盲ろうの彼 × 同居中の彼女
Side彼女
朝起きると、いつも通りベッドの隣がもぬけの殻だ。
まぶたをこすりながらリビングに出てみると、やはり優吾くんの姿はない。となると。
「おはよう」
ベランダでしゃがんでいる彼をガラス越しに見つけ、挨拶をする。
聞こえていないのはわかっているし、返事が来ないのも私にとっては当たり前。でも毎日言いたくなる。
開け放たれた掃き出し窓から外に出る。
暖かい春の風が、髪を優しく揺らした。
肩をトントンとたたくと、びっくりしたように彼は振り返る。その驚いた表情も愛おしい。
『おはよう』
もう一度、彼の手を取って触手話で話す。おはよう、と笑顔とともに返ってきた。
触手話とは、視覚と聴覚に障がいのある盲ろう者が使う手話。手の形を読み取るというものだ。覚えるのは大変だったけれど、会話のたびに手に触れられるからその分幸せ。
『花、咲いてる?』
彼が訊いてくる。花というのはこの間買ってきた新入りのマリーゴールドだ。
『うん、咲いてるよ』
と言うと、慈しむようにそっと撫でた。
ガーデニングは私の趣味。ベランダにはたくさんの植木鉢が並んでいる。
でもやっているうちに優吾くんのほうが興味を持ち始め、今では朝の早い彼は起きたらベランダにいる、というのが毎日の光景となった。
マリーゴールドに顔を近づけ、香りを吸い込む。
振り返り、『いい匂い』と笑う。
『気に入ってくれてよかった』
朝ご飯食べよう、と促して中に入った。
『これがトースト。こっちが目玉焼きで、これはサラダ』
言葉を伝えてから、その手をお皿に触れさせる。こうしてやると料理の位置がわかりやすい。
うなずいた彼は静かに手を合わせて箸を取った。
美味しい、と頬に手を当てる。ありがとうの意思を示すため、彼の頭をぽんぽんとたたいた。
ふたり分の食器を片付けようとしたとき、待って、というように右手を振ったのが見えた。
『お願いがある』
両手をとり、
『どうしたの』
少し考えたあと、
『フラワーパークに行きたい』
「フラワーパーク?」
不思議に思って、声が出た。確かに彼は、『花 公園』と単語で表した。
この近くには観光名所のフラワーパークがある。私は行ったことがあるけれど、彼からどこかに行きたいというのは聞いたことがない。
『今、チューリップの季節でしょ』
『そうだよ』
それが見たかったんだ、と理解する。
『じゃあ行こう』
と言うと、花のような笑みを浮かべた。
続く