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上野文
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#悲しい
シジミン
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kirisu
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畝澄ヒナ
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面会室に現れた怜香は、疲れた表情で椅子に座る。
何から言おうか迷っていた時、彼女から口を開いた。
『……最初からあなたが私に興味を持っていなかった事は分かっていた。でも結婚して子供が生まれれば、愛情が育っていくと信じていたのよ。……でもあなたは風磨がどれだけ努力しても無視して、あの女がいる家へ足繁く通い、あの女との間に子供を作った』
まだ感情的にはなっていないが、怜香の声は震えていた。
『私との間には風磨だけなのに、あの女との間には二人も子供を作った。……種を撒くだけだったら、どんな人にでもできるけどね』
怜香はフッと鼻で嗤い、髪を掻き上げる。
『探偵に頼んで、あなたがあの女に与えたマンションの様子を撮影してもらった。楽しそうに生活する母子に、サイレント機能つきのピアノまで買い与えられて……。あなたはあの女の才能に、そこまで惚れていたのね。……あの女が死んだあとも、アレにその遺志を継がせてピアノを習わせた』
怜香は『ふー……っ』と長く息を吐いて続ける。
『三人とも殺したと思っていたのに、アレが生きていたなんて誤算だったわ。……アレが私と風磨の暮らす家に来た時は、怒りでどうにかなるかと思った』
怜香は顔を上げ、宙空を見つめて言う。
『鬼になんてなりたくなかったのよ。私は被害者で、夫を誑かした女を憎み、その間に生まれた子供を憎む権利がある。自分の家に憎い相手が入ってきたなら、安心できる生活と息子を守るために修羅にでもなるわ』
『……伊形社長と浮気したのも、その意趣返し?』
静かに尋ねると、怜香は息を止める。
そしてゆっくり息を吐き、嗤った。
『当たり前でしょう。本当の私は夫に一途で子供に優しい理想の妻よ。浮気するなんてあり得ない。あなたが私に浮気させたの。……伊形さんだって本気じゃなかった事は分かってたけど、少なくとも二人で過ごしていた時は私を女性として大切に扱い、敬ってくれたわ。……彼といる時だけ、自分が価値のある人間だと思えたの。あなたがあの女に浮気した事を正当化するなら、私にだって正当な理由があるわ』
怜香は涙を流し、不器用に笑う。
『國見家で大切に育てられた令嬢を、あなたが〝こう〟したのよ。あなたが私を人殺しにした。私はこうやって捕まり、罪を償うけど、私を犯罪者に仕立てあげたあなたも檻に入るべきだわ』
その言葉を、私は穏やかな気持ちで受け入れる。
『何もかも君の言うとおりだ。何でも言う事を聞く』
すると怜香はクシャリと表情を歪め、ボロボロと涙を零す。
『あなたはそうやって……っ! ~~~~っ、私が何を言っても、あなたは変わらないのよ!』
何でも怜香の言う事を聞くと言っているのに、なぜ彼女がそんなに泣いているのか分からない。
『怜香が出所するまで待っている。罪を償ったあと、二人で生きていこう』
優しく声を掛けると、怜香は潤んだ目で私を見つめ、とても悲しそうに顔を左右に振り、声を上げて泣いた。
**
父の話を聞き、俺――篠宮風磨は、〝何もしない〟事はここまで人を追い詰めるかと、改めて知った。
父は自分で語った通り、浮気した事を『悪い』と思っているのだろう。
母に対する罪悪感も持っている。
父は母のもとへ何度も通い、数え切れないぐらい謝っているのに、父が謝るほど母の精神は追い詰められているように感じられた。
目の前の父は憔悴しているように見えるが、一連の騒動で心の底から申し訳なく思い、罪悪感を抱いているようには思えない。
我が父ながら、彼を見ているととても恐ろしくなる。
父は自分のどんな振る舞いが母を傷つけ、あそこまで駆り立てたのか、分かっているようで根本的な部分ではまったく理解していないのだろう。
まるで、父の中に底知れないうつろな闇があるようだ。
父は母の事を心の底から愛していないし、きっと俺の事も対して大事に想っていない。
かといって、尊が大切という訳でもない。
もっと尊を愛しているなら、皆がこの家で暮らしていた時、母の攻撃から尊を庇っていただろう。
一見、誰にも興味がなく、何も大切にしているものがないように思える父だが、恐らく彼が最も大事に守っているのは、学生時代のさゆりさんとの思い出ではないだろうか。
彼女と肉体関係を持つ前の、清らかな時間。
生徒会で一緒に過ごし、空き時間に音楽室でさゆりさんのピアノを聴いた、もう取り戻せない美しくも儚い記憶。
父はそれを再び得たいがために、一度は手放したさゆりさんに固執し、彼女は別の道を歩もうとしていたのに引きずり寄せ、犯し、子供を作る事で自分のもとに繋ぎ止めたのだ。
――一番の加害者は、父だ。
コメント
1件
面会室のシーン、重かったですね……怜香さんが「あなたが私を人♡♡♡にした」と語る瞬間、彼女の「私は被害者でいるはずだった」という叫びがひしひしと伝わってきました。でも最終的に風磨が「一番の加害者は父だ」と断じたのが全てを物語っている。父親の、謝罪しながら誰も本当には愛していない底の見えない冷たさ――あの「うつろな闇」という表現が恐ろしかったです。無自覚な加害性って、ある意味一番タチが悪いですよね。