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つーぴ
67
相棒のままでいたい夜
ライブが終わった夜。
ツアー先のホテルは、昼間の熱気が嘘みたいに静かだった。厚いカーテンを少しだけ開けた窓の向こうには、名前もよく知らない街の灯りが点々と浮かんでいる。大通りを走る車の音が、何枚ものガラスを隔てて遠く、低く聞こえていた。
部屋の中には、ステージから持ち帰ったようなわずかな疲労感と、ホテル特有の乾いた空調の匂いが残っている。
ベッドの上。
コハルは仰向けのまま、ずっと天井を見つめていた。
身体は疲れている。
脚も重い。
肩だって少し張っている。
なのに。
眠気だけが来ない。
コハル
(はあ……。)
息を吐く。
思い出すのはライブではない。
昼間。
控え室で。
何気ない顔をして、けれど妙に核心だけを突いてきたジスの声。
ジス
「ナオのこと好きでしょ」
コハル
(ジス……。)
(あれは反則だよ……。)
また頬が熱くなる。
コハルは耐えきれず、枕を持ち上げて顔へ押しつけた。
コハル
「うぅ……。」
恥ずかしい。
何が一番恥ずかしいのか、自分でもよく分からない。
好き。
その言葉自体は、別におかしくない。
ナオコのことは好きだ。
かなり好きだと思う。
一緒にいると楽だし。
話していて落ち着くし。
困った時には一番先に顔が浮かぶ。
ステージで隣にいると安心する。
ホテルの部屋が一緒でも、気を遣いすぎなくていい。
でも。
そこへ。
恋愛。
という名前をつけられると。
途端に違うものになる気がした。
その時。
浴室から聞こえていたシャワーの音が止まった。
急に部屋が静かになる。
コハルは枕の中で、無意識に耳を澄ませる。
数秒。
水滴の落ちる音。
タオルを取るような小さな物音。
そして。
浴室の扉が開いた。
ナオコが出てくる。
髪はまだ少し濡れていて、肩へ落ちる毛先から小さな水滴が光っていた。ゆったりした部屋着に着替え、片手のタオルで髪を挟むように拭いている。
表情は。
いつも通り。
穏やか。
力が抜けている。
ナオコ
「まだ起きてるの?」
ゆっくりした声。
コハルは枕から半分だけ顔を出す。
コハル
「……うん。」
ナオコは少しだけコハルを見て。
何も聞かず。
隣のベッドではなく、コハルが寝転がっているベッドの端へ腰掛けた。
マットレスが沈む。
その振動が、コハルの身体へ小さく伝わる。
近い。
でも。
この近さは。
昔から不思議と嫌ではなかった。
むしろ。
安心する。
ナオコはタオルを首へ掛けたまま、コハルの顔を覗き込む。
わずかに赤い頬。
枕に顔を押しつけていたせいなのか。
それとも。
別の理由なのか。
ナオコ
「まだ恥ずかしい?」
少し笑っている。
からかうほどではない。
でも。
分かっていて聞いている。
コハル
「恥ずかしいよ!」
勢いよく枕から顔を上げる。
コハル
「ナオコがあんなこと言うから!」
ナオコ
「そんなに?」
首を傾げる。
本当に分かっていないような顔。
それがまた。
腹が立つ。
コハル
「そんなにだよ!」
コハルは枕を抱え直す。
胸の前へぎゅっと寄せる。
そこまで言って。
少しだけ黙る。
ナオコも。
それ以上は追わなかった。
髪を拭きながら、ただそこにいる。
急かさない。
答えを取りに来ない。
静かになったからといって、何か話させようともしない。
それが。
ナオコだった。
ナオコ
(今日はずっと頑張ってたな。)
昼間のコハルを思い出す。
ステージの上。
汗で髪が少し乱れても。
息が切れても。
最後まで表情を落とさなかった。
全力で踊って。
全力で笑って。
MCでは誰かが詰まれば自然に拾って。
ステージの空気を明るくする。
ナオコ
(本当に。)
(太陽みたい。)
でも。
その太陽が。
たまに。
一人になると急に静かになることも。
ナオコは知っていた。
少しして。
コハルが。
ぽつり。
口を開く。
コハル
「……でもさ。」
ナオコ
「うん?」
声の温度が。
少しだけ変わる。
ナオコはタオルを動かす手を止めた。
コハルは枕へ視線を落とす。
指先で角をつまむ。
言葉を探している時の癖。
コハル
「私……。」
一拍。
コハル
「ナオコといるの。」
また止まる。
ナオコは待つ。
コハル
「……好きだよ。」
言えた。
けれど。
その瞬間。
コハルはナオコの顔を見られなくなる。
視線を下へ逃がす。
耳までじわっと熱くなる。
ナオコは。
驚いた顔をしなかった。
笑いもしない。
茶化しもしない。
ただ。
静かに。
コハルの言葉を受け止めていた。
コハル
「なんか……。」
少しだけ笑う。
困ったような。
照れたような。
コハル
「安心する。」
そこで。
ようやく。
ナオコを見る。
コハル
「ナオコって。」
一度。
息を吸う。
コハル
「全部分かってる感じする。」
ナオコの目元が。
ほんの少し。
柔らかくなる。
ナオコ
(全部なんて。)
(分かってないけど。)
むしろ。
分からないことばかりだ。
コハルが何に傷つくのか。
何を怖がるのか。
どんな未来を想像しているのか。
でも。
無理に全部知りたいとは思わない。
分からないなら。
隣にいればいいと思っていた。
ナオコ
「全部は分かってないよ。」
コハル
「……そう?」
ナオコ
「うん。
でも。
コハルが疲れてるとか。
無理してるとか。
そういうのは、ちょっと分かるかも。」
コハルの口元が。
少しだけ緩む。
コハル
「それがもう、分かってるんだよ。」
ナオコ
「そうかな。」
コハル
「そう。」
少し。
二人で笑う。
けれど。
コハルの顔は。
また少しだけ曇った。
コハル
「でも。」
ナオコ
「うん。」
コハル
「好きって言われると……。」
眉が少し寄る。
コハル
「ちょっと違う気もする。」
沈黙。
空調の音。
遠くの車。
ホテルの廊下を誰かが通ったのか、微かに足音がして。
すぐ消える。
⸻
ナオコは。
少しだけ考える。
それから。
ゆっくり頷いた。
ナオコ
「うん。」
コハル
「……分かる?」
ナオコ
「分かるよ。」
コハルが顔を上げる。
ナオコ
「恋人って感じじゃないよね。」
穏やかな声。
その言葉に。
コハルは。
少しだけ。
安心した。
コハル
「……うん。」
ナオコはベッドの上へ片手をつき。
少し天井を見る。
考える。
何と呼べば。
一番しっくりくるのか。
ナオコ
「もっと……。」
言葉が止まる。
コハル
「もっと?」
ナオコは。
コハルを見る。
ナオコ
「相棒かな。」
コハルの目が。
少しだけ大きくなる。
ナオコ
「一番近いけど。」
ゆっくり。
ナオコ
「恋人とは違う。」
コハル
「…………。」
不思議だった。
その言葉が。
驚くくらい。
胸に収まった。
コハル
「……うん。」
コハルは枕を置き。
そのまま。
仰向けに寝転ぶ。
天井を見ながら。
小さく言う。
コハル
「それがいい。」
ナオコが。
少しだけ。
コハルを見る。
ナオコ
「今は?」
ほんの少し。
意味を含ませた聞き方。
コハルも。
それに気づいた。
コハル
「…………。」
考える。
今後。
どうなるのか。
分からない。
このままなのか。
変わるのか。
でも。
今。
無理に名前を変えなくてもいい。
コハル
「うん。」
少しだけ。
笑う。
コハル
「今は。」
息を吐く。
コハル
「それでいい。」
ナオコ
「そっか。」
コハル
「うん。」
静かな時間。
二人とも。
しばらく話さない。
でも。
気まずくはない。
そして。
コハルが。
ふっと笑う。
コハル
「でもさ。」
ナオコ
「うん?」
コハル
「ナオコが誰かと付き合ったら。」
ナオコ
「うん。」
コハル
「…………。」
言っていいのか。
一瞬。
迷う。
でも。
もう。
言ってしまう。
コハル
「多分。」
ナオコを見る。
コハル
「めちゃくちゃムカつく。」
ナオコ
「…………。」
数秒。
ナオコが。
吹き出す。
ナオコ
「それ、恋じゃない?」
コハル
「違う!」
反応が。
あまりにも速い。
ナオコ
「でも誰かと付き合ったらムカつくんでしょ?」
コハル
「ムカつく!」
ナオコ
「なんで?」
コハル
「……私といる時間減るじゃん。」
ナオコ
「それだけ?」
コハル
「それだけ!」
ナオコ
「本当に?」
コハル
「本当に!」
ナオコ
「そっか。」
声が。
少しだけ。
楽しそう。
コハル
「何、その顔。」
ナオコ
「いや。」
コハル
「笑ってるじゃん。」
ナオコ
「面白いなと思って。」
コハル
「何が!」
ナオコ
「コハルが。」
コハル
「もう!」
枕が。
ナオコの腕へ。
軽く飛んでくる。
ナオコはそれを受け止め。
少しだけ笑う。
ナオコ
「まあ。」
一息。
ナオコ
「いいんじゃない。」
コハルを見る。
ナオコ
「相棒で。」
コハルも。
笑う。
コハル
「うん。」
そして。
何となく。
コハルが。
片手を伸ばす。
ナオコの手の近くへ。
指先が。
軽く触れる。
ほんの少し。
触れているだけ。
手を握っているわけではない。
恋人繋ぎなんて。
もちろんしない。
でも。
離れない。
ナオコも。
手を引かなかった。
ナオコ
(……近いな。)
そう思う。
でも。
嫌ではない。
むしろ。
この距離でいるのが。
一番自然だった。
ナオコ
「コハル」
コハル
「ん?」
ナオコは。
少し笑う。
ナオコ
「私たち。」
指先が触れたまま。
ナオコ
「バランスいいよね。」
コハルは。
少しだけ。
目を伏せる。
コハル
「……うん。」
それから。
小さく。
でも。
ちゃんと笑う。
コハル
「いいと思う。」
窓の外には。
知らない街の夜景。
遠くの信号が。
赤から青へ変わっていく。
今日。
恋人ではなく、
何かを約束したわけでもない。
ただ、お互いが。
一番近いところにいることだけを。
言葉にした。
相棒。
今の二人には。
それが、一番似合っていた。
ベッドの上。
触れた指先は。
眠くなるまで。
どちらからも。
離れなかった。
コメント
1件
「相棒のままでいたい」ってタイトル、めっちゃ刺さりました。コハルが「好き」って言葉に違和感を感じて、ナオコが「相棒かな」って返すところ、すごく良かった…。定義できない関係性を、無理に名前をつけずにそのまま抱きしめる強さが、二人にはあるんだなって。指先だけ触れ合って、離れないラストの描写、すごく好きです。続きすごく気になります。