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ノックもそこそこに入っていった応接室には、すでに大槻の姿があった。太田を前に険しい顔をしている。斉藤からすでにおおまかな報告を受けたものと想像できた。
「すみません。遅くなりました」
俺の顔を見るなり、斉藤が心配そうに訊ねる。
「笹本は?大丈夫なのか?」
俺は顔をしかめて答える。
「先生に診てもらっているところです。医務室で休むように言われていましたから、今日はもう早退した方がいいんじゃないかと思います」
「そうだな。その方がいいよ。それでさ、俺が見たことはひと通り部長にお伝えした。太田はそれを認めるつもりはないようだけど」
大槻は眉間にしわを寄せて俺を見た。
「太田君は何かの間違いだと言っているが、本当の所はどうなんだ?」
太田は大槻に訴える。
「何度も言いますが、二人の勘違いです。笹本さんに乱暴なんてしていません。たまたま手がぶつかったりしただけで」
碧に乱暴していた場面を実際に目撃したわけではない。しかし、頬を腫らし、唇を切った彼女を間近で見た。髪も服も乱れた様子だった。あれが自作自演のはずはない。それに俺は、太田と碧のこれまでのことも知っている。
それなのに、太田は嘘だとすぐに分かるようなことを平気で言っている。
そんな彼に対して怒りがふつふつと湧いてきたが、感情的にはなるまいと気持ちを抑え込み、薄く笑顔を貼り付けた。
「そうですか……。太田さんは何もしていない、すべて偶然、偶発的なものだったと言うんですね。……分かりました。では、改めて俺の方から部長に説明することにしましょう。あぁ、その前に」
いったん言葉を切り、俺は斉藤に向き直る。
「斉藤さん、色々と助けて下さって本当にありがとうございました。そして、仕事の手を止めさせてしまってすみませんでした。後は俺の方で対処するので、席に戻って下さって大丈夫です。……ところで、いくつかお願いがあるんです。一つは、課の皆さんにはひとまず、彼女は体調不良で席を外しているとでも、うまく言っておいていただけませんか?場合によっては早退かも、と。課長には、後で改めて俺から話します。それから、田苗さんにお願いして、ロッカーから笹本さんの荷物を取って来てもらいたいんです。総務課でスペアキーを保管していますよね?」
特になぜと聞くこともなく、斉藤はあっさりと俺の頼みを請け負ってくれた。彼は俺が「碧」と呼ぶのを聞いているから、きっともう、俺たちの関係に気づいているはずだ。
「色々了解した。荷物も用意してもらっとくよ。それは後で北川さんに渡せばいいんだな?他にも何かあったら、遠慮なく声かけて」
「ありがとうございます」
頭を下げた俺に、斉藤は困惑気味にぎこちない笑みを浮かべた。部長と俺の会話の雰囲気から、何かを察したせいかもしれない。
応接室を出て行く彼の背中を見送りながら、後々斉藤には自分の口で本当のことを伝えようと思う。
ドアが静かに閉まってから、俺は改めて太田の前に立った。彼から目を離さずに、大槻に訊ねる。
「斉藤さんからは、どこまで話を聞いたんですか?」
「資料室での一件について、だいたいのところはね。だけど本当なのかい?まだ信じられないんだ。まさかうちの社内でこんなことが起きるなんて」
半信半疑という顔の大槻に、俺はきっぱりと告げる。
「残念ですが、本当です」
「しかし証拠は?」
「証拠ですか?資料室での一件については、私と斉藤さんが証人です。乱暴されていた場面そのものは見ていませんが、資料室に入って行った時に、太田さんは笹本さんの肩をつかんで壁に押さえつけていましたし、彼女の髪や服も乱れた様子でした。それに、彼女の顔などには、乱暴された痕も残っていました」
大槻の眉間にぐっとしわが寄る。
「彼女を医務室に連れて行って、高階先生に診てもらいました。先生は、それらは他人からつけられた痕と判断できると言っていました。さらに詳しく診察すると言っていたので、他にも乱暴された痕跡が見つかるかもしれません。念のために、診断書もお願いしてあります。それともう一つ。その時の様子は、資料室の監視カメラの映像に残っている可能性があります。だからこの後、警備室に見に行こうと思うんです。太田さん、あなたも一緒にどうですか?その方が色々と話が早いでしょう?」
「監視カメラ……」
太田が呆然とつぶやいた。
大槻が冷静な声で太田に訊ねる。
「太田君、本当のところはどうなんだ」
「私は……」
太田は言葉を濁した。
彼の顔を見ながら俺は話を続ける。
「ちなみにですけど、あなたが彼女に乱暴を働いたのは、今回だけじゃないですよね。割と頻繁だったみたいですね。それについては本人から聞いているし、証言してくれる人もいますよ」
太田が俺を睨みつける。
「周りには言ってなかったが、笹本は俺の彼女なんだ。俺は彼女を愛している。そんな俺が、彼女に乱暴を働くなんてこと、するわけがない。今回のことだって、あんたたちの誤解なんだよ」
「誤解?顔には明らかに叩かれた痕があるのに?俺と斉藤さんが駆け付けるまで、あの場所にいたのは太田さんと彼女だけだった。彼女が自分で自分を痛めつけたとでも言うんですか?」
今回の他にも、これまでさんざん彼女を傷つけるようなことをしていたくせにと、はらわたが煮え繰り返る。
「頬が腫れ、唇が切れるほどの力で叩いたり、後が残るくらい強い力で手首をつかんだり、本当に彼女を愛しているなら、そんな真似、できるわけがないでしょう」
それまで冷静にと自分を抑え込み丁寧な言葉を使っていたが、痛々しい彼女の様子が再び思い出されて、俺はその努力をついに手離す。
「君はこれまでも、碧に対して常習的に暴力的なことをしていたようじゃないか。その痕を俺の他にも見ている人がいるんだ。それでも自分のやったことを認めないと言うのなら、今俺の手元にある証拠や証言をすべて君の前に並べようか。君を訴えるなり、被害届を出すなり、その用意はできているんだ」
太田はぎりっと歯を噛みしめた。俺を射殺そうとでもするような目つきで睨む。
「俺から笹本を奪ったくせに……。彼女を返せ」
奪っただの返せだの、太田の口から出るのは自分本位の言葉だ。
俺は極めて冷ややかに彼に言う。
「奪うとか返せとか、彼女はモノじゃない。それにもう、彼女の心に君への想いは微塵も残っていない。そのことは、本当は君もよく分かっているはずだ」
太田は膝をつかんで首を何度も横に振る。指の関節が白くなっていた。
「そんなはずはない。俺は笹本を愛している。その気持ちは伝わっているはずなんだ」
彼女を傷つけたことを認め、謝罪の言葉でもあるかと思っていた。しかし、太田には現状を認めようとする様子が見られない。
「だったら、どうして彼女は君から離れたがっているんだ?彼女は君のことを恐がっているじゃないか」
俺は腕を組んで太田を見下ろした。清水から得ていたある情報を口にする。
「君は以前にもそうやって、交際相手にDVめいたことをしていたんだってね。そういえば、聞きたいことがあったんだ。太田さん、あなた、ここに転職してくる前にいた会社は、どういう理由で辞めたんですか?」
太田は弱々しい目で俺を睨みつけ、かすれ声で言う。
「その話は今関係ないだろう」
「その質問には何か意味があるのか?」
大槻に訊ねられて、俺は大きく頷く。
「あると言えばありますね。それで、太田さんどうなんです?」
重ねて問う俺に、太田は口をつぐみ下を向く。
俺はわざとらしく大きなため息をついた。
「そうですか……。太田さんが自分で答えられないのなら、先方に照会をかけてみればいいだけの話です。部長、後で彼の前の会社の人事に聞いてみてもらえませんか?もし答えてもらえないようでしたら、例えば、うちの取引先でもあるA社の営業部長に、直接聞いてみてもらってもいいかもしれませんね」
大槻が瞬きした。なぜそんなことを言い出したのかと不思議そうだ。
「A社の営業部長は、私の大学時代の後輩なんだよ。この一年くらいは直接連絡を取り合ってはいなかったが……。なんなら今すぐにでも電話してみようか」
大槻は言いながら、ジャケットの内ポケットに手を入れる。
太田の顔から血の気が失せた。
「ま、待ってください!」
大槻は太田の顔に目を当てながら、確かめるように俺に訊ねる。
「なぁ、拓真君。やっぱり本当なのか?太田君が笹本さんに乱暴を働いたっていう話は」
俺ははっきりと肯定する。
「本当です。さっきも言った通り、いくらでも証明できますよ」
俺と大槻の会話に太田が口を挟む。
「ちょっと待て。その呼び方……。そう言えば、確か電話でも……」
太田の表情は固まっていた。