第3話 夢の猫生活
――人間社会に疲れた女・古河冬花と、長年愚痴を聴いてもらっていた猫・銀二の身体が入れ替わってしまった!
戸惑いはあったものの、現実逃避の気持ちから猫生活を満喫すると決め――冬花は現在、あてもなくフラフラ歩いていた。
(とは言ってもどうしよう……もう夜だしなぁ……ごはんは食べたばっかりなのかな? お腹はすいてないけど……)
そんなことを思っていると――
「……」
(あ)
一軒家の塀からぴょんと一匹の猫が地面に降り立つと、目的地があるのか早足でどこかへ移動し始めた。
(やることもないし…ついていってみようかな)
軽い気持ちで野良猫の後を追っていくと。
屋根の上から、車の下から、路地裏から――猫が潜んでいそうなところから、同じ方向に進む猫が増えていった。
(これ、もしかして――!)
冬花がたどり着いた場所は、空地だった。
すでに数十匹の猫たちが各々、不思議な距離感で点在している。
「あ、銀二さんだ!」
(すごい! 夜の猫の集会って初めて見る!)
「ねーねー、銀二さんでしょー?」
「!」
銀二の姿をした冬花の前に、茶トラ柄の猫が現れた。
どうやら銀二の知り合いらしい。
(そうだ私今銀二なんだよね……知り合いもいるって言ってたし……ちゃんと銀二のフリしなきゃ)
「お……おう」
(うわーわかんない! これで大丈夫かな)
「うちの集会に来るのは久しぶりだねー!」
「あれ、ミカンそいつだぁれぇ?」
「あ、銀二さんだよー。色んな縄張りで顔が利くすっごい猫なんだよー」
冬花がソワソワしているうちに、また別の猫がやってくる。
茶トラの猫はミカンというらしい。
「へぇ!」
「喧嘩も強いんだから! なのにかすり傷ひとつない、っていうのがまたすごいよねー」
話をしながら、空き地の適当な場所に座り込むミカンたち。
(知り合いでも一緒にいるとは限らないんだ)
各々好きな場所に座ったり寝転んだりしていて、親子らしき集まりは固まっているが、連れのいない猫が大多数で――彼らは、一定の距離を保っているようだ。
その後も、冬花が寝そべると、銀二の知り合いらしき猫が挨拶してくるも、それ以上の絡みはない。
(……なんかいいな、こういうの。無視されてる感じはしないし、でも無理に誰かと話さなくてもいい……それが許される、ゆるーい場所……)
妙に安心感に包まれながら、この猫の集まりの中で冬花は眠ることにした。
翌日――目が覚めると、猫の集会はいつの間にか解散になっていた。
(適当なところで寝てても平気なんだ……人間が地べたに寝てたら絶対背中とか痛くなってたよ……猫の身体が柔らかいからかな……?)
そんなことを思いながら、大あくびする冬花。
(少しお腹すいたかも……とりあえず家に戻ってみようかな)
とりあえず駅に向かって冬花がテクテク歩いていると――スーツや制服姿の人間たちが、同じ方向に向かっているのが見えた。
(……そろそろ出勤の時間か)
ふと足を止め、その様子を眺める。
視界が低く、色んなものが大きく見える世界にまだ慣れてはいないものの――
(私今日、会社行かなくていいんだよねー……)
前足を揃え、忙しない様子で自分を追い越す人の流れを眺める。
晴れやかな気持ちで冬花は足を揃えたまま背中を、ぐりーんと伸ばした。
(んん、気持ちいいー……思い切り伸びするってこんなに気持ちいいんだ……いつもパソコン作業の合間にしかしてなかったから……こんな晴れやかな気持ち……忘れてたかも)
ふと背中がポカポカすることに気づき、冬花がくるりと首だけで振り返ると――建物や人々の行き交う間から優しい陽の光が差していた。
(さっき起きたばっかりなのに……もう眠い……うにゃうにゃ……)
邪魔にならないように、フラフラとさらに道の端に寄り、丸くなる冬花。
「……」
ふと横を通りすぎた女性と目が合った。
頬を緩めているのは、彼女が猫好きだからだろう。
だが反面、その目はどこか寂しげであり――羨望の眼差しに見えた。
(ああ……今の私は猫だから……またこのまま寝てもいいんだよね……二度寝……万歳……!)
思わず大きなあくびをし、結局再び眠りに落ちるのであった。
(ね……寝すぎた……!)
それから数時間後、冬花は寝転がっていた身体を起こし、前足を思いっきり突き出して身体を伸ばす。
(のんびりしてたら日が暮れちゃう!)
気を取り直し、冬花はまたテクテクと歩き始めた。
のどかである。
鳥の鳴き声や、風が葉や草を揺らす音、早朝よりも少ない人影、陽の光で明るい街並み。
(平日の昼間にのんびり歩き回るなんて久しぶり……)
歩きながら思いを馳せていると――ふと、ふよふよと何かが横切ってきた。
(……ん!?)
すると、理性より早く冬花の――「猫」としての身体は、「伏せ」の姿勢を取っていた。
戸惑う冬花の鼻先には――横切ったものの正体であるしじみ蝶が、不規則な動きでふよふよと飛び回る。
(なにこれ……すっごいそわそわする……!)
同時に、「伏せ」の体勢から徐々にお尻が持ち上がり、尻尾と共にゆらゆら揺れ始めた。
前足が、地面を掴むように小刻みに動き――
「にゃあ!(今!)」
高揚感が最高潮に達したとき――冬花はふよふよ飛び回るしじみ蝶に飛びかかっていた。
――すかっ
素早く繰り出された猫パンチは、虚しく空を切った。
(くっ……逃がした……!)
仕留め損ねた暗殺者のように悪態をつくと、冬花は狙いをつけては飛びかかり、を繰り返した。
攻防(?)を繰り返して数十分――しじみ蝶は、さらに上空へと風に流されて飛び去った。
(……ハッ! え、何今の……)
ふと、冷静に「人間」として我に返った冬花だったが――
(すっっごい楽しかった……見るのも面白かったけど……猫になるとこの遊びってあんなに楽しいんだ……)
猫じゃらしで構ったり、友人の家ではおもちゃで遊んだり――とても楽しそうだった猫の遊びを実体験できたことに、冬花は感動していた。
「これだけで楽しくなっちゃうなんて……猫って……やっぱりいいな)」
そんな幸福感を胸に――今度こそ、自分の家を目指し歩き始めるのだった。
気づくと、下校している小学生の姿を見かけるようになった。
(もうそんな時間なんだ……早いなぁ)
「あ、ネコちゃんだ!」
閑静な住宅街にある、小学生の通学路。
ランドセルを背負った少女が、歩いている冬花に気づいて声を上げた。
思わず足を止めたのは――猫が好きで、いつか自分の家で飼うための猫探しのために近所中を歩き回っていたときのことを、懐かしく感じたから。
だが――冬花は失念していた。
子どもの頃の自分が、どう猫を扱っていたのかを。
「ネコちゃんかわいー!」
テンションの高い声で、少女は冬花の――猫の頭を、力任せにぐりぐり撫で始めた。
(あうあう……ちょっ……そんなガシガシしないで……!)
思わず撫でる手から逃れ、距離を取る冬花。
「ほらーもっと撫でてあげるからおいでー」
逃げられても気にせず、少女は笑顔でじりじりと近づいてくる。
(退散!)
「あ!」
冬花は一目散に逃げ出した。
(子どもってあんな手加減できないものなの!? 私も昔あんな力任せに撫でてたっけ!?)
「待ってぇネコちゃーん!」
「!?」
全速力で逃げたはずなのに――その後ろには、少女の姿が。
(わざわざ追いかけてきたの!?)
「もっと撫でてあげるねー……」
「にゃぁああああ!」
悲鳴のような声を出すと、再び逃げ出す冬花。
(ちょっ……勘弁してぇぇ!)
――こうして、冬花は少女からの逃走劇を繰り広げることになってしまうのだった。
次回へつづく