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「わぁ~!気持ちの良い夜ですねぇ~!」
波が船底を優しく叩く音が、静かなリズムを刻む、優しく波の揺れに体を預けながら、増田は切っ先の尖った肉切りナイフで器用に細かく肉を切り刻んでいる
「へ~ずいぶん手際がいいですね、増田さん!そしてこのナイフよく切れますね」
「ええ!バーベキュー用に買ったんですよ、これはどんな肉でも切れますよ!ほら!こんなに」
そう言って増田は肉をどんどん切り刻んでいく、ナイフの動きがまるで踊るように滑らかだ、浩二は無意識にその刃を見つめ、腹の傷が疼くのを感じた
「それで?鈴子と喧嘩でもしたんですか?」
増田がデッキに座って赤ワインを手に聞く、グラスが月光を反射し、赤く輝く
浩二はハァー・・・とため息を吐きながら言った、胸の重みが言葉となって零れる
「増田さんを信用して言いますが・・・実は・・・僕を暴漢に襲わせたのは・・・彼女だったんです・・・」
増田から今までの頬笑みが消えた・・・そして暫く二人は無言になった
風が強くなり、帆が微かに鳴る・・・浩二の心臓が、早鐘のように鳴り始める
「確かなのかい?」
「ハイ・・・確かです・・・刑事が来ました、僕を襲った犯人の口座に鈴子の会社名義で300万入ってたそうです・・・それは僕を傷つけた報酬です・・・」
「なんてことだ・・・」
そう言って増田は口ごもった、相当にショックを受けている様子だった、肩がわずかに震え、ワイングラスを握る手が白くなっている
「本当は・・・僕の選挙運動が激しくなるにつれて・・・二人の間で喧嘩が絶えなかったんです・・・でもまさか・・・」
浩二は頭を抱えてため息を吐いた
「僕を襲撃させるなんて・・・恐ろしいですよ・・・」
「他には?刑事は何か言ってた?」
「大谷警部は、あれは偶発的な事件ではなかったと・・・犯人は僕の腹を刺して300万の礼金を受け取っています、それが証拠だと・・・まもなく事情聴取が始まるそうです」
思い出すと浩二はまた腹がズキズキし出して来た、傷口が熱を持って痛みが蘇る
鈴子がそんな事をする女だったなんて、今の今まで信じられなかった、彼女の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない
「でも・・・わからないな、どうして鈴子がそんなことをするんだい?」
増田が考えこむように言った。無理もない、浩二は自分でも信じられなかった、彼の声が低く、夜の闇に溶け込む
「こんな言い方をするのは自惚れているかもしれませんが・・・鈴子は僕に夢中なんです・・・何度も喧嘩しました、その原因と言うのが僕が選挙活動で家を空けるのが彼女は嫌なんです・・・要するに力ずくでも僕を傍に置いておきたかったんだと思います・・・彼女は本当に大した玉ですよ」
「それで君はあのバカ豪華なコンドミニアムから荷物を持って出て来たんだな?」
「はい・・・その通りです・・・」
「なんてことだ・・・」
増田はアーメンとでも言いたそうに空を仰いだ、星々が冷たく瞬き、浩二の心を刺す
浩二の心の中でさっきまで女神だった鈴子はもういない・・・
二人の出会いから走馬灯のように浩二の頭の中を二人の思い出が駆け巡った
―あなたの政治基金に一千万円寄付しました、あなたのお役に立てればと・・・―
初めて一緒に食事をした時・・・彼女は僕の政策をキラキラした目で聞いてくれた
―私・・・あなたを応援します―
そして二人の暮らしていたコンドミニアムを初めて観に入った時・・・
―ここで一緒に暮らさない?―
―あなたは私が本気で愛した、ただ一人の人・・・―
浩二はだんだん胸が切なくなってきた、あの時は感情で鈴子に当たってしまったけど、本当に彼女がそんな事をする人間だろうか? 考えれば考えるほど矛盾が出て来る・・・
―早く治して一緒に頑張りましょうね・・・―
―少しでも食べないと元気になりませんよ―
そうだ・・・久しぶりに外に出ようとした僕を彼女は涙ながらに嬉しそうに言った
―よろこんでお供するわ―
浩二の肉を食べる手が止まった、フォークが皿に触れる音が静かに響く・・・
僕達が最後に言い争った時・・・あの時・・・たしかに鈴子はこう言った
―私は本当に何も知らないの、いったい何を言ってるの?―
「・・・どうしましたか?姫野さん?」
増田が食べるのを止めたので不思議そうに浩二を見た
「やっぱり・・・もう一度鈴子と話してみます!今回の事件にどうしても彼女が絡んでいると思えないんですよ」
―きっと警察の間違いだ!さぁ!鈴子を探さないと!―
浩二はガバッと立がった、決意が胸を熱くする、風が強くなり、船が大きく揺れる
「すいませんが、増田さんこれを食べ終わったら、鈴子のコンドミニアムまで送って―」
「そりゃぁ・・・無理だな」
「え?」
浩二が振り向くと、増田の顔が一変していた、穏やかな笑みが剥がれ落ち、般若のような形相が露わになる、心なしか彼の目が血走り、唇が歪んでいる?
増田は刃に残った肉汁を味わうように肉切りナイフを舌でゆっくり舐めて言った
「あの犯人はしくじったんだよ、本当は俺はお前を「殺せ」と言ったんだ」
浩二の背筋に氷のような冷気が走った