テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
難しいことは何も考えないでみてください。
中也のセーフハウスは、今日も重苦しいほどの静寂と、甘い柔軟剤の匂いに満ちている。
窓はすべて施錠され、遮光カーテンが隙間なく引かれている。中也は「幼いお前が外の物音で怯えないように」と言って笑っていたけれど、それは太宰にとって、自分だけを真っ直ぐに見つめてもらうための、都合のいい隔離壁だった。
「……ぁ、ちゅうや。おかえり、なさい」
玄関の鍵が開く音がした瞬間、太宰はソファから転げ落ちるようにして駆け寄った。 七歳の小さな体は、全力で走るとすぐに息が切れる。中也の足元に辿り着くなり、その膝にしがみつき、ぶかぶかのシャツの裾を握りしめた。
「おいおい、そんなに急ぐなよ。どこにも行かねぇっつっただろ」
中也が大きな手で、太宰のふわふわした髪を乱暴に、けれど慈しむように撫でる。 その瞳には、自分がいなければ呼吸もままならないほど衰弱した「子供」への、暗い悦楽が混じっていた。
「……おそい。ずっと、まってたんだよ。ちゅうや、だれかと、あってたの? 」
太宰はわざと、瞳に涙を溜めて上目遣いで訴えた。 ひらがなを並べるような幼い喋り方。不安定で、今にも壊れそうな「可哀想な太宰治」。 中也に構ってほしい。彼が仕事で外に出る数時間すら耐えられない。そんな「メンヘラ気質な自分」を、幼児化という免罪符を使って、これでもかと中也に叩きつける。
「忘れるわけねぇだろ。手前を置いて、どこに行けるってんだ」
中也は太宰をひょいと抱き上げた。 太宰は中也の首に腕を回し、その拍動を確かめるように顔を埋める。 中也の独占欲は、確かに重い。けれど、太宰にとってそれは「自分が必要とされている証」でしかなかった。中也が自分を閉じ込めるのは、自分が弱い子供だから。自分が不安定だから、彼は守ってくれている――太宰はそう信じ込み、中也の瞳の奥でギラつく「支配者の色」には、一向に気づかない。
「……ねぇ、ちゅうや。……いたいの」
太宰が、ゆるゆるの袖を捲り上げた。 そこには、小さな手首に刻まれたばかりの、赤い筋。 キッチンから持ち出した果物ナイフで、自らなぞった傷だ。
「……ッ、太宰! 手前、またやったのか!」
中也の声が、怒りと、それ以上の「所有物を傷つけられた歪な興奮」で低く震える。 太宰はそれを見て、内心で甘い陶酔に浸った。
「だって……ちゅうやがいないと、こわくて。ここが、ざわざわするの……。こうしてないと、きえちゃいそう、なんだ……」
嘘ではない。記憶があっても、この不安定な精神性は本物だ。 中也は太宰を強く抱きしめ、折れそうな手首を自分の口元に寄せた。
「……クソ、俺がついててやらなきゃ、本当に手前は……」
中也の指が、傷痕をなぞり、そのまま太宰の細い喉元を軽く締め上げるように覆う。 それは保護という名の捕縛。 けれど、愛に飢えた小さな太宰は、その苦しさにさえ「構ってもらえている」という安心感を見出し、うっとりと目を細めた。
「うん……ちゅうやが、なおして。……ずっと、いっしょに、いてくれるって、約束して?」
「ああ。約束だ。……手前を外に出すのは、もう当分先になりそうだな」
中也の低い笑い声が、太宰の耳を甘く刺す。 自分が「記憶があること」を利用して中也を操っているつもりの太宰と、太宰の「不安定さ」を餌にして、彼を完全に自分の箱庭へ閉じ込めようとする中也。
傷口から滲む血よりも濃い、ドロドロの共依存が、薄暗い部屋の中で二人を繋ぎ止めていた。