「はい、詩織ちゃんの負け~。コーヒー1杯おごりね」
「次は絶対勝ちます」
「勝てるといいね?」
余裕の笑みを浮かべる瀬戸さんと向かい合っている今ここは、職場ではなく、ボウリング場。
先週のバッティングセンターに続いて今週はボウリングにやってきている。
リストの中にあった項目の一つだ。
子供の頃に一度家族で来たことはあるけどそれ以来で、私にとってボウリングはほぼ初めてと言っても過言ではない状況。
1ゲーム目は練習として慣れるためにとりあえずやってみて、2ゲーム目は瀬戸さんとスコアを競っていた。
もちろんハンデ付き。
だけど、今ちょうど負けてしまったところだ。
「次はハンデとして+50あげるよ」
「分かりました」
さっきは+30もらったけど、結局私のスコアは50(プラスを入れて80)、瀬戸さんが150だった。
瀬戸さん曰く、ボウリングは久しぶりだということだが、さっきからスペアやストライクを連発していてとてもそうは思えない。
……ホント、なんでもスマートな人だなぁ。
先週のバッティングセンターでもそうだった。
瀬戸さんは軽々と簡単にこなしてしまう。
仕事の時もそれは変わらない。
決断と行動が早く、サクサクと積み上げられたタスクを処理していく。
仕事ができる人というのは時として近寄りがたいものだけど、瀬戸さんにはそれがない。
気さくで明るく人当たりも良い。
お試し交際をするようになってプライベートな時間を一緒に過ごしているけど、瀬戸さんのそういう部分に私は救われているように思う。
遊園地も、バッティングセンターも、ボウリングも、純粋にすごく楽しませてもらっている。
一人で過ごすのが好きだったはずなのに、こんなふうに笑っている自分に内心少し驚いた。
それに笑っている時は兄のことも意識になくって、ここ最近はとても気持ちが前向きになってきているのを感じる。
……これもそれも瀬戸さんのおかげ。感謝してもしきれないよ。
3ゲーム目が始まり、レーンに立つ瀬戸さんの後ろ姿を見つめながら、私は心の中でそっと感謝を述べた。
「詩織ちゃんの番ね。次こそ念願のストライクが出せるといいね?」
アッサリとストライクを決めて席に戻ってきた瀬戸さんがドリンクを飲みながら、揶揄うように笑う。
仕事の時には見せない顔だ。
瀬戸さんはたまにこういうふうに悪戯をするような表情をする。
プライベートで会うようになって見慣れてきた顔だった。
「だいぶんボーリングに慣れてきたので次はいける気がします」
そう宣言して私は立ち上がる。
さっきまで使っていたボールは少し重すぎたみたいだから、今度は少し軽めのボールを選んだ。
これなら余裕を持って投げられそうだ。
ここまで2ゲームやってコツも掴みつつある。
レーンに立ち、真ん中めがけて思い切ってボールを投げた。
レーンの真ん中に落ちたボールは、そのまま真っ直ぐにピンの方へ進んでいく。
そしてピンの前で急に曲がるということもなく、カコーンというピンが倒れる時の爽快な音が鳴り響いた。
「やった!」
レーンには1本もピンが残っていない。
嬉しくて思わず拳をギュッと握りしめた。
「瀬戸さん、見ました?ストライクです!」
席に戻ってちょっと自慢げに瀬戸さんに話しかけたら、「すごいね」と褒めてくれながら頭をポンポンと撫でられた。
瀬戸さんのこういう優しい触れ方は全然嫌じゃない。
兄ことを打ち明けた日も、こんなふうに慰められたなと思い出した。
結局、私がストライクを出せたのはこれ一度きり。
最終的にスコアは私が80(プラスを入れて130)、瀬戸さんが140で、3ゲーム目も私の負けだった。
「さっきよりスコア上がったんじゃない?」
「でも負けちゃいました」
「まぁ詩織ちゃんはほぼ初めてだったんだし、上出来だよ。ちょっと疲れたし、カフェにでも行こうか?」
「そうですね」
充分に満喫したボウリング場をあとにし、近くにあったカフェに入る。
お会計は私が払う。
ボウリング代を出してもらったし、それにゲームに負けた分の奢り分だった。
「ありがとう。ごちそうになるね」
「負けた分ですから遠慮なく召し上がってください」
「このコーヒー、勝利の味がするね」
コーヒーカップに口をつけた瀬戸さんは、悪戯っぽい表情で笑いながら私を見た。
そんな些細な冗談がなんだか面白くて私までつられて笑ってしまう。
本当に瀬戸さんは相手の心をほぐすのが上手だと思う。
私には持ち合わせていないコミュニケーション能力だ。
「ボウリングはどうだった?」
「楽しかったです。瀬戸さんがおっしゃってた通り、体を動かすっていいですね」
「でしょ?気分転換になるし、ぐちゃぐちゃ考えてることも忘れられるよね」
「瀬戸さんでもそんな時があるんですか?」
「そりゃもちろんあるよ」
当たり前のようにそう言う瀬戸さんだったけど、私からしたら彼はいつも余裕でスマートで、明るく笑ってて。
全然そんな姿が想像できなかった。
……あ、でもそういえば、ふとした時に寂しそうな影のある表情を見かけたことあったよね?何か抱えてるのかもって感じたことあったんだった。
そんなことをうっすら思い出す。
聞いてみようかな?と思った時には話題が次に移っていて、「来週どうしようか?」と声をかけられた。
「来週ですか?」
「うん、どれがいい?また体を動かす系にする?」
瀬戸さんはお試し交際を始めることになった日に書き出したリストを私に見せる。
バッティングセンター、ボウリングにはすでにレ点が入っていた。
「はい、体を動かしたいです」
「じゃあ卓球とかどう?近くにビリヤードとダーツもありそうだからどっちもできるかもね」
「楽しそうですね」
私は行ったことがないからよく知らないけど、スポーツやゲームなどが揃った室内型アミューズメント施設があるらしい。
そこなら卓球はもちろん、ビリヤードやダーツ、その他のスポーツなども様々あるそうだ。
カップルや友達同士で遊びに行くところだから、私には今まであまり縁がなかった場所だった。
……こう考えると、私って狭い世界で生きてたのかも。一人で過ごしてばっかりで、行ったことないところ、経験したことないことばかりだなぁ。
恋愛も友人関係も、色々拗らせた結果がこんなところにも波及していたようだ。
いかに自分が内に籠っていたのかを痛感する。
「どうかした?」
ふいに声をかけられ、私は少し俯いていた顔を上げる。
瀬戸さんに顔を覗き込むように見つめらた。
「あ、いえ、なんでもないです」
「そう?なんか考え込んでたみたいだったけど?」
「……ちょっと内省していただけです」
「内省?例えばどんな?」
先を促すように問いかけられ、「なんでもないです」と誤魔化すこともできたのに、私はなぜかそのまま思っていたことを口にする。
なんでだろう。
瀬戸さんを前にすると、つい警戒心が緩むのか自然と言葉が口をついて出た。
「そういう室内型アミューズメント施設の存在を今まで知らなくって。それは私が、恋愛も友人関係も拗らせている結果なんです……。普通の人が経験するようなこと、私は全然してないんだなぁって。こんな歳になってそれに気付くなんて、ホント、私ってダメですね……」
自らを嘲るような笑みが口角に浮かんだ。
とても瀬戸さんをまっすぐには見てられなくて、視線もつい下がってしまう。
「詩織ちゃんは全然ダメじゃないよ」
その言葉と同時に、大きな手が優しく自分の頭を撫でる感触を感じた。
そっと視線を上げると、瀬戸さんは表情を緩め、すごく優しい顔をしている。
まるで私が兄への想いを打ち明けた時のようだ。
労わるような、慰めるような、優しい眼差しと手の仕草に涙腺が緩みそうになる。
「拗らせてるって言うけど、それだけ一途に想えるなんてすごいことだと思うよ?今も前に進もうって頑張ってるし。それに、仕事も新しくなって大変だろうけど、俺は詩織ちゃんのおかげですごく助かってる。だから全然ダメじゃない」
瀬戸さんの言葉がジワジワと心に沁み込んでいく。
私の普通じゃない不純な想いをそんなふうに言ってもらえて、しかも仕事ぶりも認めてもらえて。
ダメじゃないと強く断言されて救われるような心地がした。
……ああ、瀬戸さんはなんでこんな的確に私の心を軽くする言葉をくれるんだろう。
ここはカフェ、公共の場だ。
だからこのまま泣き出しそうなのをグッと堪えて、私はなんとか顔を上げた。
「………ありがとうございます」
それ以上は胸がいっぱいで言葉を紡げなかった。
言葉とともに涙まで溢れてきそうで。
言葉の代わりに精一杯微笑む。
それが伝わったのか、視線が重なると、瀬戸さんも笑顔を返してくれた。
翌週末、結局予定していた室内型アミューズメント施設には行かなかった。
週明けの平日に仕事をしている時、生理が来てしまい、生理痛に耐えながら働いていたら、瀬戸さんに「大丈夫?」と具合の悪さに気付かれてしまったのだ。
社長室で2人きりになった際には、「俺の前では無理しなくていいよ」と言われて、また頭を優しく撫でられた。
私の体調の悪さを考慮して、週末に体を動かすのはやめることになり、映画館へ変更になった。
瀬戸さんは本当にいつも私を気にかけてくれる。
……こんなに甘やかされてばっかりでいいの?
お試し交際を始めてから積み重なる彼の優しさに、思わず私はそんな言葉を心の中でつぶやいた。
コメント
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詩織ちゃん、甘やかしてもらいましょう!千尋さんを頼ってほしいな!