テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#オフィスラブ
湊未来
646
管野アリオ
37
月白
2,415
#かざね
第3章 みずき
───
山を降りるあいだ、河合はずっと右手を握っていた。
石段を一段降りるたびに、指に力が入るのが分かった。あたしはそのすぐ前を歩いていたから、振り返らなくても分かった。
真崎は前で、助かった安心でずっと喋っていた。河合は一言も返さなかった。
あたしは、それを見ていた。
いつもそうだ。あたしは見ている。それで終わる。
◇
右手首を壊したのは、去年の秋だった。
地区大会の準決勝、第三セット。着地で床に手をついて、変な音がした。その場では立てた。立てたから、最後まで出た。それが悪かったらしい。
手術はした。動くようにはなった。でも、もう前みたいには打てないと、医者ははっきり言った。はっきり言ってくれたのは、ありがたかった。曖昧に言われるより、ずっと楽だった。
冬に、部をやめた。
やめたら、周りにいた子たちが消えた。
一年のときから、いつも後輩の女子が何人か周りにいた。「先輩かっこいい」「先輩見てました」。あたしはそれを、悪い気はしなかったけど、本気にしたこともなかった。
それが正解だった。
部をやめて一週間で、誰も来なくなった。廊下ですれ違っても、目が合わなくなった。潮が引くみたいだった。怒りはなかった。ああ、あれはそういうものだったんだな、と思っただけだ。
ひとりを除いて。
◇
柚木ひなは、四月の最初の週に、あたしの前に来た。
「藤代先輩、あたし、先輩のファンです」
一年生。小さくて、目が大きくて、いつも何か喋っている子。
「もう部活やってないよ」
「知ってます」
「じゃあ、何のファン」
「先輩の」
答えになっていなかった。でも、ひなは本気でそう言っているらしかった。
それから毎日、昼休みに準備室に来るようになった。三人で弁当を食べているところに入ってきて、あたしの隣に座って、自分のクラスの話をする。
誰と誰が仲がいいとか、誰が先生に怒られたとか、誰が何を好きだとか。あたしはたいてい「ふうん」としか返さない。
でも、真崎が本を読み、河合がぼんやり窓を見ているあいだ、あたしはひなの話を、ちゃんと聞いていた。
聞いていることは、誰にも言っていない。
あれは思春期の憧れだ、とあたしは決めていた。背が高くて髪が短くて、女子から見て「かっこいい」形をしているから、寄ってきているだけだ。前の子たちと同じだ。そのうち、いなくなる。
◇
七月に入ってすぐ、ひなのクラスの子が、いなくなった。
小野寺という女の子。土曜の朝に家を出て、それきり帰っていないという。
月曜の朝、学校中がその話だった。
机の中に、便箋が一枚、残されていたらしい。
「神様のところに行きます」
それだけ。
学校中が、神隠しと言った。誰かが「山の神社のほうへ歩いていくのを見た」と言い出して、それが尾ひれをつけて広がった。
昼休み、準備室に来た真崎の目が、光っていた。
「調べよう」
河合は「うん」と言った。空返事だった。
あたしは、何も言わなかった。
◇
その日の放課後、ひなが準備室に来た。
いつもみたいに喋らなかった。入口に立ったまま、泣きそうな顔をしていた。
「先輩」
「なに」
「小野寺さん、あの神社に行ったんじゃないかって、みんな」
あたしは、ひなを見た。
「……お前、あの子と仲よかった?」
ひなは、答えなかった。
その答えなかった顔を、あたしは、たぶん一生覚えている。
コメント
1件
──読んだよ、みずき先輩の章。 一番胸に刺さったのは「あたしは見ている。それで終わる」ってところ。部活をやめて人が消えていく感覚、あの潮が引くみたいな静けさ、すごくリアルだった。ひなだけが残って、でもそのひなの「答えなかった顔」を一生覚えてるってラスト、めっちゃ深いよ……。 この重さ、ちゃんと受け止めた。大切に書かれてるのが伝わる。