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◻︎はじめまして
「こんばんは…」
小さな声で個室に入ってきた女性。
「桜子さん、よくきてくださいました。こちらへどうぞ」
神崎と私が向かい合っているので、桜子は省吾の向かい側に上品な佇まいで、そろりとそこに腰を下ろした。
「こちら、河西綾菜さん」
神崎は、私を桜子に紹介する。
「はじめまして、高崎桜子です」
目を合わせず軽く頭を下げた桜子。
「あの、はじめましてじゃないですよね?」
「えっ!」
「いま、どこからこちらへ?随分早かったようですけど?」
「えっ!あ、あの、近所にいたので…」
「偶然?」
「はい、偶然です、ほんとに」
「この車で?」
私はスマホを出して、あのハイブリッド車の写真を見せた。
「あっ!」
「これね、私をつけてた車なんですよ。この運転してる人、桜子さんじゃないですか?」
スマホを見つめたまま、黙り込んでしまった。
「桜子さん、どうしてそんなことを?綾菜さんのことを知りたかったら、俺に聞いてくれればいいのに」
「…それは、あの…」
薄いピンクのレースのハンカチで、そっと口元を押さえている桜子。
「神崎さんがなんとおっしゃったか知りませんが、私と神崎さんは、桜子さんが思ってるような関係じゃありませんから。ストーカーみたいなことは、もうやめてくださいね」
「そういうこと。綾菜さんはステキな女性だけど、特別な関係じゃない」
「じゃ、じゃあ、光彦さんの好きな人って?」
桜子が前のめりになる。
神崎は私を見る、どうする?と。
「あのね、桜子さん」
私はできるだけ穏やかに話す。
「神崎さんが好きな人を知ってどうするんですか?私にしたみたいに、無言電話をかけたり、付け回したりするんですか?あ、一回だけ、何かおっしゃいましたね、返して、とか。あれは神崎さんを返してということですか?」
かっ!と、桜子の顔が赤らんだのがわかった。
「無言電話まで?」
神崎が問う。
桜子は黙ったまま。
「仕事先まであんな電話をかけられたら、私はとても迷惑です。神崎さんが誰を好きか?ということより、そんなふうに勝手な思い込みで人に迷惑なことをするような桜子さんを神崎さんが好きになると思ってますか?」
「そ、そんな、私はただ光彦さんのことを愛していてその気持ちを伝えたくて、だから、光彦さんに戻ってきて欲しくて…」
「はぁ?そこも勘違いしてるよ、あなたは。それは愛してるんじゃない、執着してるの神崎さんに。戻ってくるも何も、もともとあなたと神崎さんは親同士が決めた許嫁でしょ?最初から神崎さんはあなたのことを見てないの、わかる?」
だんだん口調がキツくなってしまう。
桜子の肩が震えている。
「あなたはお嬢様で、すべてに恵まれているんでしょ?でもそれはあなたのご両親の力であって、あなたが自分で手に入れたものじゃない、だから神崎さんから見てあなたには魅力がないのよ、わかる?どんなに飾り立ててもそれは、上っ面だけ。くやしかったら、神崎さんを振り向かせられるほどのいい女をめざしてみたら?」
桜子に対して、酷いことを言っているのは、自覚している。
でも言わずにいられない、はがゆさが止まらない。
桜子に対して言っているつもりで、これは昔の自分に言ってるような気分だと思った。
元夫、健二の浮気が発覚して離婚をしたけど、あの時までの私は自分で生きていくということを考えていなかった。
たまたま始めた今の仕事で、やり甲斐を見つけて自分の力で生きていくことの楽しさを知った。
新しいことをおぼえ、今まで知らなかった人たちと交流して世界がどんどん広がった気がする。
それまでは、夫のことだけを男として見ていたし、それでいいと思っていたけど、背筋を伸ばして周りを見たらステキな人は性別関係なくたくさんいた。
「私…そんな…」
「すごく酷いこと言ってるよね?私。なんかね桜子さんを見てると、昔の自分を思い出すのよ。私、離婚したんだけどね、夫の浮気で。でもね、あとから考えたら私にもよくないところがいっぱいあった。夫に甘えてばかりだったし、妻という立場にあぐらをかいて、いい女でいるということをしなかった…そりゃ、夫もよその女を見るよね?」
「…」
桜子は何も答えない。
「あなたも少し神崎さんから離れて、客観的に考えてみて。そして、どうしても神崎さんを諦め切れないなら、神崎さんの方から桜子さんを好きになってしまうくらいの、いい女になってみたら?」
「でも、どうやって?わからない…」
「簡単なことよ、あなたが神崎さんの立場に立ってみた時に、今のあなたを好きになるかどうか?で判断してみたら?」
「あ、はい…考えてみます」
桜子は、運ばれてきた炭酸水を飲んで、一息ついた。
「それから、神崎さんのパートナーは、そこにいる省吾さんよ。神崎さんをずっと支えてる人みたい。悔しかったら、省吾さんを超えるくらいになってみたら?」
その時、省吾のスマホがブーンと着信を告げた。
「社長、ちょっと失礼します」
そう言うとそっと席をたち、個室の隅で話し始めた。
聞き取れたのは中国語らしい言葉だった。
電話を終えると、そっと神崎に耳打ちして何かを伝える省吾。
「わかった、それでいい」
「かしこまりました」
「ビジネスのお話ですか?」
「あぁ、でもたいていのことは省吾の判断で間違いないからね、雑多なことを考えなくて済むから助かっている」
「さすがですね、省吾さん」
「いえ、たいしたことでは…」
省吾は少し照れたようにして、またお肉を焼き始めた。
「私も偉そうなことは言えないんだけどね、桜子さん。少なくとも自分が好きになれない自分を、誰かが好きになってくれることはない、そう思うよ」
「そうですね…あの…」
いきなり立ち上がる桜子。
「申し訳ありませんでした、私の勝手な思い込みで不愉快な思いをさせてしまいました。本当にすみませんでした」
深々と頭を下げられた。
「え?いや、ちょっと、わかってもらえたらそれでいいから。もういいから」
「許してもらえますか?」
「もういいから、ね」
「じゃ、あの、お願いがあるんですが…」
「え?なに?」
「私を、綾菜さんの部下というか、弟子というか、色々教えてもらえませんか?」
「はぁ?」