「流れ星」の見える夜
消えゆく刹那に三度願いを唱えれば、その願いは叶う──。
それは、遥か太古から囁かれてきた夜空の神秘にまつわる甘美な誘惑だ。
誰もが夢見、縋りつくほどの奇跡。
だが、その言い伝えの裏側には、触れてはならない冷酷で恐ろしい真実が隠されている。
奇跡的に願いを叶えてしまった者は
その代償として、肉体と魂を夜空を駆ける〝流れ星〟に変えられてしまうのだ。
流れ星が瞬く間に消えてしまうのは、願いが成就した人間が
地上での喜びも、痛みも、愛も憎しみも
全てを削ぎ落とされ、光の塵と化して空に散る断末魔の輝きだから。
そしてその塵は、次の夜
また別の誰かの愚かで、身勝手な願いを乗せて
無限の輪廻を廻り続ける。
それは、願いを叶えた者たちの魂が、永遠に救われることのない
決して終わることのない、魂の飢餓のループである。
◆◇◆◇
流れ星が「今宵、最高の輝きを見せる」と予報された日の前夜。
自室の椅子に深く、自らを埋めるように沈み込んだ紗奈は
スマートフォンが放つ無機質な光を浴びながら
画面に映る無意味な文字の羅列を、ただ虚ろに眺めていた。
文字は何も意味を成さない。
まるで、今の自分の空虚な心を表しているかのようだ。
脳裏を焼くのは、過去のいじめの記憶。
幾度となく味わった屈辱と痛み。
そして、その中心にいた菜々香の、全てを見下し嘲笑う顔。
その顔が、焼きついたように視界の端でちらつく。
消えることのない、深く、ドロドロとした憎悪の炎が
紗奈の心をじりじりと、音を立てずに焼き続けていた。
その時
「カツン」と、窓ガラスに何かが当たる微かな音が、静寂を切り裂いた。
紗奈は反射的に顔を上げ、その音のした方へと視線を向けた。
すると、そこに立っていたのは、あまりに異質な存在だった。
窓の外、夜の暗闇の中にぼうっと、曖昧な輪郭で浮かび上がる。
紫色の、長く編まれた三つ編みの髪。
まるでアンティークドールのように完璧に整えられているのに、どこか生気のない
陶器のような顔。
その顔の中で、その瞳だけが
夜の闇に爛々と妖しく輝き、まっすぐに紗奈を射抜いていた。
ゾワリ、と、氷の刃が背筋を這い上がるような冷たい戦慄が全身を貫いた。
紗奈が呼吸を忘れて見つめていると、硬く閉ざされていたはずの窓が
音もなくスルスルと、まるで意志を持っているかのように開いた。
「こんばんは、紗奈ちゃん」
少女の声は、まるで古びたオルゴールのゼンマイが緩みきったように
どこか歪んで、不協和音のように空気を震わせた。
彼女は招かれざる客として、何の躊躇もなく部屋へと音もなく滑り込んできた。
その動作は、人間のものではなかった。
「だ、誰…?」
紗奈の喉から絞り出された声はひどく掠れて、まるで他人事のように聞こえた。
「ワタシはシホ。流れ星のSoul Carrier…とでも言おうか」
シホと名乗った少女は、口元だけで不自然に弧を描くように微笑んだ。
その笑みは、まるで作り物のように薄っぺらく、感情がない。
しかし、その奥には、底知れない深淵の闇が潜んでいるように見えた。
「知ってる?流れ星の都市伝説。星に三回願えば、願いが叶うって話」
「急に、なに?そんな話、小学生でも知ってると思うけど…」
「でもね、本当に叶ってしまった人間は、その瞬間から、もう人間じゃなくなるんだよ」
シホの言葉は、まるで鋭利な氷の破片のように紗奈の心臓に突き刺さった。
そんな恐ろしい裏話は、聞いたことがない。
「そんな漫画みたいな話、信じらんない…きっと、私疲れてるんだわ…」
作り話だ、幻覚だ、と、心の中で必死に否定しようとした。
自分の心が作り出した防衛反応だと信じたかった。
だが、シホの目は、紗奈の心の壁を通り抜け
全てを見透かすように彼女を射抜いていた。
「……それにしても、紗奈ちゃんはずっと辛かったね」
「な、なにが?」
「菜々香って子にいじめられてたこと。ワタシは全部知ってるよ。君の、あの頃の泣き声も、夜毎ベッドで絞り出した嗚咽も、全部」
シホの言葉に、紗奈の全身の毛穴という毛穴が開ききるような戦慄が走った。
「菜々香」の名前。
そして、誰にも、親にすら言っていない
秘密の、最も深い記憶。
(この子、どうして………どうして知っているの…?)
紗奈の心の奥底に厳重に封じ込めたはずの痛みをまるで、その場で見てきたかのようにシホは語る。
それは、最大の恐怖であると同時に
抗いがたい理解者のような響きを持っていた。
シホは、一歩、ゆっくりと紗奈に近づいた。
その匂いは、甘く
熟れすぎた腐った花のようでもあり、抗えない甘い毒のようでもあった。
「もしワタシに、星に願いをするなら、なんでも叶えてあげる」
「なん、でも……?」
「…ふふっ、そう!なんでも!殺人だって、復讐だって、魂を売ってでも手に入れたい、どんなに深く黒い願いも、ワタシにはお手の物だよ?」
「……あなた、一体何者なの?見ず知らずの私に、そんな悪魔みたいなこと言うとか、小さな子がこんな夜中に窓から入ってくるのも……意味がわかんない」
「人生何が起きるかわからないからねー。こういう奇妙なこともあるってこと!まあ、簡単に言うなら、君は選ばれたってこと」
「選ばれた……?」
「嘘だと思うなら、願えばいい。願うのはタダなんだから。あなたがソレを願うなら、ね」
シホの瞳が、深淵の闇をそのまま映したかのように妖しく光る。
その声は、紗奈の脳髄に直接響くかのように甘く
そして恐ろしく、抗いがたい力を持っていた。
あまりにも現実離れした誘い。
魂を売る、などという言葉は紗奈の理性では到底受け止めきれない。
「…じゃあ、もしそれが本当なら、私は…私は、菜々香が死ぬように、って願ってもいいの?」
コメント
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新作来ました!!ありがとうございます!!!