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今日の天気は天。
午前中から藟の花が降る。
早朝の川辺を通り掛かったところ、友人の姿が目に留まった。
大小の岩々が、デコボコと織りなす川縁で腰を屈め、何やら水面を一心に覗き込んでいる。
「どうしたの?」と声をかけると、ひとまず驚いた顔をこちらに向けた彼女は、挨拶もそこそこに、このように説明した。
「知ってます? この川、ヌシがいるんだって」
「へぇ、ヌシ? 大きな魚?」
「うん。 何とかタロウっていう」
それは非常に興味深いけど、つい先日、近所の湖で首長竜を見たばかりだ。
友人には悪いと思いつつ、今さら巨大魚くらいで騒ぎ立てるのも、何だかな………。
そんな所感を覚えた矢先、まったく別の考えが浮かんだ。
いや、こういう世の中だからこそ……。
空を仰げば、紺碧の袂にモクモクと育った虹色の雲が、俄かに花びらを揺り落としている。
肌身にさわる風は心地よく、常春の風情をやんわりと物語っていた。
「たしかに、大事かもね。 そういうの」
「うん?」
キョトンとした友人は、程なく私の考えを察したのか、柔らかな表情で頷いた。
今度、釣り竿を手に、そのヌシとやらを追いかけてみよう。
童心に返って……。 すこし違うな。
あの頃のことを、決して忘れないように。
「これからお仕事?」
「そう。 もうお尻が痛くってねー……」
「ご苦労さま。 座り仕事、大変だよね?」
一方、こちらは気ままな散歩の途中だ。 なんだか申し訳ないというか、後ろめたさを感じてしまう。
せめて、彼女が職場に向かうまでの間、話し相手になれればと、近くまで同行することにした。
花降る川沿いをゆったりと歩き、天を摩る大樹を左に見て、大橋のほうへ向かう。
この場所がまた、こちらでも稀に見る景勝地で、日を追うごとに観光客が増えているそうだ。
しかし、いまは早朝のため、まだまだ静かなものだった。
朝霧が立つ橋の上に、余人の姿はない。
等間隔で並ぶ燈籠が、暁の一時をほのぼのと彩っていた。
「庁舎の座布団の中身、なんだと思います?」
「え、なんだろ?」
「貝殻ですよ貝殻!」
「え? なんで?」
「でしょ? “え?”ってなるよね? 絶対おかしいですよあれは」
時おり通過する自動車は、この辺りに軒を連ねる割烹のもの。
“こっちに来てまで商売するんだ?”
最初の頃は、不躾にもそんな事を思ったものだった。
けれど、今ならよく分かる。
彼らにとっては、あれが“あの頃”の、決して忘れてはいけないものなんだろう。
川上から現れた船頭が、橋の下をきぃきぃと通り、朝ぼらけの薄ぼんやりとした霧の向こうへ消えていった。