杯の水面のようにゆらぐ瞳の中に、不安げにしている自分が映り込んでいるように思えて、ますます落ち着かなくなりました。
「……いえ、ありません」
「ウソだよ」
「嘘じゃありません」
「じゃあどうしてわたしのこと見てくれないの?」
それは、と口を開きかけたところで言葉が出てこず、代わりにため息が出てしまいます。
「……やっぱりわたしが悪いんじゃん」
ぼそりと呟いた声に反応して顔を上げると、そこには不満気な顔をしているマガリの顔がありました。
「違うんです! 本当に私はあなたが悪いなんて思っていません!」
思わず叫んでしまいましたが、すぐにハッとなって口をつぐみます。
しかし時すでに遅し。一度出た言葉を取り消すことはできないのです。
一瞬だけ見せた動揺はすぐに隠されて、いつものように平静さを取り戻そうとしましたが、
「じゃあさ、どうしてまだ敬語なんだろ?」
「それは……」
「他の人ならいざ知らず、わたしたち親友だよ? なのにどうして他人行儀な言葉遣いをするのかなーって」
「それは……私が平民だからですよ」
「ふぅん……」
納得していない顔を浮かべながらも、それ以上は何も言わずにマガリは別の話題に移ります。
それからしばらくは他愛のない雑談が続きました。
しかし、それもほんの数秒のこと。すぐに向き直ると、小さな声で答え始めました。
「わたくしは……」
「うん」
「私はあなたを責めたりするつもりなんてありません。そもそも、あなたがいなければこんなことにもならなかったんですから」
「それは……」
マガリの顔がこわばります。
「違う! 私がちゃんと注意をしてればよかったんだよ!」
「いいえ、違いません。だからあなたのせいじゃありません。これは全部私の責任なんですよ」
「ちがっ……」
「いいえ違わないです。それに、この前お話ししましたよね? 私はあなたに感謝していると」
「…………」
「確かに、あなたが私に対して抱いている感情は好意ではないかもしれません。でも、私にとってのあなたという存在はとても大切なものになりつつあります。それは事実ですよ」
「じゃあどうして……!」
思わず声を大きくしてしまうマガリ。しかしすぐにハッとしたように口を手で覆います。
そのまましばらく沈黙が続きます。
やがて、意を決したかのように口を開いたのはプラカの方でした。
「……私はあなたよりも年上です。だから、あなたのことを子ども扱いしない方がいいと思っています。でも、どうしてもそういう風に接してしまうんです」
「どういう風に?」
「……妹に対する接し方のように、ということですね」
「……そっか」
プラカの言葉を聞いて、少し悲しげな顔を見せるマガリ。
再び会話が途切れてしまいます。
先に動いたのはやはりプラカの方でした。
「すみません、やっぱりお姉さん面するのはおかしいことでしたよね。これからはもっと気を付けようと思います」
「違うよ」
「えっ?」
今度は逆にプラカの方が驚かされる番でした。
「私は気になるんだけど」
「……じゃあ、一つだけ聞いてもいいですか?」
「何でもどうぞ!」
少し考えた後、プラカは思い切って口を開きます。
「あの時、どうしてあんなことを言ったんですか?」
「えっと……それはどういう意味かな?」
「だから! 何でわざわざぼくのことを悪く言うのかってことです」
「ああ、そういうことかー。ん~……やっぱり気づかれてたかぁ」
あっさりとした答え。けれども、それが予想していた通りのものだっただけにプラカは安心してしまいます。
しかし、すぐにその安堵感も消えてしまいました。
「理由なんて特にないんだよねぇ。強いて言えばムカついたから、かな」
「それだけ!?」
「うん、それだけ」
あまりにも単純な答えすぎて、かえって拍子抜けしてしまうほどでした。
「それに、プラカ君ってさ、なんだか見てるとイラッとするっていうかさ」
「なっ、ひどいですよ……」
「別に、何もありません」
「そっかー。じゃあ仕方がないかなー」
ふぅっとため息をつくと、マガリは立ち上がって鞄の中からノートを取り出しました。
「それでは失礼します!」
「はいこれ! 読んでください!!」
逃げ出そうとするプラカの手を掴むと同時に、マガリは手に持っていたノートを差し出します。突然の出来事に混乱しながらも、プラカはそれを受け取りました。
それはマガリにとって決定的な瞬間でした。
「ねぇ、プラちゃん……私の事嫌いになったんでしょう?」
「違います! どうしてそういう結論になるんです!」
「だって、私が話しかけても目を逸らすじゃない。それに、最近いつも一人で行動している気がするし……」
「そ、れは……」
口ごもりながらも、プラカの瞳に浮かぶ色は否定の色ではなく戸惑いの色が強いように見えました。
マガリはそれを見逃さず畳みかけようとしましたが、それよりも先にプラカが言葉を続けました。
「私は……確かに、先輩のことを苦手だと感じる時があるかもしれません。何を考えているのかわからないということもあると思います」
「やっぱり……」
「でも、だからといってそれが嫌いだという理由にはならないはずです」
「じゃあ、何で?」
マガリは必死の形相で問いかけました。
しかし、返ってきた答えは想像していたものとは大きく違っていました。
「……言えないんです」
「え? どういう意味?」
「本当にわからないんです……自分がどう思っているのか」
「そっか……じゃあさ、今度一緒にどこか遊びに行くっていうのはどうかな?」
「それは……」
「だめかな? もしよかったら今日これからとか」
「いえ、そういうわけでは……」
言葉とは裏腹に、プラカの顔色はどんどん悪くなっていきます。
しかし、その理由ははっきりとわかっていました。
なぜなら――
(やっぱり……私はこの人を騙している)
昨日の一件の後、自分の気持ちがわからず、悩み続けた末に出した結論がこれだったのです。
もし自分に非があるなら謝ろう――マガリは思い切って行動に移したわけですが、どうにも反応が悪いように思えてなりません。
(やっぱり、わたしじゃダメなのかな?)
心の中でため息をつくと、マガリは少しだけ寂しい気分になりました。
自分がどんな人間であるのかということを自覚してからというもの、人に嫌われないように努力してきたつもりです。それは、この世界に来る前の世界でも同じことでした。しかし、今目の前にいる少女に対してはどうにもうまく立ち回れないのです。「……本当にありません」
結局、根負けしたのはプラカの方でした。
ため息をつくと、手にしていた本を閉じて元の場所に戻し、少しだけ語気を強めて続けます。
「それよりも、そろそろ本当のことを言ってくださいませんか? 私がどうしてあなたのような方とお付き合いしていることになっているんですか?」
「それは、本当に……付き合ってたら嬉しいなって思ったから」
マガリの言葉を聞いた瞬間、プラカの顔色が変わりました。しかしすぐにいつも通りの笑顔を浮かべると、ゆっくりと首を横に振りました。
「すみません。私はあなたのことが嫌いではないのですが、お気持ちに応えることができません。それに……申し訳ありませんが、私の好きな人は別にいるんです」
「……やっぱり」
「はい。ですから――」
「ねぇ、だったらさ! 今度デートしよう!」
「……え?」
突然の提案にプラカはきょとんとした顔をしました。
「わたし、もっと知りたいことがあるんだよ。だから、お願い!」
「いや、そういうわけにはいきませんよ。私は他に――」
「別にいいじゃん! ダメかな?」
「えっと……」
「だめっ!?」
「……いえ、ダメですね私は。やっぱりこういう性格だとうまくいかないことが多すぎるんです」
「じゃあ、これからはどうすればいいと思う? 私がちゃんとすれば全部丸く収まるならいくらでもがんばるけど」
「それは……難しいと思います。だってあなたが悪いわけじゃないですし」
「でも、私の方にも悪いところがなかったなんて言えないでしょ?」
「…………」
「ねぇ、もしよかったら教えてほしいんだけど、どうしてこんなことになったのか」
マガリの言葉を聞いて、しばらく黙っていたプラカはやがて観念したように口を開きました。
「別に……大したことではないんですよ」
「だったら」
「でも、だからといって話す気になれないことだってあるんです。これはそういうものなんです!」
プラカにとってそれは心の底からの叫びだったはずでした。
しかし、それがかえっていけなかったのか、マガリの顔つきが変わります。
「そっか……じゃあ仕方ないか」
どこか諦めを感じさせる言葉とともに、マガリは踵を返そうとしました。
「待っ――」
反射的に口を開いてしまったことを後悔しても後の祭り。
振り返ったマガリを見てプラカは口をつぐみます。
そこには先程までの愛くるしい笑みを浮かべた少女はいません。
そこにいたのは獲物を狙う狩人の顔。
――どうしよう。このまま帰してしまったら絶対に後悔する! 本能的な恐怖がプラカの心を支配していきます。
――ダメだ。今さら引き下がれっこない。
一度口にしてしまった以上、最後まで言わなければ収まりがつくわけがない。
――よし! マガリはその隙を逃すまいとばかりに身を乗り出します。
「本当に何もなかったら、あんな顔しないと思うんだけどなぁ~」
「っ!?」
「わたしのこと嫌いならはっきり言ってくれた方がすっきりするよ」
「ち、違います!」
「じゃあさっきの顔は何だったのか聞かせてくれるかな?」
「それは……」
「お願いだよ。正直に言って欲しいんだ」
いつの間にかマガリの目からは涙が流れていました。それを拭うこともしないままじっと見つめてくる姿に、ついにプラカの心は完全に折れてしまいました。
「私は……やっぱり許せないんです」
「そっか」
マガリは泣き出しそうになる気持ちを抑えてなんとか微笑みを浮かべようとしました。
(やっぱりわたしじゃダメなのかな)
「あの、本当に大丈夫だから! 心配してくれてるだけで嬉しいし!」
慌てて取り繕ったように言うプラカを見て、マガリはさらに胸がきゅっと締め付けられるような思いを感じてしまいました。
(どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう?)
この場では聞けなかった疑問が再び頭に浮かび上がります。
しかし、それは口に出す前に消えていきました。代わりに出てきた言葉は少し弱々しいものです。
「……やっぱり気になります。どうして私があんな風に言われなければいけないのか」
「うん。じゃあ聞かせてほしいんだけど……プラカちゃんはさ、どうして私が『聖女』なんて呼ばれてると思う?」
「それは……」
「わからないかな?」
答えられずにいるプラカに向かってマガリは微笑みかけます。
「じゃあさ、質問を変えよう。私は何のためにこの学園に来たのだと思う?」
「えっと……」
「答えられない?」
「……すみません」
「そっか」
そこでいったん会話が途切れてしまいます。
しばらく無言の時間が続きました。
やがて、マガリが再び口を開きます。
「プラカちゃんが気にしているのはそのことだよね?」
「はい」
「なら、先に私の方から話すことにするね」
「えっ?」
「私はね、プラカちゃんと同じように、自分がなぜここに来たのかを知りたくて来たんだよ」
マガリの言葉を聞いたプラカの顔色が変わりました。
「どうしてそれを……」
「手紙を読んだから」
「そっか、あれを読んでくれたんですね」
少しだけ嬉しそうに微笑むプラカを見て、マガリは胸の中でほっとした気持ちになります。
しかしそれも一瞬のこと。すぐに不安げな顔つきに戻ってしまいます。
「ねぇ、やっぱり……わたしたち友達になれないかな? この前のことも謝りたかったし、もっと仲良くなりたいっていうか……」
「それはできません」
はっきりと言われてしまい、マガリは思わずうつむいて黙り込んでしまいました。
(やっぱり、言わないとダメかな)
この数日の間、何度も繰り返してきた葛藤を再び繰り返すことになりました。しかし、それは仕方のないことでした。なぜならば――
――コンコンッ! 唐突に大きな音が鳴り響きました。
音の出所はこの部屋の出入り口であるドアの向こう側から聞こえてきていました。
突然の音に驚いた二人が入り口を振り返ると、そこには一人の男子生徒が立っていました。
「えっと……誰?」
見知らぬ顔の登場に二人は困惑してしまいます。すると、その男子生徒は何事かをぼそぼそと話し始めました。どうにも聞き取りにくい声だったのですが、少しばかり会話を続けていくうちにその言葉の意味を理解することができました。
『君たちこそこんなところで何をしている?』
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