テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
110
177
ゆうき あきや
835
第40話:深夜の領収書パズル〜二万人の税務調査官と、四十歳の涙〜
カサカサッ……。ペラッ。
カサカサカサカサッ……。
深夜二時の帯広市。
冷え込みが厳しさを増す四畳半のボロアパートに、感熱紙が擦れ合う乾いた音だけが虚しく響き渡っていた。
俺の目の前には、三十一万八千五百円(※光るオプションを付けたせいで一括経費にならなかった忌まわしき代物)のゲーミングPC。
そのモニターの下には、コンビニやスーパーのレシートが、まるで秋の落ち葉のようにこんもりと積もっている。
「……はい、次。十月五日、セブンイレブン……」
俺は死んだ魚のような目で、一枚の長いレシートをウェブカメラの前にかざした。
画面の端に表示された現在の同時接続者数は、深夜だというのに『21,540人』。
ミリオンVTuberとなった俺のチャンネルとはいえ、今の配信画面に映っているのは「三十一万八千五百円のPC」「ラーメンのダンボールの山」、そして「四十歳のおっさんの手元(レシート)」だけである。
ゲームもしていない。雑談もしていない。ただひたすら、丸まったレシートを伸ばしているだけの映像だ。
それなのに、二万人の人間が、俺の一挙手一投足を血走った目で見守っていた。
『【公開処刑】領収書の「仕事用」と「プライベート」を仕分けるだけの深夜作業【有識者ニキ監視希望】』
これが、今の配信タイトルである。
俺は赤と青の二色の蛍光ペンを握りしめ、マイクに向かってボソボソと呟いた。
「えー、十月五日のレシート。『限界みそラーメン・二個』。これは配信で食ったから経費。赤ペンで線を引く、と。……次、『ストロングゼロ・ロング缶』……」
俺の手がピタリと止まった。
「……お前ら。これは、どうだ? あの日、配信で『酒飲みながら雑談するわ』って言った気がするんだが……」
『ダメです』
『プライベートの晩酌だろ。青ペン引け』
『俺、あの日のアーカイブ見返したけど、おっさん酒飲んでなかったぞ。翌日の休みに飲んだんだろ』
『アウトーーー!!』
『はい脱税。国税庁に通報します』
二万人のリスナー(通称:深夜の税務調査官)たちから、一斉にド正論の集中砲火を浴びる。
アリス騎士団の連中まで混ざって、「姫の恩人とはいえ、納税の義務には目を光らせるぞ」とばかりに厳しいジャッジを下してくる。
「ち、ちくしょう……! 厳しいんだよお前ら! ストロングゼロの一本くらい経費に入れさせろよ! 俺の荒んだ心を癒やすための福利厚生費だろうが!!」
俺は半泣きになりながら、ストロングゼロの項目に青ペン(プライベート=自腹)で線を引いた。
「いいか!? 一枚のレシートに『仕事用』と『プライベート』が混ざってると、エクセルに入力する時、わざわざ電卓叩いて『仕事用の金額だけ』を抜き出さなきゃなんねえんだぞ! この地味な計算がどれだけ四十歳の脳細胞を破壊するか分かってんのか!!」
『知るかwww レジ分ければよかっただろww』
『面倒くさがって一緒に会計した過去の自分を呪え』
『ほら、次行け次! 手が止まってるぞ囚人!』
『スパチャ:5,000円(税理士です。家事按分(かじあんぶん)の計算、頑張ってくださいね)』
「税理士ニキ!! 専門用語で俺のHPを削るな!! スパチャも投げるな売上が増える!!」
俺は頭をかきむしり、次のレシートの束をガサッと掴んだ。
この『深夜の領収書パズル』を開始してから、すでに三時間が経過している。だが、ダンボール箱の中のレシートの山は、一向に減る気配がない。
「……次。十一月十二日、ツルハドラッグ」
レシートに印字された品目を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「ええっと……『目薬』。これは一日中パソコンのモニターを見てるから、事業用の消耗品費、だな! よし、赤ペン……」
『待て』
『ちょっと待ておっさん』
『今、その下になんか見えたぞ』
『カメラにもう一回レシート近づけろ』
リスナーたちの鋭い指摘に、俺はビクッと肩を震わせた。
高性能な超高画質ウェブカメラが、レシートの小さな印字を残酷なほど鮮明に捉えてしまう。
「な、なんでもねえよ! ただの目薬と、あとちょっとした……日用品だ!」
『『メンズ用・強力育毛トニック(プレミアム)』 4,980円』
チャット欄に、俺がひた隠しにしていた品名がデカデカと書き込まれた。
『wwwwwwwwww』
『育毛剤wwwwwwww』
『おっさんハゲてんのかよwww』
『プレミアム(約五千円)で腹痛いwww』
『これ経費にしようとしたの!?www』
「う、うるせええええええ!!!」
俺は顔を真っ赤にして、モニターに向かって絶叫した。
北海道の深夜に、ハゲを誤魔化そうとした男の悲鳴がこだまする。
「ち、ちがう! これは立派な『仕事用』だ!! いいか!? 俺はミリオンVTuberだぞ! 企業案件だって来る! いつか実写で顔出し(首から下)する日が来るかもしれないだろ! その時のための『身だしなみ』、つまり衣装代とか美容代と同じなんだよ!!」
俺は必死に、かつてブラック企業の営業で培った屁理屈を並べ立てた。
「だからこれは、俺という商品価値を高めるための立派な先行投資……!」
『却下』
『VTuber(絵)なんだから毛根死んでても関係ないだろ』
『お前のガワ、イケメンのルシフェル(金髪フサフサ)じゃねえか』
『リアルおっさんの毛根保護はプライベートです(無慈悲)』
『有識者ニキ:税務調査で「私の2Dアバターの髪の毛を守るためです」って説明して調査官が納得すると思うなら、経費に入れてもいいですよ』
「ぐっ……!!」
有識者ニキの冷徹な一撃に、俺は完全に論破された。
泣く泣く、五千円の育毛トニックに青ペンで線を引く。これで俺の今年の利益が五千円増え、その分、来年の税金が重くのしかかってくるのだ。
「……うぅっ、ひぐっ」
気がつけば、俺の目からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
「なんで……なんで俺、こんなことしてんだよ……。ただの無職で、ナマポで、誰の期待も背負わずに生きてた頃の方が、ずっと気が楽だったじゃねえか……っ」
三十一万八千五百円の七色に光るパソコンの前で。
帯広のボロアパートの四畳半で。
ミリオンVTuberという称号と、数百万円の貯金を持つ男が、五千円の育毛剤が経費にならないという事実を前に、鼻水を垂らして本気で泣いている。
『おっさんwwww泣くなwwww』
『二万人がおっさんの涙を見守る謎の配信』
『資本主義の闇』
『金を持った底辺の末路』
『スパチャ:10,000円(泣かないで! この一万円で新しい育毛剤買って!)』
『スパチャ:50,000円(騎士団より。アリスちゃんを救った英雄が、確定申告で死にかけてるの面白すぎるんでお布施します)』
「だから!! スパチャを投げるなァァァ!!!」
俺は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま、カメラに向かって吼えた。
「お前らが俺を哀れんで金を投げるたびに、俺の来年の税金が上がって、予定納税の額も増えるんだよ!! お前らのその優しさは、俺の首を真綿で絞めてるのと同じなんだぞ!!」
『スパチャ:10,000円(じゃあもっと首絞めるね!)』
『納税ラッシュwww』
『おっさんが泣き叫ぶと金が降るシステム』
俺の悲痛な叫びをBGMに、画面は極彩色のスパチャの嵐に包まれた。
だが、俺の手元にあるダンボールの中には、まだ十一月と十二月分の、絶望的な量のレシートが残されている。
「……ダメだ。もう限界だ。こんなちまちました計算、俺の脳ミソじゃ絶対に無理だ」
俺は蛍光ペンを放り投げ、ついに白旗を上げた。
「明日……いや、もう今日か。今日の昼間、俺は……税務署に直接行く」
『えっ』
『ついに本丸に突撃か』
『有識者ニキ:書類が不備のまま窓口に行っても突き返されるだけですよ』
「うるせえ! 突き返されたらその場で土下座して泣きついてやる! 『俺は何も分かりません、どうか俺の全財産を持って行って、代わりにこの紙切れを処理してください』って国税庁の役人にすがりついてやるんだ!!」
俺の捨て身の宣言に、深夜のチャット欄はさらなる爆笑の渦に巻き込まれた。
この時の俺は、まだ知る由もなかったのだ。
翌日、書類不備で絶望する税務署のロビーで、あの『冷酷無比な市役所のケースワーカー(鉄面皮)』と、運命的かつ最悪の再会を果たすことになろうとは。
四十歳の新米個人事業主の確定申告(デスゲーム)は、いよいよ最終局面へと突入しようとしていた。
コメント
1件
「深夜の領収書パズル」、めちゃくちゃ面白かったです!二万人の税務調査官に監視されながら育毛トニックを経費にしようとして泣くおっさん、最高すぎる。あの「有識者ニキ」の冷静なジャッジも笑ったし、スパチャが来るたびに税金が増えるジレンマ、この世界の仕組みをよく捉えてるなと感心しました。続きが気になる終わり方ですね。ケースワーカーとの再会、どうなるんだろう…!