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リフェアリー
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塩尻で、要は、二日、止まった。
東京へ行く前に、作らなければならないものが、あった。九つ目の、足りない半分。
甲府で、要は、それを思い知った。遠くの台帳は、見えない。見えない台帳は、使えない。三冊を三つの村に分けるのは正しい。でも、分けた台帳を、毎日、近くで見えるようにしなければ、腹が減った人間は、目の前の偽物を使う。
東京の三千人を、市に入れる。三千人の台帳を、木曽から二百五十キロ離れた場所で書く。木曽の六人は、それを、見られない。見られなければ、照らせない。照らせなければ、三冊の意味がない。
毎日、写しを運ぶ。飛脚で。東京から木曽まで、十日。往復二十日。遅すぎる。
「飛脚を、増やす」要は、塩尻の宿で、瑠衣に言った。「一人が十日歩くんじゃなく、十人が、一日ずつ。東京から八王子。八王子から相模湖。相模湖から甲府。甲府から塩尻。塩尻から木曽。五つの区間に、二人ずつ。毎日、写しが、一区間ずつ進む。五日で、着く」
「五日でも、遅い」瑠衣は言った。「腹が減るのに、三日かからない」
「わかってる。でも、十日よりは、速い」
「それに、飛脚が、途中で書き換える。十人いれば、一人は、書き換える」
「蝋で封じる」
「蝋は、割れる。割れたら、わかる。でも、割れた後、書き換えて、また蝋を垂らしたら。印を、真似されたら」
要は、答えに詰まった。
八月に、偽の証が三十枚出た。四つの印を、全部、彫られた。印は、真似できる。蝋も、真似できる。
「……瑠衣。お前なら、どうする」
瑠衣は、しばらく考えてから、言った。
「蝋を、三つにする」
「三つ」
「一つの手紙に、三つの蝋。三人の印。東京の権田と、商店街の会長と、一ノ瀬のじいさん。三人が、別々の蝋で、別々に封じる。開けるには、三つとも割る。真似するには、三つの印を、全部、彫る。それと」
「それと?」
「三つの蝋の、順番を、決める。一つ目は権田。二つ目は会長。三つ目は一ノ瀬。順番は、木曽の六人と、東京の三人しか知らない。順番が違ってたら、偽物」
「順番が、合言葉」
「そう。合言葉は、中に書くと、開けたやつに読まれる。蝋の順番なら、開けなくても見える。でも、順番を知らなければ、真似できない」
要は、瑠衣を見た。
「お前、それ、画面の中で、やってたのか」
「似たことを。多重署名って、呼んでた。三人のうち二人が署名しないと、動かない。おれは、それを、破るのが仕事だった」
「今は、作る側だ」
「作る側の方が、難しい」瑠衣は言った。「破る方は、穴を一つ見つければいい。作る方は、穴を全部、塞がなきゃいけない。塞げないから、侵入前提にする。あんたの言うとおりだ」
*
要は、塩尻の宿で、紙を書いた。
『東京・木曽間、台帳の写しの運び方。
一、東京の三冊の写しを、毎日、一枚、作る。
二、権田、会長、一ノ瀬の三人が、別々の蝋で、別々の印で、封じる。順番は、別に定める。
三、飛脚十人が、五つの区間を、一日ずつ運ぶ。五日で木曽へ。
四、木曽の六人が、三つの蝋の順番を確かめ、割り、写しを三冊に照らす。
五、照らして合わない分は、組合の蔵から出す。
六、木曽から東京へも、同じ。木曽の六人の、三人の蝋で。
七、飛脚の評判を、台帳に書く。十人のうち、蝋を割った者は、バツ。十回運んで割らなかった者は、丸十。
八、蝋が割れていた手紙は、使わない。使わないが、燃やさない。残す。誰が割ったかを、台帳で追う』
八行。要は、それを、十二条の掟の、横に置いた。
「掟に、足す?」つむぎが聞いた。
「足さない。掟は、四つの村の長が、四人で書いた。これは、僕が、一人で書いた。一人で書いたものは、掟じゃない。やり方だ。やり方は、変わる。掟は、変わらない」
「じゃあ、何て呼ぶの」
要は、考えた。
「……封蝋の法」
「法」
「江戸の商人なら、そう呼んだと思う。一ノ瀬さんが、教えてくれた」
つむぎは、紙を見た。
「要さん。これ、東京で、権田さんと会長さんと一ノ瀬さんが、『やる』と言わなければ、動かない」
「動かない」
「三人とも、二年近く、会ってない。会長さんは、商店街で、台帳が千行になってるかもしれない。一ノ瀬さんは、七十二で、二年経った。権田さんは、倒れた」
「知ってる」
「三人の顔を、私は、覚えてる。一年半前の顔を。今の顔は、知らない」
要は、つむぎを見た。
「だから、行く」要は言った。「今の顔を、見に」
*
塩尻を出て、甲府に入った。
甲府の市は、なかった。広場に、露店は、なかった。白い旗が、二本、立っていた。でも、黒い作業着は、十人もいなかった。東京が割れて、甲府の御殿も、割れていた。
広場の隅に、パイプ椅子が、一つ、倒れていた。会長の椅子だった。
要は、椅子を、起こした。
「会長さんは、木曽にいる」つむぎが言った。「十ヶ月前から。二百キロ歩いて」
「知ってる。でも、椅子は、ここにあった」
要は、椅子を、広場の真ん中に置いた。誰も座らない椅子を。
「市は、終わった。でも、二冊は、諏訪と木曽にある。いつか、取りに来られる」
甲府の人間が、三人、遠くから、要を見ていた。要は、椅子の横に、証を一枚、置いた。和紙。四つの印。
「これが、市だ」要は、三人に言った。「木曽で、回ってる。いつか、ここでも」
三人は、何も言わなかった。でも、一人が、証を、拾った。裏返した。漉き目を、光に透かした。
要は、八王子へ向かった。
コメント
1件
「封蝋の法」、めちゃくちゃかっこよかったです。システムを設計する手応えと、それを現実に落とし込む難しさが、要と瑠衣の会話からひしひしと伝わってきました。瑠衣が「破る方が簡単」と認めるのも、彼のバックボーンが生きてるし、要が一人で決めたことを「掟じゃなくてやり方」と線引きする姿勢、すごくいい。甲府の広場で倒れた椅子を起こす場面も、無理に希望をつくらない静かな抗い方で好きです。