「口にしたらダメな名前か……」
「うん? あぁ、黒歴史っていうのかな? 誰にでもあるよ、やっぱり」
「ほのっちにも、あったりする? そういう名前」
「ん、忘れちゃった」
天野商店の店先にて、敷地の一角を占める朝顔に水をやりながら、友人は朗らかに笑った。
今年の夏もよく花をつけており、この時季の風物詩として、町の景観を涼しげに彩っている。
早朝の小路は人の姿も疎らで、ジョギングに励む人、犬を連れたご近所さんが、時おり通りかかるくらいのものだった。
「この辺、川床にしたらシブくないです?」
「その花壇の所? それ川床じゃなくない?」
あの一件には、どうしても謎が残る。
まず、私が見たという幻覚についてだが、それは果たして、どの場面から先を指すのだろう?
あの日、公園に到着した私たちは、愈女ちゃんと対峙する“人影”を目の当たりにした。
見るのは良いが、識ってはいけない胡乱な人影だ。
しかし、私はそれの正体を、何者かの妄念であると把握してしまった。
そして、次第に抑えの効かない憎悪に駆られ、ついには殺意すら覚えるに至ったところで、友人による気付けを得た。
その後、運河から遠く離れたベンチで、本格的に意識を覚醒させたという仕儀であるが、少なくとも、現実ではなかったと断言できる場面が一箇所だけある。
私が憎悪を抱いたきっかけ、“人影”がふゆさんに対して働いた、精神的な狼藉だ。
あの場には当の友人も史さんも居たわけだし、あれを放っておく訳がない。
そうすると、あの場面の少し前、やはり人影を目撃した辺りから、すでに幻覚の虜になっていたと考えるべきだろうか。
妥当ではあるが、どうにも違和感がある。
「あれって、本当に幻覚だった?」
「え………?」
鼻歌まじりに如雨露を操っていた手が、ピタリと止まった。
「あ……。 いや、ごめん。 何でもない」
「ふーん……?」
つい先日、ふとした機会にこの一件を思い出した私は、幼なじみの二名と簡易的な話し合いの場を設けた。
『幻覚? 幻覚……は見てねぇなー。 そういや兄やん言ってたよな、あん時。 幻覚がどうとか。 どういうこと? なんで今んなって……』
『最初は運河のトコに居て、気がついたらベンチで眠ってたんだよ。 私が一番最初に目ぇ覚ましたんだよー』
私の仮説はこうだ。
あの時、私が垣間見たもの、耳にした悲痛な叫びは、欧州の女神による幻覚ではなく、私自身が生み出した白昼夢ではなかったか。
あの試験は本来、もっと安全に講じられる筈のものだった。
例えば、女神による幻覚を以て適度に怖がらせ、後の是非を人間たちに委ねるような。
ところが、初端からトラブルが起きた。
魅入られやすい性質なのか、あの人影をひと目見た瞬間、私は妄執に囚われてしまった。
幼なじみの二名が幻覚を見ていないというのは、この時点で強制的に眠らされたからではないか。
史さんがあえて口にした、パーシテアーという名前。 彼女の夫神と言えばヒュプノスだ。 言わずと知れた眠りの神である。
一方で、起きているにも関わらず、ある意味では眠っているような状態の私は、友人の介入を大人しく待つしか無かったと。
ならば、かの女神による幻覚など、私たちは端から見ていないのか。
単に、史さんによる優しい嘘だったのか。
そうとも言い切れない。
あれは、ちょうど公園に到着した折りのこと、まるで天女のように降り立つふゆさんの映像を、脳裏で再生する。
目を奪われるほど美しかったが、どこか現実味を欠いた光景だった。
あれを、欧州の女神が施した幻覚と仮定するなら………。
ダメだ。
いずれも仮説の域を出ず、考えれば考えるほど、頭がこんがらがっていくような気がする。
神のみぞ知る。
その言葉は、あまり好きじゃない。
まるで、すべてを神らに丸投げするような。 人間であるという事に胡座をかいて、いま自分にできる努力を怠っているような。 そんな気がしてならないからだ。
しかし、あの一件については、そうした言い回しをあえて持ち出したくもなる。
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