもの自分”を演じ続けた。
そして迎えたクランクアップの日。
「オールアップです!」
大きな拍手が響く。
スタッフもキャストも涙を流していた。
監督は阿部へ花束を渡し、固く握手をする。
「君のおかげで、この作品は完成した。」
阿部は涙ぐみながら笑った。
「ありがとうございました。」
その隣では目黒も花束を抱え、満面の笑みを浮かべている。
二人で写真を撮り、スタッフ全員へ挨拶をして、長かった撮影は幕を閉じた。
家へ帰る車の中でも、阿部はいつも通りだった。
「終わったね。」
「うん。」
「楽しかった。」
そう笑っていた。
けれど、その笑顔は家へ着くまでだった。
玄関のドアが閉まった瞬間。
張り詰めていた糸が切れたように、阿部の身体から力が抜ける。
「……あれ。」
立っていられない。
急に身体が熱くなり、視界が揺れる。
目黒が慌てて駆け寄った。
コメント
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えぇ〜〜〜!😭💔 第1話からこんなに心ぎゅってなるの!? 阿部ちゃんの「演技ってわかってるけど…」ってとこがもう、読んでてこっちまで胸が痛くなったよ…。めめが気づかないまま笑顔で「よかったよ」って言うシーン、切なすぎる…! 最後の玄関で糸が切れる描写、本当に映像が浮かぶみたいだった。この先どうなっちゃうの…!? 続きが気になって仕方ないよ、みらさん! 次話もめっちゃ楽しみにしてるね!!🌸✨