テラーノベル
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昼休み。校舎内は生徒たちの喧騒に包まれていたけれど、屋上へと続く階段を上りきる頃には、その音も遠い波音のように静まっていた。
「……遅い。先輩、また誰かに捕まってた?」
屋上のフェンスに背を預け、気だるげにスマホをいじっていた角名くんが顔を上げた。
三限目のチャイムが鳴る前に「屋上来て」とだけメッセージが届き、断る間もなく呼び出された私は、まだ少し肩で息をしていた。
「……ごめん。侑くんにさっきの『痕』についてしつこく聞かれて……」
「……あの人、本当に懲りないね。動画、流しちゃえばよかったかな」
角名くんは不機嫌そうに目を細めると、私の手首を掴んで、自分のすぐ隣へと引き寄せた。
フェンス越しに吹き抜ける風が、少しだけ熱を帯びた私たちの肌をなでる。
「……ねえ、愛加先輩。こっち向いて」
彼がスマホのカメラを起動させ、レンズを私に向ける。
いつもの「盗撮」ではない。
彼は私の肩に腕を回し、自分の頭を私の肩に預けるようにして、画面の中に二人を収めた。
「……角名くん、何してるの。誰かに見られたら……」
「……いいじゃん。屋上の鍵、閉めといたから」
カシャッ、と乾いたシャッター音が響く。
画面の中には、驚いて目を見開いた私と、その隣で今まで見たこともないような、独占欲に満ちた穏やかな笑みを浮かべる角名くんが写っていた。
「……これ。俺のスマホのロック画面にする」
「えっ!? ダメだよ、もし部活中に誰かに見られたら……!」
「……見られればいい。……『岡本愛加は俺のもの』って、パスワード入れるたびに世界に宣言してるみたいで、効率いいでしょ」
角名くんは私の焦りを面白がるように、設定画面を操作して、本当にその写真を壁紙にしてしまった。
画面をスリープさせ、再び点灯させる。
そこには、寄り添う二人の姿。
「……先輩も。……これ、送りつけるから。先輩のスマホも、これにして」
「……無理だよ、そんなの……」
「……無理じゃない。……俺との秘密、ちゃんと身に着けててよ。……じゃないと、放課後、もっと酷いことして『印』増やすよ?」
角名くんの指先が、今朝隠したはずの首元の痕を、なぞるように優しく触れる。
脅しているはずなのに、その声はどこか甘く、縋るような熱を孕んでいた。
「……先輩。……俺、リベロじゃないけど。……君の視線だけは、一秒も外に逃がさないから」
レンズを通さない、剥き出しの執着。
スマホの画面が消えても、私の網膜には、彼と重なったあの瞬間の残像が、いつまでも焼き付いて離れなかった。
合同練習。体育館には、稲荷崎と音駒の二校が集まり、独特の緊張感と熱気が渦巻いていた。
私はドリンクの補充を終え、タオルのカゴを抱えてコート脇を歩いていた。
「おや、噂の稲荷崎の美人マネージャーさんじゃない。噂通りの可愛さだねぇ」
不意に頭上から降ってきた、少し掠れた、食えない大人の色気を感じさせる声。
見上げると、音駒の主将・黒尾鉄朗さんが、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべて立っていた。
「あ、音駒の……黒尾さん。お疲れ様です」
「お疲れ様。ねぇ、君。稲荷崎の狐たちは気性が荒いでしょ? もしよかったら、俺が優しくエスコートしてあげようか。東京の美味しいお店、詳しいんだよね」
黒尾さんがひょいと私の肩に手を回し、顔を近づけてくる。
その瞬間、体育館の空気が一気に氷点下まで下がったような錯覚に陥った。
「……黒尾さん。うちの先輩に、気安く触らないでもらえます?」
背後から響いたのは、ドスの利いた、けれど静かな怒りを孕んだ角名くんの声だった。
彼はタオルを首にかけたまま、無表情で私たちの間に割り込むと、黒尾さんの腕をパシッとはねのけた。
「おっと、怖い怖い。角名くん、今日は一段とブロックが鋭いねぇ。私生活でもそうなの?」
「……仕事なんで。……愛加先輩、こっち。ドリンク、まだ終わってないでしょ」
角名くんは私の手首を掴むと、黒尾さんを鋭く一瞥してから、強引に体育館の隅へと連れて行った。
その歩幅はいつもより大きく、掴まれた手首からは、彼の心臓の鼓動が伝わってくるほどに激しい。
「……角名くん、痛いよ。黒尾さんはただの挨拶で……」
「……挨拶に肩を抱く必要、ないでしょ。……あの人、目が笑ってなかった。先輩を狙ってるのが丸出し」
角名くんは壁際に私を追い詰めると、自分の大きな体で周囲の視線を完璧に遮断した。
ミドルブロッカーとしての、逃げ場のない鉄壁のブロック。
「……さっきのロック画面、見せてやりたかった。……先輩、俺以外の男にそんな無防備な顔しないでよ」
角名くんの声が、いつもより一段と低く、喉の奥で震えている。
彼はスマホを取り出すと、カメラではなく、私を閉じ込めるようにその両手を壁についた。
「……黒尾さんみたいな『猫』に、先輩を奪われるくらいなら。……俺が今ここで、誰にも渡さない印、増やしてあげようか」
スナギツネのような細い瞳が、嫉妬で暗く、激しく燃えている。
いつもは冷めているはずの彼が見せる、計算外の、あまりにも人間味溢れる執着。
「……返事は? ……言わないと、あいつの目の前で、先輩にキスするけど」
意地悪な後輩の、剥き出しの迎撃。
私は、彼の低い体温の中に、自分から溶けていくような感覚に陥っていた。
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